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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

花嫁衣装は俺が着る

2009年06月08日 20時41分22秒 | 日本事情
警視庁 観閲式


■毎晩、毎晩『抜刀隊』をYouTubeでいろんなバージョンにて見聞するのだが、警視庁のはこれだけ。

いみじくもこのYouTubeのコメントにもあるのだが;

・自衛隊の行進見たあとだからかもしれないけど、申し訳ないけどか なりショボく見えるのは気のせいかな・・・

・悲しくなる程に弱そうだ

・やっぱ自衛隊の行進のがかっこいいな


とある。 しかしながら、『抜刀隊』、つまりは西南戦争で反乱した西郷軍を白刃を振りぬいて、肉弾戦で討伐し、行進曲『抜刀隊』で謳われているのは警視庁の抜刀隊。したがって、行進曲『抜刀隊』で行進すべき正嫡は警視庁の諸君に他ならない。

そもそも、西南戦争で抜刀隊を投入せざるを得なかったのは庶民から成る皇軍が弱っちいので、苦肉の策として士族出身者の多い警視庁の人員が動員された。責任者は山縣有朋。山縣は明治新政府軍は庶民から構成されなければならないという建前を守るため、旧士族を新政府軍ではなく、警視庁という組織に入れて出兵させるという建前に反した状況を容認せざるを得なかった。

■さて、うわさでは国内治安の担当について警察と自衛隊ではなわばり争いがあると聞く。戦前では警察と軍隊が覇権争いをした。Wikipedia:ゴーストップ事件

そんな警察も軍隊も大日本帝国創立からしばらくは安定した関係にあった。なぜなら、あるひとりの人の統括下にあったから。山縣有朋。軍部と内務省こそ山縣閥のふるさとである。軍部と内務省の対立なんていうのは、政府内の内ゲバである。そんな国の崩壊は必至であったのだ。

警察と軍隊がひとりの専制的人物の統括下にあったうちはよかったが、山縣が死んで(1922年)たががはずれたように、割拠主義(セクショナリズム)と縄張り争いが始まり、上記のゴーストップ事件(1933年)へと進んでいく。日帝瓦解の12年前だ。