今日の看猫 2011/3/1
■ここ1年ばかり、江藤淳のある文章を探していた。それは、江藤が世の中に対して「もっと崩れろ!、もっと崩れろ!」と呪詛する文章。江藤淳とルサンチマンということを考えていたから。この「もっと崩れろ、もっと崩れろ」と呪詛する文章があるはずとは知っていたが、どの本の中の文章なのかわからなかった。講談社の著作集や河出書房新社の全集などを読み漁っていたのだが、見つからなかった。昨日、ネットで検索したら、あっさりわかった。『戦後と私』あたりだろうとは思っていたのだが、実は、単行本のあとがきだったのだ。どうりで著作集、全集にはなかったのだ。1969年刊行の単行本、『崩壊からの創造』。なんと、勁草書房である。
本をつくっているあいだに、大学を中心にして、時代は急速に崩壊の徴候を示しはじめた。昨年の秋に国の外に出てみると、世界もまたいたるところで崩壊しつつあるように見えた。私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じられずにはいられない。なぜなら私はこの瞬間を待っていたからであり、それとともにすべての偽善と虚飾が洗い流されるのを待っているからである。
すごいじゃん。すごい!すごい! 江藤は1969年に「大学を中心にして、時代は急速に崩壊の徴候を示しはじめた」と言っているのだから、それは大学紛争に他ならない。大学紛争での"ゲバ学生"に「もっと崩れろ」という江藤の世に対するルサンチマンの噴出を代行させたかったに違いない。
その時、一方の彼はがんばっていた。第4列目で。the 第四列の男。「もっと崩れろ、もっと崩れろ」。でも、根っからの本性が保身的だったらしい。今に至る。三つ子の魂、最前線を恐れる。
当の江藤淳、「崩れろ、崩れろ」って、他人にルサンチマンの発散を委託してはだめだょ。彼のように、日本国内閣総理大臣となりて.....。「もっと崩れろ、もっと崩れろ」。
■初代・"もっと崩れろ"、末代・"もっと崩れろ"。
崩れろ!野郎どもは初代も末代も長州である。末代は奇兵隊を気取っている。やはり、バカはばかなのだ。
初代@放火・殺人・政府転覆、
最近、民主党の党内抗争を、つまりは"革命"後の""仲間割れ""を、極左の内ゲバになぞらえる言い草がある。大嗤いである。極左より、薩長クーデター政府になぞらえろや!日本史の知識ないのかね、おまわり上がりども。ちなみに、おまわりaは、名誉ある賊軍の子弟である。
それより、ワクワクドキドキなのが、平成の西南戦争が始まるかどうかである。西郷/小沢の"問いただしき議これあり"はあるのだろうか?問題は、菅の資質と大久保の資質の違いだ。菅の"保身性"にはびっくりする。真正・保身の称号を捧げたい。でも、"敵の大將たる者は 古今無雙(双)の英雄"に"從ふ兵(つわもの)"は 共に慓悍(ひょうかん)決死の士"の強そうなことにはどぎもをぬいた↓(ダメだ、こりゃ!)。
慓悍(ひょうかん)決死! (おまえが鬼神かょ! かぃ~のか??!!)
■そして、おいらも、願わずにはいられない。
「もっと崩れろ、もっと崩れろ」
西南戦争+戊辰戦争(小沢がとーほぐだから)ってことになったらリャンファンついて、
「もっと崩れろ、もっと崩れろ」ってこった。
うゎ~、わくわく・どきどき。
もちろん、おいらも、軽志跳・罵倒隊(けいしちょう・ばとうたい)として、ツルギを抜いちゃうょ。
それにしても、ルサンチマンに身をゆだねるとき、なんて幸せなんだろう。 おやすみなさい。
夢でもみたい、
「もっと崩れろ、もっと崩れろ」