いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

アムステルダム再訪; スピノザ像参拝

2012年07月18日 21時14分52秒 | 欧州紀行、事情

 

  
- 図1. アムステルダムのスピノザ像 -

おいらは、アムステルダムに縁がある。今回で3回目だ。外国の街で、長期滞在した街を除いて、これだけ何度も行くのは、6回行ったデリー(愚記事群:インド記)や観光も含め行ったマドリッド(3回行った)以外では、このアムステルダムだ。

縁がある理由は明確である。おいらの携わっている技術そしてその科学がヨーロッパで盛んなのだ。なぜかしら北米では盛んではない。次に盛んなのはアジア。ヨーロッパで盛んと書いたが、特にオランダ。だから、オランダに縁がある。あと、技術そしてその科学という観点からは、Elsevierの本拠地がオランダにあることも多かれ少なかれ関連している。

はじめて、オランダに行ったのは2008年

そして、去年(愚記事:スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン)。

その去年、オランダに行く前に、思わせぶり風に、書いた。

▼さて、「近代」はなぜオランダで生まれたのか?という上記『近代ヨーロッパの誕生』に、セファルディ 商人の活躍が書いてあるのかは、これから読んでみる。そして、本記事のスピノザに関する情報は工藤喜作、『スピノザ』である。ところで、よく本出てるスピ ノザ像は、ハーグにあるもの。

 井上円了 ハーグに至り博物館を一覧し、スピノザ翁の銅像に参拝す

でも、アムステルダムにもあるらしい。 (愚記事: 流浪と近代、そしてそのゆくえ...、なにより、隠れ家

去年、これを書いた時、つまりアムステルダムへの出発前、アムステルダムでのスピノザ像を撮ってこようと考えていた。今から思えば丹念にアムステルダムでのスピノザ像の在りかを調べておけばよかった。なのに、「市立音楽ホールの横にある」ぐらいの情報でアムステルダムに行った。そして、勘違いの別の音楽堂の周りを探した。当然、スピノザ像は無かった。

代わりにこの画像を去年は載せた;

 (愚記事:スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン

今年は、ちゃんと調べて行った。あったさ。最上図、最下図。

(それにしてもこのスピノザ像(図1)、iron meidenかよ!?と秘かにつっこみを入れてみた。
← iron meiden)

アムステルダムでのスピノザ像は最近建立された。そしてこの建立は意義がある。なぜなら、スピノザはアムステルダムのユダヤ人コミュニティから追放されたのだ。このアムステルダムでのスピノザ像の建立は、追放された者の「復権」という意味を持つ。


- 正二十面体のオブジェを含めたアムステルダムのスピノザ像全体図 -
アムステルダム City Hall 横の運河のほとりにて. この日は雨だった。

Goole Mapのペグマンで、晴れの日のスピノザモニュメントを見てもらった;


GoogleMap    下の地図の「Spinoza Monument」