― たとえば「小さな政府」と「大きな国防」をめぐる議論において次第に目立ちはじめているのは、大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性である。―
- 今朝のラズベリー -
■上記の引用は1980年に"大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性"を見た西部邁のもの(西部邁、「林達夫の達観」1980年、初出は雑誌『現代思想』、現在は『大衆への反逆』(1983年、文芸春秋社)に所収)。今週末、20年前に梱包、保管していた段ボールを明けた。タイムカプセルだぜ。西部邁の『大衆への反逆』(1983年、文芸春秋社)も出てきたので、しばし読み耽る。
西部は1980年の時代の気分を開戦前夜の林達夫の絶望になぞらえ嘆き、憤っている。
まずは、林達夫の「歴史の暮方」からの引用;
絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかもしれない。しかし、もう三年も五年も前から何の明るい前途の曙光さえ認めることができないでいる。誰のために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさっぱりわからなくなってしまっているのだ。この自分の眼にしっかりと何かの光明を掴むために、何かの見透しを持ちたいために、調査室の書棚の前に立ったし、研究会のテーブルの周りにも腰かけてみた。私には、納得の行かぬ、目先の暗くなることだらけである。いや、実はわかりすぎるほどよくわかっているのだ。受け付けられないのだ、無理に呑み込むと嘔吐の発作が起きるのだ。私のペシミズムは聡明さから来るものではなくして、この脾弱い体質から来る。先見の明を誇ろうなどという気は毛頭ない。そんなものがあればあるで、自分の無力さに又しても悩みを重ねなければならないであろう。
この林の文章は1940年6月初出。文章中の研究会とは林達夫が参加していた昭和研究会 (ウイキ) のことに違いない。そして、1940年6月には昭和研究会は解散寸前。解散の理由は大政翼賛会発足 (ウイキ) のためである。そもそも昭和研究会は近衛文麿のブレーンの後藤隆之介が作った組織で、後藤が大政翼賛会の"事務総長"になるので自ら潰した。
さて、西部がこの林の昭和研究会でのグチの回想をよりどころに、「小さな政府」と「大きな国防」をめぐる議論において次第に目立ちはじめているのは、大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性」と、これまた深刻ぶって愚痴っている時期に、西部は大平正芳総理大臣の「ブレイン機構」に参加している。その会での報告書が同書(『大衆への反逆』)に所収されている。おもしろい。例えば;
経済について
経済成長は虚妄であるということについて貴方に同意してもらわなければならない。
Amazon: 大衆への反逆 (今、絶版なんだね)
といきなり経済成長への懐疑。つまり、大平内閣、自民党は経済成長を放棄するはずもないのであるから、そんな会議で経済成長への懐疑を主張したのだろうか?もちろん、西部の主張は一貫していて、経済成長停止・鈍化に伴う失業者の増大についての策を細かく論じている。(今こそ、この西部案を!)まさしく、また逆に、新古典派を批判し、それを超えた社会諸科学の「超学的協同」を提唱する論者すら、そうした知の協同が描き出す円環と脱成長段階の社会(新たな「冷たい社会」?)の円環とが美しく共鳴しあうという宗教的なヴィジョンを語り、エピクロスの園の幸福への希求を口にしてしまうのである。
とまれ、政権中枢?にいた西部は、同じく政権中枢?にいた林の開戦前夜の気分と1980年の気分が同じだと言い、さらに林達夫の身の処し方に憧れに近い共感を示している。たとえば;
そんなことよりも、経済の単方向において大国に膨れ上がった我が国の現状にあっては、林氏のように「こころ暗さ」を感じることすら難しく、また林氏のようにラヴェンダーの栽培によって矜持を保つ機会すら奪われているのではないかと私は思う。
■歴史は夜作られる
ラベンダーを栽培しているのだの、マロニエの手入れをしているのだの、あるいは「鶏を飼い始めたよ」というのが挨拶がわりだの、あるいは;
生きる目標を見失うということ、見失わされるということ― これは少なくとも感じ易い人間にとってはたいへんな問題である。我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか― そんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、暫くは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。「よろしくやってゆける」人間は仕合せなるかだ。だが、そんな人間の余りに多すぎるというそのことが、私にとってはまた何ともいえぬ苦汁を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。
との林達夫の"プロパガンダ"にマンマと乗せられているのが、1980年の西部邁ではある。「歴史の暮方」は戦後も刊行され、"知識人"に"ファシズムへの抵抗"としてもてはやされていたらしい。
しかしながら、林達夫は戦時中、仕合せにも、「よろしくやって」いたのである。
そして、戦後はそのことについて一切口を拭ったまま死んでいった。
Amazon: 戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々 ↑軍刀、長すぎない!?(軍人と林達夫)
参謀本部発注のプロパガンダ雑誌を作っていた。 FRONT(フロント)とは、国策により東方社から、戦時下の1942年から1945年までに10冊が出版された大日本帝国の対外宣伝(プロパガンダ)グラフ誌(刊行されたのは9冊)。号によるが、創刊号は15か国語で翻訳・刊行された。
すんごい cool! こんなの→幻のグラフィックデザイン誌:FRONT
あるいは、→グラフィックデザインは戦争が作った
■ なぜ、ぬっぽん・いんてりは間抜けなのか?
