いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

なぜ日本の公的研究者は日本人の税金を使っていいのか?

2010年04月15日 19時42分38秒 | 日本事情
日本政府が科学技術にいくらの出費をしているか?見積もるのは結構むずかしい。なぜなら、科学技術予算は多くの省庁が出費しているから。文部科学省の文教および科学技術振興費は5.4兆円。そのうち科学技術振興費は1.4兆円(データ)。最も低く見積もっても日本政府の狭い意味での科学技術予算は1.4兆円。大学の人件費や校費は文教費に含まれているだろうし、科学技術予算は経産、農水、厚生その他、その他でも予算を組んでいる。だから数兆円にのぼるだろう。

2兆円として、国民一人あたり2万円の負担。

まず議論の前提として;日本国民は自分たちの社会の維持・発展のための技術、そして人類の知的財産の発展と文化のための科学に税金が使われることは当然であると考えている。なぜなら、その成果を享受するのは日本国民であるからだ。さらにはその成果は結果的に人類も享受できる。

さて、この科学と技術の発展のための仕事を日本人の研究従事者が行う必要があるのだろうか?

もし日本人が求める科学技術の成果を低コスト・高品質で享受できるのであれば外国に"外注"したってかまわないのではないだろうか?税金の効果的利用のために。なお、海外から資金を受けて研究している日本の研究組織もある。

どこに研究を発注するのか?という点で注目すべき事実。日本企業は日本の大学に支払うより2倍の資金を外国の大学研究機関に支払っている。自分のお金なので発注先は命がけで選択する。10年前のデータで古いのですが、示します。

【出典】産学(官)連携の戦略的取組、~新時代の産学官連携施策の在り方~
平成14年5月15日、文部科学省研究振興局、研究環境・産業連携課、技述移転推進室、磯谷桂介

費用対効果の観点で行動する企業、ブルジョア!(この言葉は時代錯誤との声もあるが、ブルジョア以外なんであろう)は正直だ。それにひきかえ、日本庶民は税金をお上にふんだくられて、お上研究者が御大尽。日本庶民に自分が負担する2万円の行き先を選ぶ権利はない。

基礎科学だって、英国やドイツは日本より少ない予算でより多くのノーベル賞科学者を輩出している。効率高い。
⇒参考ブログ記事:日本は「質」の低い基礎科学研究論文を「量」産する国でしかないのか:ISIトムソン・ロイターズのデータが示すもの(追記2件あり)(ブログ、大「脳」洋航海記)

こういう日本企業の行動に次のような批難がある;

ポスドクや博士課程修了者を幸せにしないと、大学院自体の空洞化が進む(2010/03/15 RANKING MAIL 第1404号)
Biotechnology Japan:Webmasterの憂鬱、宮田満


んっ?んっ?んっ?んっ?
日本企業って、日本の大学の成長と改革への貢献義務があるのか!?

昨年晩秋の仕分け作業でtax eater研究者が発狂したとき、「日本は資源がないのだから人材だけが頼りだ!それに金をださないのはけしからん」と憤激していた。でもさ、もし大学が有為な人材を、つまりは世界に通用する科学者、技術者を制度的に供給しているのであれば、もう少し外資の企業が人材目的に日本に進出するのではないでしょうか?

さらには博士余りの日本。本当に有為であれば、この供給過剰マーケット、つまりは低価格賃金の博士を目当てにもう少し外資の企業が人材目的に日本に進出するのではないでしょうか?

●参照;
新科学技術基本計画と大学改革 黒川 清

美しき理念なのか? 虚しき絵空事なのか? 読んでほしい。

いずれにせよ、今の日本の現実は述べられた理念・絵空事とはほど遠いことは事実。

▼全然関係ない備忘録;
Харуки Мураками

↑な~んだ?

↓おこたい;

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