いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

中華街 -横浜②-

2006年10月10日 21時16分41秒 | 東京・横浜

お昼は中華街で頂きました。 安全を考えてか、防御が厳重な上で運動会をしていた学校を垣間見ました。孫文先生の肖像を掲げていました。防御ネットのため不鮮明になってしまいました。


牛肉飯、780円をいただきました。少し、ハッカクの香りが、おいらには、強すぎました。


横浜中華街は2-3度目ですが、いつも混んでいますね。


これは中華街で見つけた壁の装飾ですが、典型的な清朝スタイル(だと思う)。だって、北京の故宮にたくさんある。上記の学校は中華民国派、そして建国95周年を祝っているということは、清朝に対する革命派ということです。そこで、倒れた清朝の亡命人士というのはどうしたのでしょう?みんな満州に行ったのかな?

清朝やロシアなど帝国が崩壊したあと、小樽・横浜・神戸などの港街には亡命してきた人が住んだ。清朝やロシアなど帝国崩壊の引き金は日帝が弾いた。日清・日露戦争。

日帝が「敗北」した時、引き上げで本国に帰った人は膨大だけど、亡命した人がいるとは聞かない。あえて言えば、辻政信と「水島上等兵」くらいか? これはやはり皇帝が「安泰」だったからだろう。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ムルデカ17805 (えの)
2006-10-11 16:31:56
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20051127.html

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
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うん、なるほど (いか@)
2006-10-11 23:37:58
インドネシア、ベトナムなど残留軍人かつ業績あげた例はおおいですね。



一方、サヨ方面では(?)、蟻の兵隊http://www.arinoheitai.com/

が、はやっているそうです。



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