いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

子ねこの舅 -京都参り⑤-

2006年11月27日 20時44分30秒 | 国内出張・旅行

井伊直政像  彦根駅前にて。

子ねことは伊達秀宗のこと。秀宗の母は政宗の側室の「猫御前」。だから、子ねこ。秀宗は政宗にとって最初の子供。「猫御前」は飯坂の局のこと。側室。秀宗は生まれたのは岩出山だが4歳で秀吉に人質として出される。だから育ったのは関西ということになる。さらには、家康の人質として江戸屋敷に暮らすので、のちに伊予・宇和島10万石の大名になったことと考え合わせるとみちのくの風には無縁だったといえる。

その秀宗の正室は井伊直政の娘。政宗と秀宗には確執があった。それは、推定するに、子供の頃から人質として駒のように扱われてきたから、素直になれなかったかもしれない。26歳で10万石の大名となって、大いに浪費したらしく、政宗に手紙で叱責されている。『伊達政宗の手紙』佐藤憲一、新潮選書。さらには、政宗が秀宗に付き添わせた家老・山家清兵衛が別の家臣に切り殺される。秀宗の意向を受けたものと推定できる。山家は政宗にいろいろちくっていたのだろう。

この事件で、政宗は秀宗を勘当、幕府に伊予・宇和島1万石の返上を申し出る。これに対し土井利勝がとりなし、安堵となった。このあと親子は和解したようで、政宗は「父子の間の意趣・遺恨」を認め、「伊予の事に、我々いろい干渉することは、ゆめゆめあるまじきゆえ、かたくかたく申し定めしそうろう」と書いている。

今夜の時代劇チャンネル、『独眼龍政宗 第49話』はこの話であった。

さて、宇和島10万石。政宗の次に有名な伊達さんは幕末維新の伊達宗城といったところか。宗城は、幕末の四賢大名として島津久光、松平慶永、山内豊信とともに、仙台の慶邦を差し置いて、慶喜擁立など幕政の中心で活躍する。

徳川幕府の幕引きに貢献した。