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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

His Grandpa!

2007年05月09日 20時29分39秒 | インド・3回目・シンガポール




おとといはシンガポール歴史博物館の日本占領時代コーナーの最初の展示を紹介した。今夜は日本占領時代コーナーの最後の方の展示。 日帝が壊滅し、「解放」されたシンガポールを子供が祝っている大きなパネルに、3つ小さなパネルがはめ込んである。

右のパネルの拡大がこれ↓。巣鴨で撮ったであろう写真である。



さて、毎日多くの人が見るこの展示「作品」を見て、おいら「だけ」が気づいたこと。下記「解放」を喜ぶがきんちょは中華民国国旗を手に歓喜している。 今でも、横浜は中華街で掲げられる「国」旗である。 この後、つまりは日帝崩壊後、中華民国・国民党は中共・赤軍に大陸での内戦で負け、台湾に敗走したことは、今となっては、誰もが知ることではある。 が、しかし、当時の岸信介をはじめとする当事者は、当然、歴史に身を委ね何も知らないのである。 つまりは、この台湾に落ち延びた、青天白日滿地紅旗を掲げる、旧国民党政権を中国代表政権として、買い支えたのが、米国の「保護領『国家』」である戦後日本政府(公然とは佐藤内閣まで、隠然とは消え入りそうではあるが今日まで、)であり、岸信介こそその筆頭責任者であったことは言うまでもない。このアイロニーに気づいて、撮った画像群が今夜のねたでありんす。



戦犯容疑者・岸信介と青天白日滿地紅旗を掲げるシンガポールのがきんちょの画像を、同時に目に入れて、おいらが、思いついたことであった。 

■とまれ、このお二方は日帝の正嫡をめぐる内ゲバであることは、これまた、言うまでもない。

 

今夜も、やっぱり、しつこく、掲載するよ。 日帝の嫡子・朝日すんぶん。



And I told you there's no-one there

2007年05月08日 21時00分28秒 | インド・3回目・シンガポール

You're correct

There's nobody there

And I told you there's no-one there


by G. Harrison, "Only a Northern Song"



There's nobody there (on the stage).


There's also nobody there.






シンガポールの繁華街の地下街を歩いていると、ファッションショーが始まる直前だった。 There's nobody there.


その足で、目的地の血債の塔に行くと、繁華街の人ごみと大違いで、誰もおらんかった。
There's nobody there.

今年は南京の件から何十周年かで、プロパガンダ攻勢が予想され、ぬっぽんがどう防戦するかが見ものらしい、とだれかから聞いた。 南京の件は数やら、極端な場合虐殺の有無そのものまで論議の対象らしい。

それとは対照的に、シンガポールでは日本占領時にChineseを、インド人やマレー人や英国人と意識的に選別し、山下将軍率いる日帝陸軍が殺しまくったことは、すでに事実が確定しているからなのか、議論にはならないし、日本を糾弾する声にもならない。

なぜ、ぬっぽんずんが、支那人/Chineseを殺しまくったか?の断片的考察は、おととい書いた。

■今夜も、しつこく、掲載するよ。

数千人の「華僑」虐殺を伴う「シンガポール陥落」を祝う朝日新聞。








自転車でおいで。Just arrived in Singapore

2007年05月07日 21時21分54秒 | インド・3回目・シンガポール
- - じてんしゃでおいでよ
   ぼくのいえはすぐそこだよ
    とうふ屋のかどから四軒め - -

『自転車でおいで』、矢野顕子、詩は糸井重里。




国立歴史博物館の日本占領時代の最初の展示が、これ。

これには、度肝を抜かれた。 そうだ、”われわれ”は、自転車で来たのだ

もちろんこれらの自転車はわれらが帝国陸軍が実際に使ったチャリではないのだろう。でも、この歴史博物館では禁じ手ともいえる展示は非常に印象的。 プリンスオブウエールズを撃沈した国の兵隊がチャリで快進撃してくるとは大英帝国の軍人さんや毛唐さんを神様だと思って追従してきたChineseたちやIndianたちはおどろいたであろうことを想像するに、考えるところ多し。 日帝陸軍、神出鬼没である。



いつだって、 ぷろぱがんだ。 頭の  を見逃さないように。

ちなみに、展示にもはっきり、 propaganda という認識・説明で、汎日朝日の偉業が紹介されている。

汎日朝日は処刑だ



でも、ちょっと、待って欲しい

軍部の圧力があったのだ!

