いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

デフレの後で

2006年11月06日 20時57分04秒 | 日本事情
 闇の中のうめちゃん

日本経済が、余計な脂肪分や贅肉を落として、筋肉質になったという比喩はあながち間違えではない。

例えば、いざなぎ景気を超えて~『不易流行の経営学』

この「筋肉質」への転換の契機はデフレであった。最終的なデフレからの脱却宣言はまだのようである。それにしても、今回のこのデフレの名前は何になるのであろうか?とりあえずは、小泉デフレと、ここでは、名づけよう。おっと、小泉さん、デフレの接頭になるなんざ不名誉だ!などと思わないでほしい。小泉デフレより、松方デフレの方が余程有名なのだから。 ちなみに上記「いざなぎ景気を超えて」は極めて欺瞞的、悪質な記事である。つまり、景気回復が健全な経営哲学の成功によるものとしているが、実態はメーカーに頻発した偽装請負など低賃金労働者の収奪による要因もあることに全く言及されていない。

ウイキペディア 松方デフレ

デフレこそ社会変革のプロセスである。デフレというのは経済指標がただどうこうなるのではなく、当の生身の人間の人生が、情け容赦なく、変えられ、経済社会への順応が求められるプロセスである。もちろん、順応しなくてもよいが、その場合、待つのは滅亡と死である。

松方デフレで没落したのは、地主・中程度の農家である。没落して小作農になった。政治的には自由党支持勢力が没落した。そして何より農村を追われた人々が賃金労働者にならざるを得なかったことである。資本制の根幹たる賃金労働者群の創出。これこそが松方デフレの精華(ママ)である。 

一方、小泉デフレでは、中産階級の少なからずが没落した。細かくいうと、中産階級の子弟が親のようには中産階級にはなれなくなった。親は「正社員」だが、子弟は「非正規社員」に「没落」した。政治的には保守系の所得再分配派(旧田中派系)が没落した。そして、何より、グローバル資本制の根幹たる「非正規」低賃金労働者群(中国人の賃金に対抗する!)の創出。これこそが小泉デフレの精華(ママ)である。 

この最近の「没落」により生じた若者の「階級」に言及したのが、『階級社会―現代日本の格差を問う』 Amazon。一部の若者の「アンダークラス」化、つまりは資本に搾取される身分でさえないグループになることが生じていることを書いている。

アンダークラス化の問題の他にも、「新中間層」が「労働者階級」を『搾取』していることを主張している。

結論的にいえば、新中間階級はいまや、労働者階級を搾取する最大の搾取階級である。革命によって資本家階級、つまり、「少数の横領者」を「収奪」しても、搾取はなくならない。なぜなら現代資本主義では、労働者階級に次ぐ多数者である新中間層こそが、最大の「横領者」だからである。格差拡大を問題にするならば、同じく被雇用者であり、左翼からこれまで同じように「労働者」と呼ばれ、また多くの場合は同じ労働組合に加入してきた新中間層と労働者階級の間の搾取関係の問題を、避けてとおることはできない。

この結論へ至るロジックは、ある種の思考実験であり、その前提条件にも問題はある。さらに、搾取とは、そもそも、定義として資本と労働者の関係での問題であるから、新中間層と労働者階級の間の搾取関係というのは原理的にありえない。ただし、著者の言いたいことはわかる。直感的に、資本からの総労働賃金の、新中間層と労働者階級の間の分け方が偏り過ぎということだろう。

そして、この中間層と労働者階級の間の分け方の偏り過ぎこそが、現代日本の喧騒・狂騒の種なのかもしれない。例えば、最近の事件。ちぃーとは誉高いと思われていたいなかの「名門」高校が、モリイチ、おまえだよ、履修を偽装してまで、受験勉強の時間を捻出して、「いい」大学に入ろうと必死である。このイジマシくもビンボーくさい行為の動機こそ、新中間層と労働者階級の間の所得分配の偏り過ぎという現実の前で、新中間層へのもぐりこみにヒッシであらねばならないことに由来する。