いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

朝の校門

2007年04月24日 21時07分17秒 | インド・3回目・シンガポール

デリーのホテルのサリー姿のおねーさんがその名を知らなかった農村の学校の校門にて。

(空港→デリーのホテル→この農村、という行程でのデリーのホテルで、これからの予定は?というホテルウーマンの定例・儀礼的質問に対し、%&に行く、と言ってもうわのそら。メーラット、と答えなおすと、笑顔で、そう、メーラットですかと、定例・儀礼的回答。 ありがとう。)

みんなパンジャビスーツを着ている。サリーは既婚者が着る、という仮説に矛盾しない。

■昨日の話。メーラットはインド右翼の聖地にはなっていないようだ。これは、ムガル帝国がイスラム帝国であり、所詮は外来民族による「インド」支配帝国であったことに原因があるのかもしれない。

インド初心者のおいらにもインド史跡に見えたるイスラム風と従来インド風の違いが少しは見えるようになった。


典型的従来インドは上記画像のようなUFOっぽいこの建物。


イスラム・インドの象徴は、もちろん、田島春さんに他ならない。

::後記;まちがってるみたい。 タージマハルのメインのドームのわきがUFOだ。UFOはヒンドゥーのものではないのかな。 勉強します。::

とまれ、ヒンドゥーナショナリズム問題は今度。

▼もどって、昨日の続き。昨日改めて気づいたのだけど、中曽根康弘さん@大勲位は、若い頃(のちに重光葵@元A級戦犯率いる)改進党の「青年将校」として、時の米国占領軍の「傀儡」政権の内閣総理大臣・吉田茂に、ひろひとさん の退位を要求した。今となっては歴史の推移はだれもが知るのであるから、中曽根康弘さんは、てめーがやめろ!といった すめろぎ さまに、国会の議決を基に、約30年後、内閣総理大臣に任じられたということになる。

逆の視点から見ると、ひろひと さんは、ずぶんを追放しようとした元ちんぴらにーちゃんを、内閣総理大臣に任じたのである。

見よ! ひろひと さんの懐の深さを!

見よ! ひろひと さんの懐の広さを!

●そして、愚民党と第二愚民党の、現青年将校諸君へ!

中曽根大勲位を見よ! キミタチはあまりにもいじましい。

外山恒一さんこそ、よほど、「大勲位」へ、まっしぐらだぞ。









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