さんまを買った。一尾、100円。別に、100円ショップで買ったわけではない。念のため。
青い斑点を確認した。
チェレンコフ放射でないことを、願った。
▼ 食べた;
分断されている。 なぜなら、おいらは、一尾をまるごと焼く手段を持っていないのだ。
残念ながら、生の状態でぶった切って、フライパンで加熱したのだ (最悪!)。
魚焼き器を持っていないのだ。 残念! そして、直火をさんまに当てることができなかったのだ。
「下衆庶民の食べる下衆魚、さんまというものを焼く匂い」を、嗅ぐこと能わず!
そして、チェレンコフ光の効果は、どれだけ貢献したか、わがらねぇ。
やっぱり、さんまは、東海村沖に限る!
(おあとがよろしいようで...)
■ さんまの刺身について;
さんまの刺身が珍しくなくなったのはいつからだろう?
恐らく、平成になってからではないか?
おいらは、由緒正しき道産子@日帝侵略庶民 (①日帝侵略庶民のおいら家族は、②みんな「内地」のビンボーぬん。故郷で飢え死にするよりましと思った) だけど、子供の頃、さんまの刺身なぞ、知らなかった。
そうなのだ。昭和末期、というか、バブル前は、さんまの刺身は、水揚げする港街にだけ限られていた 贅沢 だったのだ。
バブル経済は、欲望の実現を促進した。 技術によって。
さんまの刺身を 只の ぬっぽんずん が、何らありがたみもなく、口にすることができるようになったのは、 冷温保存技術と流通技術の、「革命」的発展の賜物なのである。
この点は、案外、見過ごされている、とおいらは、気づいている。