50年後、new若宮は、「あの当時、2007年には、北京・ワシントンの圧力があったのだ! 北京・ワシントンの圧力のせいで、純白な高校球児の特待生・裏金問題が見えなかったのだ!」と抗弁していることだろう。

だが、ちょっと、待って欲しい

朝日はただ、純粋青年の行進が好きなだけなのだ。 商売になるのだ。

 
滅亡狂想曲

そこには共通の びずねすもでる があるのだ。すなはち、朝日をはじめとする近代大手新聞社は戦争で発行部数を伸ばした。 特に「15年戦争」で。軍隊は日本国内各地方で部隊化され中国だの南方だのに出征する。つまりは郷土の部隊だ。 あの部隊はどこそこを占領した。この部隊は玉砕した。仙台の部隊は快進撃だ!、札幌の部隊はアッツ島で玉砕した!。なんとか少尉は千人切りした軍人の鏡だ!、なんとか二等兵は戦争がいやになって仙人になった国賊だ!などと報道するのである。息子や夫を戦地に送っている家族は必死に消息を知ろうとするから新聞を購読する。郷土の部隊の消息を知り、応援するために。

日帝壊滅。帝国陸海軍消滅。 すんぶんはどうすたか?

郷土の球児を応援しませう! という 戦後びずねすもでる に乗り換えたのである。それが、毎日と朝日が主催だか後援する春夏甲子園高校野球に他ならない。

見え透いた 話すだべさ。




インド、「飯場」でのごはん2

2007年05月05日 20時26分55秒 | インド・3回目・シンガポール
インド農村の、「飯場」でのごはんいろいろ

- - 晩ごはん篇 - -


スープです。この日はトマトスープ。数種類のスープがあって、毎日ローテーションです。


ご飯です。左の皿にはチャパティ。メインの皿の上の2つの小皿はヨーグルトとカレーのチャパティ用のソースです。 メインの皿に載っているこの夜のおかずは、a)真ん中下のチーズに野菜ペーストをかけたもの。b) チキンのソース煮(右上)、c)豆とトマトとチーズをオーブンにかけたもの(左)、d)生野菜・たまねぎ・トマト・ライム(左上)でした。

↓拡大



a)チーズに野菜ペーストをかけたもの。インドのチーズは日本で食べる普通のチーズと違って、ニチャーとしておらず、むしろ豆腐/高野豆腐の食感に近い。


各おかずは大きな皿(下記のような)に多量に作り、給仕さんが取り分けてくれる。
ちなみに上記写真手前の白い山盛りは、長粒系のご飯(steamed rice)。当然ねばりがありません。


c)豆とトマトとチーズをオーブンにかけたもの。
これが今回の滞在で屈指でよかったおかず。

■総評として、インドの普通の家庭料理は、インド料理レストランで出るたっぷりの油に香辛料ばりばりというものではない。インド人に聞くと、油たっぷり香辛料ばりばりは高級感・非日常感・お客様用感があるらしく、普通は油も少なく香辛料も控えめな上記のようなplainなおかずを食べているとのこと。

この夜のおかずも、チキンさえ避ければ、ベジタリアンにもOKというもので、地元の野菜とチーズによる自然なものでした。トマトと豆とジャガイモがあれば、やはり、相当な料理を変奏することができます。





SafdarjungTomb、 サフダルジャンク廟

2007年05月04日 11時24分15秒 | インド・3回目・シンガポール


ニューデリーの中心コンノートプレイスから車で20分ほど。デリーでは行きやすい観光サイト。 インドはデリーにお仕事に行っても、田嶋春さんに会えなかった人は、代償に、フマユーン廟か、ここサフダルジャンク廟に来れば、ムガル帝国の栄光の曳航を感じることが出来る。

というのはちょっぴり嘘であって、タージマハルと比べるとその壮麗さはとても違う。おいらはとやかく言える筋合いでもないので、「タージ・マハルに似たこの壮大な建築物は、実はお粗末な出来なのである。」と偉いセンセのお言葉(『多重都市デリー』、荒松雄)を書いておく。ただし、センセがご指摘なもっと重要な点は、このサフダルジャンクの廟は、主君であるムガル帝国の皇帝のお墓よりはずっと壮大であるということ。

フマユーン廟がレッキとしたムガル皇帝のお墓であるのに対し、このサフダルジャンク廟は皇帝のお墓ではなく、宰相・サフダルジャンクのお墓。 つまりは、皇帝をお飾りとして実権をほしいままにした世俗権力者のお墓なのです。 日本で言えば、下馬将軍の異名をとった酒井忠清みたいものか。 もっとも尊襄派から見れば徳川将軍連中が皆、皇室をないがしろにした、「サフダルジャンク」ということになるのだろうが。

Wikipedia; Safdarjung


 

 

 