かんたんに「戦争協力」ということばで片付けることはできない、
そーかい。そな、複雑でもいいから片付けてくれや。でも、戦後ずーっと口をつぐんできたんだから、後ろめたいんだべさ。
皇国庶民の爪のアカでも煎じてのめや;
事件後十九余年を経た後も、少しの悔いもないとの証言を残している。
- - すでに死んでいるに等しい退嬰的民族、それが日本人である。- -
中川八洋 『地政学の論理』p244

■日曜日、吾妻の友朋堂に行く。つくばには友朋堂が何軒かあり、かつ品揃えが微妙に違う。吾妻店の品揃えが気に行っているので、店は小さいけど、結構行く。(今ネットでしらべたら、吾妻店が本店だと知る。)特に気にっている点は、中川八洋センセの新刊が出ると平積みになること。つくば市内のある大型書店では、刊行されたはず新著を見つけられないこともしばしばだった(くまざわ書店だよ)。そんな時も、吾妻の友朋堂に行けばよかった。『山本五十六の大罪』も刊行の報せを受けて、買いに行った。買えた。
■そんな昨日、ふらりと、吾妻の友朋堂に行くと、中川八洋センセの新刊が平積みにしてあった。出たなんて知らなかった。当然、購う。テーマは、最近勃興の支那帝国の大脅威では全然なくて、八洋センセの仇敵たるロシア。サブテーマとしての同業者への乱射も、いつもどおり、圧巻です。
■この本の刊行日は、2009年5月31日となっている。刊行当日。それにしても、いつも謎なのが、八洋センセの本が出るとすぐにアマゾンに書評が付くということ。今回も:Amazon:『地政学の論理』。いつも同じ人のわけでもなさそうである。八洋センセの本よりよっぽど売れているはずの本でもひとつも書評のない場合もあるのに。やっぱり、人気者なんだね、八洋センセは。
■ ちっぽけな、つっこみ。
この意味で、昭和天皇の偉大さは、わが日本国の皇統二千年史における”史上稀なる大帝”であられただけでない。国際政治を透視する炯眼の精密性と広域性は、高感度の人工衛星から地球を鳥瞰するがごとくで、天才政治家W・チャーチルをも超えておられたともいえよう。また昭和天皇がもし軍人であられれば、(意略:ロシアから自国フィンランドを)奇跡的に守ったマンネルヘイム元帥をも凌いでおられたかもしれない。

大元帥だよ。
▼ -おまけ-
- - 蛇足だが、六十歳を越えてなお、学術業績ゼロの中西輝政の、....(以下略)『地政学の論理』p240 - -
どうでしょう?
