■【未来へのキオク】震災で失われた写真や動画も、みんなで力を合わせればきっと取り戻せる。
●貞山掘。奥松島・野蒜。2011年、夏。
休みは、震災後5カ月たって、のこのこと、仙台に行った。まずは、野蒜に行った。
野蒜は、松島とブルーインパルスで有名な松島航空隊の基地がある矢本の間にある。「奥松島」とよばれる地域。
20年あまりまえ、おいらは少しここで"修業"をしていた。だから、ちょっとは土地勘があった。
その野蒜は当時は鳴瀬町だった。
最近の 平成の市町村合併で、地名が変わって、昔の記憶とのつながりが悪く、津波被害の実感が持ちづらかった。
東松島市とか、ビンとこない。
奥松島だけど、松島町ではなく、矢本と東松島市を作ったんだ。
鳴瀬と矢本は鳴瀬川・吉田川に分断された、元来結びつきは強くない地域どうしと思えるのだが...。
それだけ、松島町と鳴瀬町には何かあったのだろう、とつい邪推する。
野蒜海岸よりちょっと入ったところ。画像の奥には海岸の防砂林が見える。下記地図の「場所1」付近。
薄茶黄色に塗られた地域が、津波を被ったところ。
震災時⇒松の枝・自宅の庭…遺体続々 宮城・東松島市野蒜地区
■野蒜駅。
駅はかたずけられていた。それで、何も残っていない。壁のガラスなどは全壊。内部も津波にのまれたらしい。
図A
鉄道としての機能は無い。
津波の塩分も手伝ってか、錆びた鉄路に、放置された夏草。廃止ローカル線のようだ。
図B
ホームから見た、駅裏の民家。津波の破壊力がうかがわれる。
■震災直後の野蒜駅周辺の映像;
●上の地図で「大仏山」という字が見える。ここの標高が68メートル。68メートルとは相当高い。仙台市街の一番高い所より高い。ちなみに青葉城(仙台城址)@山城は、市街から少し離れた高さ100メートルの「山」の上にある。
図Bの画像の奥に森が見える。ここが山。つまり野蒜は山の手前の海抜「ゼロ」メートル地帯。ゼロメートルではないが、5メートル以下位。
あの見た目が美ししい「松島」は、浮島のよう。こういうイメージ↓;
その浮島のような部分が図Bの奥の山。図Aにも「浮島」の崖の部分が見える。
本当の松島湾のあの見た目が美ししい「松島」は、まわりに土砂が堆積しないので、海の上に浮いている(ように見える)。
でも、野蒜は、川が近くにあるので、そこから供給される土砂と太平洋からの沿岸流で、砂州のような一大"堆積平野"ができた(上地図)。
その「砂州のような一大"堆積平野"」の地域一体が、今回津波を被った。
松島航空隊もこのような太平洋からの沿岸流でできた砂州のようなところに基地があったのでこうなった⇒全滅した松島・ルメイキッズ
■生き残っていた「松島ルメイ・キッズ」。
ニュースで、今日、松島航空隊のブルーインパルスが行われたと報じられていた;
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市の中心部で20日、中止になった夏祭りに代わって企画された「“ありがとう”東松島元気フェスタ」が開かれ、航空自衛隊松島基地(東松島市)所属の「ブルーインパルス」が震災後初めて地元で曲芸飛行を披露した。
松島基地は、津波でF2戦闘機など28機が水没するなど、大きな被害を受けたが、ブルーインパルスは震災前日から芦屋基地(福岡県)に展開していて無事だった。 ただいま、松島の空 ブルーインパルスが飛行再開 #1
知らなかった。生き残っていたのだ。恐るべし、「松島ルメイ・キッズ」。
#1
ただいま、松島の空 ブルーインパルスが飛行再開
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東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市の中心部で20日、中止になった夏祭りに代わって企画された「“ありがとう”東松島元気フェスタ」が開かれ、航空自衛隊松島基地(東松島市)所属の「ブルーインパルス」が震災後初めて地元で曲芸飛行を披露した。
松島基地は、津波でF2戦闘機など28機が水没するなど、大きな被害を受けたが、ブルーインパルスは震災前日から芦屋基地(福岡県)に展開していて無事だった。
この日は6機が午後3時すぎから10分間、会場上空で華麗なフォーメーション飛行を披露。機体を回転させる技を繰り出すと、来場者から盛んに拍手が送られた。
石巻市の実家に帰省している東京都日野市の主婦増本かおりさん(37)は「ブルーインパルスは東松島のシンボル。飛ぶことで、1日も早い復興につなげられたらいい」と話した。
焼きそばなどの出店が並んだ会場は家族連れでにぎわった。出店者の売り上げの一部は、被災した子どもへの支援に充てられる。