インド、「飯場」でのごはんいろいろ

2007年05月01日 20時38分02秒 | インド・3回目・シンガポール

インド農村の、「飯場」*1でのごはんいろいろ

- - 朝ごはん篇 - -

炭水化物系は一食においてでさえ、多岐にわたる。 まずは、席に着くとシリアルが出る(画像なし)。それには牛乳やはちみつなどをかけて食べる。

次に、トーストが出る。その時、卵も出る。調理法を聞いてくれる。 オムレツかスクランブルか? いずれにせよ、卵料理というよりミルクとチーズがたくさん混ぜ込んである。 だからか、あんまり黄色くない。 クリーミーで、おいしい。






トーストのあと、インド・炭水化物の真打たるチャパティー(左下)とローティーが出る。ちなみにここでナンは一度もお目にかからなかった。さらには、デリーでもあんまり。やはり、チャパティが主流のようだ。


ヨーグルトなどが小皿にあり、つけて食べる。


名前の知らない果物をたくさん食べました。

■ なんか、まじ、知られない言葉になりつつあるのかもしれないと思って、老婆心ながら。 「飯場」=restaurantとお思いの御仁が出現中とのこと。

*1 「飯場」; はんば=作業員が寝泊りして、肉体労働に従事する仕事場のこと。
ウィキペディア(Wikipedia) 飯場


デリーの「御茶ノ水」

2007年04月30日 19時11分28秒 | インド・3回目・シンガポール


  
リッケンバッカーは売ってません、たぶん。

ただ、楽器屋がたくさん並んでいたので、デリーの御茶ノ水といっただけです。
過去記事; お茶の水 茗渓 仙台堀 


デリー門。 ムガル帝国時代、デリーの中心はキラー城であり、そこから一定地域が城郭で囲まれていました。その城郭にあった門にひとつです。

ニューデリーの象徴である、コンノートプレースから、キラー城に行くとすると、たとえば、デリー門を通ります。 正確に言うと現在デリー門は史跡ですから実際にはくぐれません。横目に見るのです。デリー門を「くぐると」もうそこはムガル帝国首府の城郭の中。まっすぐ行くとキラー城とチャンドニーチョークのぶつかるあのT字路に出ます。


縮尺がちょっと変かな? このバーは1.5kmくらいかな?

■参考過去記事
ラールキラー(キラー城)

チャンドニーチョーク探索

▼皇帝の責務について;

(引用)
終戦の日まで、いや、いわゆる「人間宣言」まで日本国民にとっての現人神であった昭和天皇が、まるで愛想の良い外交官のように振舞っている。私は痛々しく感じるとともに、昭和天皇が日本と皇室を守ろうとした努力に思いを馳せる。先帝のなさったことを「必死の生き残り策」とか「権謀術数」「マキャベリズム」と呼ぶのは不敬もいいところだ。だが、そう言いたくなるほど昭和天皇は懸命に戦っておられた。


リアリズムと政治力と無私の心兼ね備えていた「大政治家」昭和天皇に私は畏敬の念を抱く。

(引用おわり)
from 45年9月25日  玄倉川の岸辺

ひろひとさんのことを、畏れ多くも、考えるに、ここ数日はムガル帝国の最後の帝・バハードゥル・シャー2世 の行動を参照。インド大反乱のクーデターで担がれた帝・バハードゥル・シャー2世のすぐさまとった行動のひとつが英国駐留軍への、このクーデターに我関せず、という手紙の送付であった。

■対米開戦が決定した後の御前会議のあと、大臣をして、駐日グルー米国大使へ、対米開戦にひろひとさんは反対した、と内通させたのは、対米敗戦を読んでの皇帝の用意周到な布石だと考えるのは、うがちすぎであろうか?

●さて、ひろひとさんが対米開戦を望んでいなかったことの、証左が御前会議での むつひとさんの御製、例の「よもの海」詠み「パップニング」である。

でも、どうだんだろう? この「よもの海」詠み「パップニング」こそ、用意周到・あいまい・両義性的行動に他ならない。 なぜなら、この「ハプニング」は上記のごとく平和主義・ひろひとさんの証左ともなりうる。しかし前例として、むつひとさんが「和平希求」の御製を詠んでも、内閣は戦争を実行しうるのあるから(日清戦争だか日露戦争)、そんな歌詠みは、お約束の儀礼にしか過ぎないと、昭和の帝国軍人は「呑んで」かかっていたに違いないのである。もし戦争に勝っていたら、むつひとさんが、日清戦争だか日露戦争に、本当は、反対であったというエピソード同様、ただの思い出にとなり、偉大な戦勝皇帝になったのである。