Google scholar: Terumasa Nakanishi
Google scholar: Yatsuhiro Nakagawa
中川八洋 『地政学の論理』p244

■日曜日、吾妻の友朋堂に行く。つくばには友朋堂が何軒かあり、かつ品揃えが微妙に違う。吾妻店の品揃えが気に行っているので、店は小さいけど、結構行く。(今ネットでしらべたら、吾妻店が本店だと知る。)特に気にっている点は、中川八洋センセの新刊が出ると平積みになること。つくば市内のある大型書店では、刊行されたはず新著を見つけられないこともしばしばだった(くまざわ書店だよ)。そんな時も、吾妻の友朋堂に行けばよかった。『山本五十六の大罪』も刊行の報せを受けて、買いに行った。買えた。
■そんな昨日、ふらりと、吾妻の友朋堂に行くと、中川八洋センセの新刊が平積みにしてあった。出たなんて知らなかった。当然、購う。テーマは、最近勃興の支那帝国の大脅威では全然なくて、八洋センセの仇敵たるロシア。サブテーマとしての同業者への乱射も、いつもどおり、圧巻です。
■この本の刊行日は、2009年5月31日となっている。刊行当日。それにしても、いつも謎なのが、八洋センセの本が出るとすぐにアマゾンに書評が付くということ。今回も:Amazon:『地政学の論理』。いつも同じ人のわけでもなさそうである。八洋センセの本よりよっぽど売れているはずの本でもひとつも書評のない場合もあるのに。やっぱり、人気者なんだね、八洋センセは。
■ ちっぽけな、つっこみ。
この意味で、昭和天皇の偉大さは、わが日本国の皇統二千年史における”史上稀なる大帝”であられただけでない。国際政治を透視する炯眼の精密性と広域性は、高感度の人工衛星から地球を鳥瞰するがごとくで、天才政治家W・チャーチルをも超えておられたともいえよう。また昭和天皇がもし軍人であられれば、(意略:ロシアから自国フィンランドを)奇跡的に守ったマンネルヘイム元帥をも凌いでおられたかもしれない。

大元帥だよ。
▼ -おまけ-
- - 蛇足だが、六十歳を越えてなお、学術業績ゼロの中西輝政の、....(以下略)『地政学の論理』p240 - -
どうでしょう?
Google scholar: Terumasa Nakanishi
Google scholar: Yatsuhiro Nakagawa

Amazon; 中谷巌 『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』
二重の観点から なんだかなー と言わざるを得ない。
第一が1970年代中盤から近代科学批判、ひいては近代経済学、もっといえば新古典派経済学批判があったにもかかわらず、それらの批判に目もくれず、市場至上主義的行為に耽り、あまつさえ政府中枢にあって市場至上主義的社会建設に淫したこと。
例えば、微例ではあるが、中谷が米国で新古典派経済学を習得して来て、日本の大学で教え始めたという1974年にはすでに、西部邁が「正統派経済学の限界」(1974年)、「虚構としての「経済人」(1973年)」として雑誌論文に書き、1975年には『ソシオエコノミックス』として単行本化されている。この『ソシオエコノミックス』には、中谷の『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』における資本主義批判でダシにされているポランニーの『大転換』の書評とポランニーの見るべきところと「限界/問題点」が書いてある。(このポランニーの「限界/問題点」こそ中谷の『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』には書いてないことである。つまり中谷は情動的に達成したい目標ができた刹那その達成への手段を吟味・批判することなく使うのである。)
さらに、中谷は最近米国に行き中産階級の没落に気づいたようなことを書いているが、1995年に『現代アメリカの自画像 行きづまる中産階級社会』として米国事情は日本に紹介されている。上記本は1990年前後に出版された米国人のアメリカ没落についての書籍のまとめである。中産階級の没落はなにもグローバル資本のせいでもなく、中産階級をも含むアメリカ人がリベラルを嫌悪した結果、中産階級への給付が減り生じたものらしい。
ただし、新自由主義の結果、つまり、レーガノミクスの結果、米国中産階級が没落したと言ってもよいかもしれない。そうであるならば、中谷が小渕内閣(1998-1999)の政府の策に参画した時点では、上記本やそもそも米国での報告で公知であった。新自由主義が中産階級を没落させるという結果が出ていたにもかかわらず、小渕内閣で新自由主義政策を提言していたのだ。
つまりは、当時、中谷って何にも勉強せなんで、ハーバードで習ったことだけを展開していたんだ。別に新古典派の信条を変えなかったことが悪いわけでも、批難したいわけでもない。ただ、なぜ今急に気づいたがごとき態度をとるのかということである。なぜ中谷が「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力(西部邁)」をせずにこれまできたのか説明がないのに、懺悔だとか書くおかしさがこの本の欺瞞性の象徴である。
