いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

スリーファンキーズの時代に、あるいは、高田里恵子女史の困惑に思いを馳せて...

2014年10月08日 19時55分41秒 | 日本事情

YouTube [スリーファンキーズ]


ペテン師たち;


多彩な三国人たち;
日帝生まれ、 只の日本人、 アメリカ人
米軍機に殺されかける、 特になし、 米軍から研究費欲しくて米国人

おいらは、文献も根拠としたおいらによるヨタ作文でブログをやっている。

GaNのノーベル賞受賞で思いついたことは、高田里恵子女史の困惑である。

ついにこの日が来た。

「文献も根拠としたおいらによるヨタ作文」を目指しているが、高田里恵子女史の文献が すぐに出ない。 見つかった。下記引用する。

高田里恵子女史は、いわゆる「一般教養」=教養を罵倒した中村修二@今じゃノーベル賞「学者」を、「これ [いわゆる「一般教養」=教養を罵倒したこと] は困ったものだ!」と嘆いた。

 ここで、第一番目に「もしも中村修二さんがノーベル賞を取ったなら」という例を挙げてみたいと思います。現代における、狭くて生暖かいインテリ世界の亀裂を見ていくたけです。
 中村修二さんは青色発光ダイオードの方ですが、彼がノーベル賞を取ったら、わたしみたいに文系教養科目を担当している大学教師は辛いなあ、という話です。どうしてか・・・・・。
 中村さんは徳島大学の出身だそうですが、「海外に飛躍する徳大人」という記事のなかに、中村さんの活躍が紹介されるとともに、思い出話が載っています。冒頭の部分を引用します。

中村修二の回想;
 私は73年に徳島大学電子工学科に入学しました。入学して最初にショックを受けたのは教養課程です。文科系が嫌いなのですが、一般教養を身につけるとかいう目的で、すべて必修でしなければならなかったことです。(中略) 今思っても何のためにもなっていないと思います。単に卒業したいので頑張って大嫌いな教養課程を勉強しました。

      高田里恵子、「文系知識人の受難 - それはいつから始まったか」、『日本思想という病』、光文社

 

この「一般教養」=教養を罵倒した中村修二を解毒するために引き合いに出されたのが、江崎玲於奈@ノーベル賞「学者」である。

江崎玲於奈@ノーベル賞「学者」@@のち筑波大学長は、旧制第三高等学校を礼賛している。

そして、今! いわゆる「一般教養」=教養を罵倒した中村修二はノーベル賞だ!

(なお、中村修二は、今回のノーベル賞に到った不可欠の恩人に江崎玲於奈を挙げている)

高田里恵子女史の狼狽に、おいらは、思いを馳せている。

■ さて、 今、この愚劣な国を r a d i c a l (根本的) に批判しているのは、経済的偽毛唐の青木昌彦ではなく、中村修二ではないか!

研究を続けるために国外に出て行く日本の研究者が多い理由を問われた中村氏は、「米国の研究者にはたくさんの自由があるが、日本には本当の自由がない」と指摘。多様な人材の活用や研究成果の海外展開などで、日本企業がグローバル化を急ぐ必要性を訴えた。

米国は研究者にとって、多くの自由がある。必死で努力すれば、誰でもアメリカンドリームを手にするチャンスがある。日本ではそのチャンスはない。年齢による差別、セクハラ、健康問題での差別があり、米国のような本物の自由がない。

一方、人の悪口は言わないと尊敬される旧制高校出の赤崎教授。 没批判的に生きて、GaN結晶作りに専念。残念なことに技術指導した豊田合成はGaN結晶の実用化で、中村修二の日亜化学に負けた。

そして、猫猫センセから徳島大学からノーベル賞!と揶揄される中村教授。

この愚劣なぬっぽんに対する態度。恙(つつがなく)なく角を立てづに生きるのか?、文句をばりばり言いたい放題生きるのか?

日帝生まれの旧制育ちの赤崎センセと、保護領日本生まれ・のち米国人の中村ショクニン、どっちが、「教養」があるのだろうか?

 ▼ 別に何のこともない。旧制高校の「教養」なんて、唯々諾々の文化なり、っていうことで御終いにすればいいのだ;

・あるいは、ノーベル賞と「教養」は無関係で御終いにしてもよい。