
「プラドに行きたい」に続く第2弾「エルミタージュに行きたい-のか?!」。人が多いらしい、エルミタージュ。ブログとかで見ると満員電車に展示状態らしい。さらにはロシアの個人旅行は非常に困難とのこと。"旅行計画書"などを出してビザをとらないといけないらしい。行くならツアーしかないと。恐るべしツァーリズムの国、ロシア(???)。
■えっ!?と思ったこと。エルミタージュにマチスの絵があるということ。エルミタージュと言えばエカテリーナ2世(1729-1796)の時代にはじまる帝政ロシアの絵画コレクションのはず。マチス(1869-1954)って最近だベさ!と思った。赤色革命政権も絵画コレクションかいな?と。
調べたら、シチューキン(1854-1936)というブルジョアが1890年代にパリで絵を買い集めていた。モネ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソ、そしてマティス。マティスとは交流があり「ダンス」は1910年にシチューキンの直接注文で描かれた。それで、ロシアに移り、今はエルミタージュにあるとのこと。では、エルミタージュはどのようにシチューキンから「ダンス」を落手したのか?とう経緯を書いたものはまだおいらは見ていない。
ただ、革命の時、貴族が持っていた西洋絵画はエルミタージュに革命政権に?没収?収集されたとおおざっぱに書いてあった。シチューキンも没収されたのだろう。
ところで、エカテリーナ2世に代表される帝政ロシアの貴族の西洋趣味はなんだろう?と驚く。プラドはスペイン王室お抱えの絵師の作品が中心。特別オーダー作品群。それに比べ、ロシアは「世界の中心」で買ってきたものの作品群。田舎者=周辺文明、ロシア!別にロシアそのものが田舎なのではない。世界中どこだってそこが世界の中心だ。ただ、そこからある場所を仰ぎ見て、文物を摂取しはじめると、そこは田舎になり、そいつらは田舎者になる。それにしてもロシア王室のお抱え絵師っていなかっただんべか?
▼「モネ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソ等などを買い集めました」という読んで、そういえば日本にもいたなぁと気付く。
ゴッホ、ルノワール、モネ、ロダン、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソの絵画・彫刻を買い集めたのが松方幸次郎(1866-1950)。初期近代日本の田舎者。エカテリナ2世が田舎者を始めた18世紀中盤から遅れること150年あまり、成り上がり公爵サマの正義さんの御子息。維新前の正義さんがただの人の頃、鹿児島城下で生まれた(wiki)。
松方幸次郎が欧州で莫大な資金を手にコレクションを始めたのは日露戦争の後。つまり、シチューキンと入れ替えにヨーロッパでコレクションを始めたことになる。
彼のコレクション(google)が国立西洋美術館の核。というか、コレクションを財産的に維持できなくなって事実上国に移譲し管理を税金でやってもらっているのだ。アカがいなくても、ブルジョアはコレクションを手放さなければならないのだ。
●複雑な田舎者。 松方幸次郎のヨーロッパでの美術品買収の特徴は西洋最新絵画ばかりではなくヨーロッパに流出した浮世絵を膨大な資金で買い"戻し"ていること。さらには、それら浮世絵コレクションはのちに皇室に献上されて、保存されているらしい。これはいろんな意味で複雑だ。なぜなら、近代以前の皇室が浮世絵なんかに触るはずもないからだ。
▲現代浮世絵師っているのだろうか?聞かない(でも、少しはいるのだろう、複雑な理由でやっている人達)。一方、近代西洋絵画のアーティスト、あるいは日本画家、そして日本画と近代西洋絵画のハイブリッド、はてはスーパーフラットまで様々なる意匠。"近代以前の"浮世絵師こそ非田舎者筆頭に他なならない。なぜなら、他の場所を仰ぎ見ることなく、自己本位に勝手に創作していたからである。さらには"印象派"の諸君が浮世絵を"仰ぎ見た"らしいことさえ関係ない。自己本位だからである。
もし、"印象派"の諸君が浮世絵を"仰ぎ見た"らしいことをくり込んで浮世絵を買ったり、ましてや描いたりしたら、田舎者である。複雑な田舎者。