いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

こだまでしょうか?、いいえ、非対称です。

2011年08月14日 17時40分18秒 | 日本事情

 - 浮世絵の 美は西洋人によって発見され世界に紹介されたという話を聞くが、考えてみるとこれはわれわれの恥辱でもなければ、西洋人の卓見でもない。世界に宣伝してく れた西洋人の功績を徳とし深く感謝するものではあるが、正直に言ってしまえば「恋愛」や「人事」でなければ芸術ではないとする彼らには、浮世絵が一番分かりやすかったのである。われわれは恋愛に芸術を認めないわけではないが、うわべはなるべくそ知らぬ風を装うのが社会的礼儀であった。そのわれわれが浮世絵に対して尊敬を払うわけには行かなかったことを、彼らが分からなかっただけに過ぎない。 ― 谷崎潤一郎、『陰翳礼讃』。

   

ゴッホ、『おいらん』 (Courtesan), 1887年、   高橋由一、『鮭図』、1877年

■日本で最初の「洋画家」とされる高橋由一が『鮭図』を描いていた頃には、パリではオランダ人のゴッホが浮世絵を模写していた。

こだまでしょうか?というかと、そうでもない。なぜなら、近代ぬっぽんにおいては、大日本帝国の施政のもと美術も制度として運用された。その帝国美術の主流は「洋画」である。洋画こそ「官画」なのだ。

一方、もちろんヨーロッパで浮世絵が主流になることはない。

そして、近代日本では浮世絵は打ち捨てられた。"日本画"も大日本帝国の施政のもと美術のひとつとして、存続したが、浮世絵はサブカルであった。

そうだよな。極端条件下の思考を好む愚ブログが考えてみる。

戦争画(google 画像)。洋画じゃないと、サマにならないよな。浮世絵の戦争画って、想像すると、何だか....。

▼なお、1943年(昭和18年)には、大日本美術報国会が横山大観を会長として創立。同年12月「第二回大東亜戦争美術展」が開催された[google;戦争画]。でも、「"日本画家"」の横山大観センセの、戦争画を、おいらはまだ確認できていない。全然、"報国"できていなんじゃん!。

絵画に限らず、言語でも、それは表現のmediaである。例えば、イヌイット[エスキモー]は熱帯地方の自然、文物を表現する語彙や文法には貧弱である。一方、同様に、バリ島の人が寒冷極地の自然、文物を表現する語彙や文法には貧弱である。つまりは、認識者は外界を知る時、かけている「メガネ」に依存してのみ外界を知ることができ、そして、表現できる。普遍的で万能な認識メディア・表現メディアはないのだ。

したがって、「"近代"」になじみのないぬっぽん表現mediaが、近代の総殲滅戦である戦争画を上手く描けなく当然なのだ。なぜなら、近代の総殲滅戦に疎い、田舎者であるからだ。問題は、自分がおかれた状況が総殲滅戦を繰り広げる近代であることを自覚できない横山大観センセが全然、報国できていないことだ。そして、藤田嗣治@のちフランス人の報国(ぬっぽん)「偉業」を...。

■それにしても、我らがぬっぽんは、近代の総殲滅戦に疎いとしても、

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ

というイメージがあるのに、日本画として、水漬(みづ)く屍・草生(くさむ)す屍の絵が無いのは、日本画家の怠慢である。もっと、報国しろ!日本画家! まずは、みづくかばね・くさむすかばね、を描いてね。藤田嗣治@フランス人のかばねをまず見ろゃ。

●さて、浮世絵は打ち捨てられたが、おいらんは"残った"。洋画に;

高橋由一、『花魁』、1872年

後記;ゴッホの鮭図があれば、ビンゴ、となるのではあるが、ゴッホの鮭図はないようだ。鮭の切り身はオランダ絵画のありふれた題材であるのに(⇒オランダ鮭絵)、残念。

後記2;ひょえ~。今、「日欧 非対称」という語でググッて見ると、筆頭に、"江藤淳、日欧文化の対称性と非対称性--美術と文学と"が出た。

知らなかったよ、そんな論文。1989年とのこと。どの単行本に入っているのだろうか?、あるいは入っていないのであろうか?

★それにしても、そもそも、最上段の谷崎の言は相当イカサマである。恋愛でもない人事でもない、風景画、静物画なぞ普通にある。全くもって、ヨタ話ではある。それを承知で引用すますた。 マンセー!サブカル、ぬっぽん!