第二に、その市場至上主義的社会建設に破綻の兆候が見えると、突然近代社会批判に目覚め、非近代社会、つまり時間的には過去の歴史的日本、地理的にはブータンだのキューバだのに感銘を受け絶賛する。これら「経験的」近代嫌悪に加え、近代文明批判の思想であるポランニーを無批判に援用し、市場至上主義的社会の悲惨を嘆き、市場至上主義的社会の特徴である土地・労働の商品化を呪う。この次へ向けての前向きな姿勢こそ今の中谷の溌剌の源泉である。そして、それがとてつもない愚かなことと言わざるを得ない。そして、それは30年前に予言されていたバカ者に他ならない。
◆30年前に予言されていたバカ者
おいらがぐちぐち言っても説得力がないので、約30年前の1981年に今の中谷のような絵に描いたようなおバカについての文章があるので、上記2点についてそれぞれ引用する。全文は後で示す。
第一の点;
現代の経済学の主流をなす新古典派は限界革命の伝統をうけついでいるが、その主な論点は、一定の技術的な仮定をおけば、完全競争のもとで個々人が全く独立に利己的利益を追求することがそのまま社会的なバランスと両立する点が存在し、しかも、その点がパレートの意味で最適であるということを、厳密に証明しうるというものである。この命題やその系(コロラリー)が、自由貿易や独占禁止といった政策に「応用」されもするが、むしろ、コスモス―ノモスという安定的枠組を失った近代社会に対し、知の平面において調和的構図を提示することにより、現実の平面においてそれに対応する調和の幻想を与えるという、宗教的ないしイデオロギー的な機能の方が、はるかに重要だろう。実際、現実の不均衡が覆い隠しようもなくなり、危機を回避するための技術知への要請が緊急性を増してはじめて、新古典派のヴィジョンとは矛盾する点を多々含んだケインズ政策が登場したわけだが、危機が過ぎ去ってしまうと、そのケインズ理論も、とりあえずは「新古典派綜合」というギクシャクした形で調和的ヴィジョンの側に回収され、さらに最近では、「新古典流綜合」さえ批判して純然たる新古典派に回帰しようとする動きも目立っているのだ。イデオロギー的機能の重要性のひとつの証左であろう。
第二の点;
ここで、しかし、超越的な基準に立って「近代批判」を試みても仕方がない。そもそも、喪われた至福との距離によって現在を断罪し、始源の透明の回復を希求することは、定義により「反動的」である。「冷たい社会」を理想化しその再現を願うことなど論外として、より一般的なのは、「自然状態」を絶対化し、そこからの堕落を告発しつつ、高次元でのそこへの回帰をめざすという戦略、ルソーを始めとする疎外論的思考によって語られてきた戦略である。現実に対してユートピアを突きつけることによる批判力は認めよう。けれども、始源にあったのはカオスだということ、より正確に言うと、始源を求めて遡ったとき見出されたのは始源からのズレにほかならなかったということを知った以上、もはや、喪われた至福の世界、あるべき姿の世界を信ずるわけにはいかない。少なくとも、自然回帰や肉体礼讃がやすやすとファシズムに傾斜していった過去を知る者は、しなやかな心と体を介したコスモロジカルな全体性の回復を説いたり、コンヴィヴィアリティ――大仰な訳語があるようだが、結局、自然や他者と共にいきいきと生きることであろう、しかし、それが不可能だからこそ象徴秩序が要請されたのではなかったか――などという御題目を唱えたり、それほど楽観的ではないにせよ、カオスの象徴秩序への叛乱に賭けたりする前に、「英知においては悲観主義者たれ」というグラムシの言葉を銘記する必要があろう。
一方、近代社会に対し諸々の異なった象徴秩序を並置してみせることですべてを一様に相対化するという戦略も無効である。実際、一定のリジッドな象徴秩序を持たないことを特質とする近代社会は、それ自身、他の諸々の象徴秩序なりパラダイムなりを相対化し、あまつさえそれらをパック化・商品化するだけの怪物的力量を備えているのである。ドクルーズ=ガタリの言うように、古いコードを脱コード化(デコデ)することで成立した近代社会は、他の様々のコードを解読する(デコデ)ことに長けてもいる。異質な体系を突きつけてみても近代社会は微動だにしない、むしろ、近代社会とはレヴィ=ストロースの本を買いパック旅行を買うことで異質な文化との出会いを手軽に体験できるような社会であり、ローカルなパラダイムの相克によって学問の「進歩」を加速してきた社会なのである。
どうです、新古典派経済学を(没批判的に)習得し、経済成長のためのイデオローグとなり、破綻したとたん、ブータンだ!、縄文・弥生だ!、なんだ!、かんだ!って、溌剌としてるけど、バカ丸出しの中谷巌センセそのものじゃあーりませんか!
引用元は、浅田彰の、《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み ――千の否のあと大学の可能性を問う―― 。
■

「バカを見るならこれを読め!」
● 関連記事;なぜ軍国教師は自壊せず、溌剌としているのか?
