いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1984年で、筑波大出身29-30歳・職歴7年は無理

2010年10月28日 06時00分06秒 | 筑波山麓

―27日朝の筑波山麓―

■1. 筑波大学の開学は1973年10月(#1)。翌年4月から新入生を受け入れた。第一期生。入学時に18歳として、生まれたのは1956年。この第一期生は、1984年の時点で28歳となる。もっとも、18歳で入学するとは限らないので、1984年の時点で28歳以上の筑波大学出身者はいてもおかしくない。

■2. 村上春樹、『1Q84』の天吾は、筑波大学の「第一学群自然学類数学主専攻」という設定である。さらに、1984年の時点では高円寺に住み代々木の予備校で数学を教えているという設定。29-30歳とも設定している。したがって、上記1の"この第一期生は、1984年の時点で28歳となる。"という条件と矛盾する。

■3. では、天吾は18歳で筑波大学に入学しなかったのか?を検討する。1984年で30歳という設定につじつまをあわせるなら、天吾は20歳で筑波大学に、1974年に、入学したことになる。1978年卒業。この設定だと1984年の時点で予備校で7年間働いていて30歳という条件にあう。

■4. しかし、天吾は大学入学後の20歳に学問としての熱意を失い始めたという設定である。大学でも成績がよく指導教授に大学院に進むことを勧められたという設定であるので、浪人や留年をした気配はない。

したがって、1984年の時点で30歳で筑波大学出身の数学講師という設定は無理があるのである。

▼という、きわめて些細なつっこみをしてみた。

あるいは、天吾が天久保の松見タワーあたりで、1974年の世界から1Q74の世界へ転移したという落ちがあるのであればにこにこできるのだが。まだ3巻読んでないし....。(もっとも、松見タワーこそ1974年にあったかわからないよなぁ)

#1: wikipedia;筑波大学