いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぶどう

2009年06月15日 20時13分45秒 | 草花野菜


おいらのぶどう。これ↓のはず。
小型ブドウ ポットレッドワン®

■今日、近衛文麿について"知った"こと;

昭和20年11月9日に近衛文麿が東京湾に停泊中の揚陸司令艦「アンコン号」に"連れ込まれ"、米国「戦略爆撃調査団」に尋問された="つるしあげられた"一件の場面の、聴取側4人のうちひとりが、あの ガルブレイス wikiだったと"知る"。終戦直後の日本に来てたんだね。

この"初耳"のガルブレイスの近衛尋問をググッてみると(→結果)、なんのことはない、中川センセの本にばっちり書いてあることが判明。いかにおいらが本が読めてないかがわかってしまった。でも言い訳すると、中川本には、ガルブレイス。米国では少ないマルクス経済学者。ソ連一辺倒。とあったので、あのガルブレイスとは気付かなかった。ただし、薄いピンクも深紅に見える中川認識を忘れていたおいらがバカです。

それにしても、このアンコン号の近衛尋問の詳細が現代史のなぞらしい。近衛に同伴した牛場友彦もこの件に関し何も語らず他界。こういう背景で、アンコン号で近衛に何があったかの"推理"がなされる。それらが、中川八洋・『山本五十六の大罪』と鳥居民・『近衛文麿 <黙>して死す』。両者の近衛評価は正反対。

たたきあげのドゥークさま。    生まれながらのドゥークさま。のすれ違い。

日帝を創ったドゥークさま山縣有朋と日帝を亡ぼしたドゥークさま近衛文麿が会って話をしたことがあるかは、おいらは、知らない。ただ、史実として、第一次世界大戦後のパリ講和会議への日本使節団幹部の"壮行晩餐会"というのが開かれ、山縣と近衛が出席しているらしい。1917年。山縣が死ぬ5年前, 79歳。近衛26歳。