いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

Manekshaw 元帥; 英国の嫡流

2008年07月08日 19時25分48秒 | インド・2・4・5回目


■タイム誌の新着をめくっていたら、目を引く写真。「将軍」と分捕ったパキスタンの戦車とインド兵。

Framji Jamshedji Manekshaw さんの訃報記事らしい。

■目を引いた理由は、パキスタン戦車を分捕ったインド兵。

2007年10月メーラットに行った。 メーラットはインド大反乱(セポイの乱)が1857年に起きた街。
(参考愚記事:蛤御門の変+大東亜戦争=皇帝追放・属領化

メーラットはインド訪問5回のいずれも通過していたのだが、2007年10月には、インド大反乱関連史跡を、インド人のインテリ青年の案内で、計画的に訪れる。

↓あった。 叛逆するスィーパーヒィー兵。


メーラットは、インド大反乱の時も、今も陸軍の大駐屯地。駐屯地もふつうの街と隔絶しているのではなく、広大な敷地の中は一般道。そういう街に史跡がある。 そのメーラット参りツアーの中で、同じく、タンクが飾ってあり。 車で横を通過するとき、インド人たちは、あれこそがパキスタンから分捕った戦車だ!と沸いた。



そうなのだ、対パキスタン戦争は、インド陸軍にとって、対英戦争と並んで、あるいは、それ以上に、重要らしい。

■ 今日の見た記事は、Framji Jamshedji Manekshaw陸軍元帥が94歳で先月末27日に死んだことを伝えるものだが、その履歴について、彼を陸軍元帥にした14日間の対パキスタン戦争が主であるが、第二次世界大戦では日本と戦ったことが紹介されている。そして、最後に、Manekshaw陸軍元帥は、インドが英国から受け継いだ古い流儀のscotch-in-the-officers'-club army cultureの体現者である、としている。

TIME; Sam Manekshaw

Wikipedia: Sam Manekshaw

●うーん、そうなのか。 おいらは、インド陸軍は大日本帝国の支援で、シンガポールでチャンドラ・ボースによってできたと思っていた。 
拙記事;Chalo Delhi! INA :インド国民軍

同じく、別の English mediaで、Manekshaw 大元帥の訃報を伝えている。

一方、日本語Googleで、マネクショウでググると、ニュースでは0件。全体では、わずか、1件。

サムマネクショウ死んで元帥