いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

伊達政宗来ました; 霞ヶ浦湖畔・蔵福寺

2010年04月27日 01時55分44秒 | 仙台・竹雀・政宗

ただのお寺↑。
「伊達政宗、来ました」に続く第2弾:伊達政宗来ました;霞ヶ浦湖畔・蔵福寺。
"うわさ"によれば1626年に政宗公御視察。

【政宗公とおいら】:会ったことはない。1987年・昭和62年、おいらは仙台にいた。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映された年だ。その春、夏、おいらは仙台のお菓子工場(こうば)でバイトしていた。時給480円。その強欲なお菓子会社(従業員10人くらい)の社長夫婦は大河ドラマによる仙台観光ブームに便乗してひともうけを企んでいた。白松がモナカから人を引き抜いて工場長(こうばちょう)とし、自分の店をたたんだ元零細自営和菓子屋さんを職人1とし、和菓子屋の次男坊を職人2とし、ゆべしや笹かまパイなど既存の仙台菓子のコンセプトをぱくっては上記職人さんたちに作らせて売っていた。(20年経ってその工場をセンチメンタルジャーニーしたら操業していなかった。当時からあった隣の雑貨屋に事情を聴くと、従業員とのトラブルで操業中止となったらしい。あの強欲な社長夫婦を思い出し、当然と思った)。

そんな状況なので、その頃の仙台の政宗ブームは知っている。でも、おいらにとって伊達政宗って<<町内会長>>の先祖に過ぎなかった。全然興味なし。なぜなら、その頃のおいらは概念による全世界の掌握を試みていた(w!)のだ。<<町内会長>>はいいのだ。そもそもテレビなぞもってなかったし。仙台に住んでた頃は、青葉城址、大崎八幡宮、瑞鳳殿など政宗ゆかりの名所は行ったことがなかった。なぜなら、彼は<<町内会長>>でしかなったからだ。なにせ、おいらは全世界の概念的掌握を目指していたのだ。

Wach Watch your step !】そして、40歳を過ぎた。全世界の概念的掌握どころか、何も掴めなかった。少年老い易く、学成り難し。筑波山麓でぼーっとしてたら、やってきた、伊達政宗。仙台で未履修だった伊達政宗。筑波山麓で再履修せよ!だって。Watch my step ! 恐るべし、独眼竜。<<町内会長>>の逆襲。

↓政宗が見たはずの霞ヶ浦・"仙台領"の風景;
常陸・仙台領一万石の配置はこちら。






 ⇒⇒蔵福寺はここ: