
デリーのホテルのサリー姿のおねーさんがその名を知らなかった農村の学校の校門にて。
(空港→デリーのホテル→この農村、という行程でのデリーのホテルで、これからの予定は?というホテルウーマンの定例・儀礼的質問に対し、%&に行く、と言ってもうわのそら。メーラット、と答えなおすと、笑顔で、そう、メーラットですかと、定例・儀礼的回答。 ありがとう。)
みんなパンジャビスーツを着ている。サリーは既婚者が着る、という仮説に矛盾しない。
■昨日の話。メーラットはインド右翼の聖地にはなっていないようだ。これは、ムガル帝国がイスラム帝国であり、所詮は外来民族による「インド」支配帝国であったことに原因があるのかもしれない。
インド初心者のおいらにもインド史跡に見えたるイスラム風と従来インド風の違いが少しは見えるようになった。

典型的従来インドは上記画像のようなUFOっぽいこの建物。

イスラム・インドの象徴は、もちろん、田島春さんに他ならない。
::後記;まちがってるみたい。 タージマハルのメインのドームのわきがUFOだ。UFOはヒンドゥーのものではないのかな。 勉強します。::
とまれ、ヒンドゥーナショナリズム問題は今度。
▼もどって、昨日の続き。昨日改めて気づいたのだけど、中曽根康弘さん@大勲位は、若い頃(のちに重光葵@元A級戦犯率いる)改進党の「青年将校」として、時の米国占領軍の「傀儡」政権の内閣総理大臣・吉田茂に、ひろひとさん の退位を要求した。今となっては歴史の推移はだれもが知るのであるから、中曽根康弘さんは、てめーがやめろ!といった すめろぎ さまに、国会の議決を基に、約30年後、内閣総理大臣に任じられたということになる。
逆の視点から見ると、ひろひと さんは、ずぶんを追放しようとした元ちんぴらにーちゃんを、内閣総理大臣に任じたのである。
見よ! ひろひと さんの懐の深さを!
見よ! ひろひと さんの懐の広さを!
●そして、愚民党と第二愚民党の、現青年将校諸君へ!
中曽根大勲位を見よ! キミタチはあまりにもいじましい。
外山恒一さんこそ、よほど、「大勲位」へ、まっしぐらだぞ。
- - このあたりメーラット。 - -
1857年のインド大反乱(セポイの乱)が起きた街。蜂起したシーパーヒー(日本流ではセポイ)は、英国人50人を殺したあと、メーラットから50kmほどのデリーへ向かう。目的は、形ばかりとなり、実権のないムガル皇帝・バハードゥル・シャー2世 Bahadur Shah IIを擁立し、ムガル帝国を再興して英国を追い払うためである。
おいらは、数日にわたる農村での飯場仕事の後、デリーへ向かう。メーラットを通ることはわかったていたので、その農村で、メーラットに何か「インド大反乱」に関する史跡はないか?と聞きまわるも、ないとの答え。運が悪かったのは、一緒に仕事をするためデリーから同行したインド人スタッフが、歴史なんて知らない!とのこと。ガイドになってもらう野望が潰えた。そもそも、「インド大反乱」がわからなかった。そこで、お客さんである相手方、インドの中産階級、インテリと話すと、もちろんインド大反乱は知っていたが、史跡はない!とのお答え [1]。別になにか観光施設を求めていたわけではなく、旧駐屯地を、今は何もなくとも、見てみたいと思ったのだが、その希望自体が、どうやら向こうさんには通じていなかったようだ。つまりは彼らには「史跡探訪」という概念がないのではないかとその時も今も思う。ちなみにデリー生まれ、デリー育ちのchemistで、クトゥブミナールの錆びない鉄柱を知らない御仁がいた。
[1] その後、次のインド出張の時に、転げ慄く毛唐兵像を見る。
インド人は歴史に疎いとの説があるが、真偽は知らない。TIT出の秀才ちゃんたちはみんなもちろんインド大反乱はもちろん、チャンドラボース、そして彼の遺骨が今も東京にあることを知っていた。もっとも彼らは、ボースと同じ、ベンガル出身だったのだが。つまりはボースは郷土の英雄なのだ。
反乱は何の戦略もなく、英国支配への反感による熟成で自然発生的におきたのであろう。そんな戦略なき反乱でも、無意識に歴史を てこ にして現状を覆そうとした。王政復古の大号令。皇帝を奪取し新政権を打ち立てようとした。
ぼくたちの、一時的な、成功。だって、帝はがきんちょ。
もっとも敵は 同じ「民族」の幕府 ではなく、毛唐さんである。英国人をたくさん殺した。 でも、すっぱい した。英国は巻き返した。 皇帝は捕まり、show trialの運命をたどる。その時の写真がこれらすい。
担いだのは老帝. exile to Burma
ビルマに追放される。最後のムガル帝国の皇帝。 これで、ムガル帝国は形式的にも終焉し、英国女王を戴くインド帝国となる。
塗った者勝ち
つまりは、蛤御門の変と対毛唐さん戦争・大東亜戦争をいっきにやってしまい、1945年の大日本帝国の運命にさきがけて、インドはアングロサクソン(えげれす)の属領・属民となったのである。
細かい法理論は追えないが、おおざっぱに言って、英国がインド帝国の根拠としたのは、「おいらのインド、あんたにあげます」という上記最後のムガル皇帝の一筆だと思う。つまりはインドの求心力を逆手にとってイギリスのインド支配に転じて利用したのだ。
■ これは他人ごとだろうか?
皇室の日本での求心力を逆手にとって、日本を従属させているのが、新世代あんぐろさくそん・米国様である。対米従属の基本法であるマッカサー憲法を、たぬきの葉っぱをお金だとみなすように、日本で流通させているのは、ひろひとさんの憲法発布に他ならない。
show trialは免れたよ。 マック憲法、発布するよ。今後は「マック幕府」の将軍様の言うことちゃんときいてね! ぎょめー・ぎょじ。
exile(退位)要請! ←非国民!
ぼくたちのすっぱい。The very show trial!
exile to あの世
でも、「人民裁判」で、無罪勝ち取ったよ!
どうする!? 脱米独立志向の右翼さん!

音楽をがんがんスピーカーで鳴らしていたお寺をのぞいて、はじき返された後、大きな通りへ向かって歩いていくと、辻のところで、年のいった女性が、後ろを振りかえりがちに、ゆっくり歩いていた。そこへ、鮮やかな布地のサリーで着飾った若い女性が、手にお供え物であろう何かを持って、駆けてきた。
(なぜ嫁と見たかというと、サリーを着ているので既婚者とみるのが自然。事実、上の写真の奥の若い女性たちはパンジャビスーツを着ている。)
以下空想;
「お義母さま、できました。」
「ほんと、のろまだね。はやくしないとおわっちまうよ。それにしても、ちゃんとできたんだろうね?」

早足で急ぐ二人。
半歩下がって、決して姑の影を踏まない嫁。

はたして、ふたりはくだんのお寺に入っていったのでした。
その第一は、あちこちにくばられていくチャーパーティーである。 - -
反乱の予兆、 『インド大反乱一八五七年』、中公新書、 長崎暢子

chapati (左下)& roti(右上)
chapati はしっとり、rotiはかりかり・クリスピー。

右のおっちゃんが手をあげようとしているのを、左のおっちゃんが宥(なだ)めている。
このブログ・いか@ 筑波山麓 『看猫録』は;
■ 資本の旅人 業務(外)便り ~資本の手先、薦めないけど~ ■
資本の旅人にも風は吹き、 風の旅人にも資本の論理は貫徹する。
▼おいらの、つまらない自慢は、海外観光旅行をしたことがないこと。35歳過ぎてそれまでのヤキがまわって、何の因果が落ちぶれて、今じゃ、すほんの手先である。それも非正規雇用賃金労働者としてである。 まさかインドに来るとは思わなかった。
がきんちょの頃、インドとはおいらにとって、大川周明やマルクスの米国新聞紙への投稿論文「大英帝国のインド支配」、辛島昇や長崎暢子の諸本、そしてチャンドラボースや藤原岩市の物語、もちろんパール判事のことなど本だけの世界であった。すなわち、会えないけどアタマに棲みつく、強烈な、ナニカであった。つまりは、観念ウヨの「聖地」であった。
おいらにとっても、物理的・経済的に、つまりは観光的には行くことは可能であったかもしれない。でも「風の旅人」にはなりたかなかった。なぜって、「風の旅人」なんぞは所詮「お客さん」だっちゃ。
♪~♪~ あなたにとって、わたし、ただの通りすがり~♪~♪~
--久保田早紀、『異邦人』--
制度外で、ぬんげんとぬんげんの交流が可能か?というのは難しい問題だと思う。
●まとめ●
脱俗に俗あり、俗にも、時々たまには、聖あり。


■中国では法の前の平等は実現されていなのだよ。共産党員とその関係者は法で裁かれないことも多いという記事。
ぬっぽんではみないような中国報道だ。しょうがない、ぬっぽにはjournalismがないのだから。
●さて、日本国の「自由民主党」と中華人民共和国の「中国共産党」は、うまがあうのだと思う。 両国とも実質的に法治国家ではい、なーなーの国だからである。 両方とも偉大なる長期独裁政権だし。
NHKが典型だが、ずーっと うそ 報道していることで、「日本の国会にあたる中国全人代、全国人民代表会議」という言い回しがある。 あたらない。 「最悪の我が祖国ぬっぽん」の国会のセンセは入れ札で選挙されているのである。 いままで、入れ札で為政者を選んだことがない立派な国、前衛の共産党が率いる中国とは違うのである。 つまりは「多数派のお祭り」がないのである。
そんな国の、少数派の代表である首相を呼んで演説させた日本の国会も、やはり、「多数派のお祭り」に後ろめたさを持ち始めた朝貢か、あっもとい兆候か。外山演説の効果ありといわざるを得ない。どうせ国会は元官僚と世襲議員で大半が構成されているのだから入れ札なんかやめちまえ。「選挙じゃ何もかわらないんだよ」。(っていうか、変わったらこわい。米国は びびる。)
温首相は、あの訪日で日本での悪評が高まった江沢民主席と違って、演技に徹しきれず時々地が、いい意味で、出てしまっていた。結構緊張していたように見えた。それがいい人に見えてしまったのかもしれない。一見、そう悪人でなさそうにも見えた。あれでよく中国のトップに上り詰められたなというのが率直な感想なり。温首相は安倍首相との黙約関係にコミットしつつある。つまり、安倍首相は靖国参拝という日中関係を一気に冷却化させるカードをもっているのだから、もしこのカードを切られたら温首相は中国国内の権力闘争で負け、失脚もありうる。
一方の安倍首相も、アジアを安定化させる能力を日本がもつことで対米関係において日本の存在意義を打ち出すという日本外交の基本線を実行するため、日中関係の安定化は必要である。米国は日中が仲違いしていることを望み、日本を米国にすがりつかさせ、一方、中国が対日牽制のため米国に妥協することを期待し、東アジアを管理せんとする古典的divided&rule,分割・統治戦略を採っている。その米国の意図を殺ぐためにも、日本・安倍は日中関係を日中自分たちでこれ以上悪化しないようにしなければならない状況にあった。(これは静かなる対米闘争である。)もちろん最重要なのは日本資本の投資と搾取を日本政府と中国共産党政府が推進することである。中共が日本資本の絶大なるパートナーであることはいうまでもない。
以上が、温首相と安倍首相との黙約関係のスケッチである。
御手洗経団連会長と温首相の一緒の映像をみて、I was so disgusted&苦笑したのは両者とも賃金奴隷の創出と維持・搾取のベストパートナーであるということだ。この映像は21世紀を語る上で将来不可欠のものとなるであろう。
▼中国は法治国家ではない、となじるひとがいる。確かに、中国は法治国家ではないが、我がぬっぽんだって、そうだろう。
数ヶ月前騒いでいた高校の履修偽装問題。どうした?学校長が公然と公文書偽造をやっていたのだぞ。誰か捕まって、裁判にかけられたか?
冒頭のインドの新聞の中国報道のみだしが Many Lawas, Little Justice そして副見出しが、Chnese court still hostage to party members であるのだが、さしずめ我が祖国ぬっぽんでは、日本の司法はいまだに「聖職」に手を出せないのか!と言わざるを得ない。
この桜咲く春に、履修偽装して、いじましくもお受験に励んで晴れてデーガクに入った、地方の「有名高校」出身のガクセー諸君! おめでとう。 そのいじましさでこの先も生きてくれ。
と、今日も ぐち になっちまった。

At Safdarjang Tomb.
インド女性の服装の主流はサリーかパンジャビスーツ。westernは少数派。
パンジャビスーツの、サリーと比べた上での、特徴は、脚袢。
脚袢;筒袖脚袢(*1)の きゃはん です。
サリーは日本の着物と似ていて下半身は「巻き付ける」感じ。脚袢との違いは 股をおおっぴらに開くこと禁止!ということです。
(*1)
万延元年の遣米使節だったか、はじめて正使としてワシントンに行った我らがお武家様たちが、ホワイトハウスで米国の最高権力者と会ったとき、彼らが「筒袖脚袢」だったことに驚愕した。
その衣装たるや筒袖脚袢なり!
もちろん筒袖脚袢なぞ匹夫の衣装にほかならないからでる。
もし、21世紀の今でも現代の日本人がちょんまげで遣米使節と同じ衣装で風俗であったならば、このぬっぽんもよほど世界の尊敬を保っていたであろう。 ぐちです。