▼つまりは、皇帝のお仕事は「リスクヘッジ」なのであって、すべての卵をひとつのかごに入れてはいけないように、帝さまの身の振り方は単線であってはならないのである。




Prasad, grace of god

2007年04月28日 20時30分09秒 | インド・3回目・シンガポール


勝手に入り込んだお寺、Visit to India at the third time で、もらったお供え物のおすそ分け、たぶん。 この後、一緒に働いているインド人に、画像を見せて、これは何か?と訊くと、prasad とのお答え。Prasad とはなんぞや?とさらに尋ねると、 grace of god とのお答え。 それで、お供え物のおすそ分け、と判断した。

Wikipedia によると、

Prasāda is both a mental condition of generosity, as well as a material substance that is first offered to a deity (in Hinduism) and then consumed (Hinduism and Sikhism).  Wikipedia, prasad

つまりは、このお菓子の名前ではないようだ。

地は小麦で、砂糖と煮詰めて作ってあるみたい。 インド人と話すと甘さは幸せの象徴であり、お供えものとしてふさわしいとのこと。 その時、日本というのは、特に近代以前は砂糖が極めて少なく、ほとんどの日本人は砂糖や甘さというものに縁がなかったのだよと説明する。 

でも、その時、気づいたのであるが、仏壇やお墓へのお供え物は、落雁やおはぎ、ぼた餅など甘いものではないか! どうやら、砂糖や甘さは仏教とともに日本に来たらしい。

■とまれ、繰り返すと近代以前の日本で砂糖は貴重品で庶民の口にはほとんど入らなかったであろう。そういう砂糖に無/微縁の日本で、当っているのか、いか@さまなのかわからないが、日本人論として「甘えの構造」論がある。 「甘えの構造」の英訳は、The Anatomy of Dependence である。依存の解剖学。 皮肉じゃないか。 砂糖をめったに口にすることが出来なかった日本人の精神構造が、甘えの構造。その症状は、independence未達症候群。 それとも近代になって砂糖と出会い、addictionになったんだべか?

つまりは、これだ。

砂糖をめぐる冒険 与太話は、続く。


こうやって、配っていたのでした。


祭壇



The Anatomy of Dependence / 甘えの構造



An old car never die, it just running away!

2007年04月27日 20時07分26秒 | インド・3回目・シンガポール



An old car never die, it just running away!


google  

ヒンドゥスタン・アンバサダーは、インドのヒンドゥスタン・モーターズ(Hindustan Motors Limited、略称:HM)が1958年から2014年まで生産した自動車で、インドの国民車として知られる。(wiki)

■ なぜ、立命館?

温首相のパフォーマンスの一部が立命館大学で行われたことで、おいらがピンと来たのは、これは 西園寺コネクション だろう、ということ。

立命館「大学」の建学の祖は、西園寺公望に他ならず、その愚孫・公一はゾルゲ事件に連座するばかりか、戦後は中共・北京に長く滞在した御仁であることはいうまでもない。

Google;西園寺公一

そのまた愚息・西園寺一晃は、おやじ殿と北京で、文革黎明期を過ごし、北京・文革体験記を出版、さらにおいらのネタのためにか、朝日すんぶんの記者であったのはいうまでもない。

NHK朝日新聞バトル。でも貴公子さまがすき。

における、細川(近衛)に次ぐ、another sample である。

Google; 立命館 西園寺一晃

▼岩倉具視の愚孫・靖子は、華族赤化事件で、とっ捕まり、自害した。

彼女こそ、クーデターで国家を転覆させ、いかさま@日帝を作った具視の正嫡に他ならない。

おいらの探訪1. 京都岩倉 実相院

おいらの、京都・岩倉探訪録; 京都岩倉 実相院 2 『京都岩倉実相院日記』

Google; アカ (紅葉の アカ ちゃうで) 岩倉靖子

■これを右翼といふも可、左翼といふも可なり、いわゆる皇室の藩屏は国体の衣を着けた共産主義者なり。





へびのきもち golgappa

2007年04月26日 23時29分44秒 | インド・3回目・シンガポール
Snake's Heart  -ヒトと愛蛇の生活総合誌-

インド人はへびの気持ちを味わいたいらしい。

へびは、生卵をまる呑みする。呑んだ後卵の殻を割り、どろりとあふれだす中身の液状黄身白身を口の中で味わう。

それを模したのが、インド料理、golgappa.



殻、中が空洞のクリスピーボールを準備。


汁を入れる。すっぱからい微妙な味。


呑み込み用の模擬生卵の完成。 一気にお口に放り込みます。

Google; golgappa

Google Image; golgappa