いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

襲われるデリー

2008年07月31日 20時23分19秒 | インド・2・4・5回目

デリーのインド国立博物館にて。 2004年

■襲われるムガール朝デリー

デリー案内などでは触れられていないが、デリーはムガール帝国時代の1739年にペルシア(現在のイラン)のナーディル・シャーに襲われ、占領され、数万人が殺され、ムガール帝国の蓄えてきた財宝を強奪された。

たとえば、Koh-i-Noor ダイアモンド

ウイキペディア;ナーディル・シャー

インドは南方は海に囲まれ、北方はヒマラヤ山脈とアフガニスタンとの間のスライマン山脈がインドを守っている。ただ、そのアフガニスタンとの山脈にはあのカイバル峠があり、イスラム勢力が幾度となくインドの平原になだれこんだ。



この1739年にペルシア帝国に襲われたムガール帝国もその統治の文明的基調はペルシア・イスラム文明。帝国の祖・バーブル; (ウイキペディア) はカイバル峠を越えてアフガンからインド平原へやって来た。宮廷ではペルシア語がつかわれていた。ただし、ムガール帝国の血統、あるいは正統の根拠とされる系統はチンギスハーンに続くモンゴルとされていた。

ただし、ムガール帝国の后はペルシア系らしく、タージマハルの墓の主もペルシア系の妃。

●現在、イランが核武装したいと考える理由のひとつがインド問題。潜在的ライバルのインドが核武装したなら、我もという考えらしい。

インドの現在の国際社会での地位は確実に向上している。一方、歴史的にみると、その文明的背景が豊かなペルシア・イランは割りを食っている。

次期米国の外交課題がアフガン問題の解決であるという。でも、地図を見ると、パキスタンとイランが米国にそっぽを向いていたら、アフガン問題は解決しないだろう。

そして、皮肉なことに、「民主化」とか「言論の自由」をパキスタンやアフガニスタンやイランで拡張させると、反米イスラム主義が庶民、つまりは貧乏人であり所を得ない人々に拡大するであろう。

このことは、「独裁国家」サウジアラビアと米国ががっちり組んでいることと背景を同じにしている。