見えない自由がほしくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
- - ブルーハーツ TRAIN-TRAIN - -
■ 今回も、乱射しまくりだよ。

以前に中川センセの乱射ぶりに言及させていただいてからはや2年、ご無沙汰していました。 実は去年、『亡国の東アジア共同体』を出版され、古田博司センセなどを乱射していましたが、愚ブログで言及する機を逃しました。 今回は先月上梓されました『亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像、山本五十六の大罪』です。今度は、旬を逃さぬように必死でフォローしました。前作に続き、亡国系です。今じゃ、元反日武装戦線の活動家、つまりは元亡国の徒の極致が、八洋センセの信者なので、亡国シリーズははずせません。
■ いきなり、愚ブログを直撃か!
山本五十六は、産まれも壮年となっての生き様も家庭も、何もかもが、戊辰戦争の敗者側の「賊軍」のそれであった。「山本五十六は、長岡藩そして会津で散った山本帯刀の恨みを晴らすべく、たった一人で、戊辰戦争の勝者が創った国家もろとも紅蓮の炎のなかで破壊し焼き尽くす、国家叛逆の復讐戦として対米戦争をした」という仮説は、精神医学的には、成り立ちえよう。
(参照;長岡藩・戊辰戦争に関する愚ブログ記事「また、君か! 岩村高俊 」)
そうか、やっぱ、おいらは五十六長官の徒だったのだ。 なぜなら、おいらは、この写真こそ、近代日本で一番好きなものであるから。
一面の廃墟と、すめろぎ様。 これが、近代ぬっぽんの結果だ! ってかんじ。
ホント、あの世に行ったら、大久保や山縣に、この写真を見せて、
これが、おまえたちの創ったクニの、なれの果てだぜ!と言ってやりたい。
それが、おいら(@なんちって奥羽越列藩同盟残党=旧朝敵)の、夢だっちゃ。
▼ ベタに答える
八洋センセは、ブログでの、冴えた つっこみ にも、ベタで返す。
つっこみ;本屋で中川八洋が福田和也を批判した本をみつけ、パラパラ立ち読み。福田のことを和也と記しているので、ふたりは生き別れになった親子なのだと知れる。そう、これは父親から息子へ送る、激しい絶縁の書なのだ。かつてひたすらにソ連の脅威を煽りたてていた政治学者中川八洋は、ソ連崩壊後、新たに湧き興る左翼勢力との闘いに備え、現代思想を極め尽くしていたようだ。ポストモダン思想なんてソ連と同じくとっくに崩壊していたと思えば、さにあらず、新勢力は保守派になりすまして論壇に棲息していた。その代表が、和也というわけだ。中川の和也への批判は容赦なく、そのすさまじい熱にうかされたような文章はとうていこんなところで紹介できるものではなく、和也の、自分だけが芸達者と思っているような愚にもつかない駄文とは格がちがう。ただちに書店に走り、立ち読みし、何も考えず、ただ感じてほしい。こいつはモノホンだ、と。
聖なるブログ 闘いうどんを啜れ; 偉大 崇高 中川八洋!
べたボケ;by 八洋センセ 福田とは、ポスト・モダン系アナーキストとして、フーコーが日本で産んだ「フーコーの息子」ともいえる。
と、ご丁寧に、わが息子にあらず、とご説明あそばしている。
● 乱射録
1. 共産党系でKGBの工作員の工藤美代子
2. 阿川(阿川弘之)の長男(阿川尚之、慶大教授)は、無教養でいっさいの学問業績がないが、業績をもつ一流学者の悪口を言いふらす問題人格の人物である。商売のためなら嘘と偽りを躊躇わない父親の遺伝なのだろうか。
などなど、これはほんのさわりで、全ページ、乱射しまくりです。
●蛇足
それにしても、「無教養でいっさいの学問業績がないが、業績をもつ一流学者の悪口を言いふらす問題人格の人物である。」って。 ってことは、中川八洋さんという筆名は「阿川弘之」のものってことか?
■ で、表題の「サタンは現象する。」は何かって。
八洋センセの思想的故郷は、やっぱ、あっち方面なのでしょうね。
この世は、サタンとの闘いであると。 冷戦終焉前は、サタンは左端という、まんまでOK。 でも、今後対米英戦争をする可能性がある最大のぬっぽんでの勢力は、サタンではなく「右端」なので、右端の過去の赫々たる業績に結び付かなかったが、 狂人 強靭な意志で、やっちまった対米戦争と同様なことが今後起こることへの火消しが、任務なのだろうと。
つまり、中川センセの大原則は、対米戦争はいけない。 でも、過去に対米戦争は生じた。 その原因・本質は、「悪魔」である。 なぜなら、対米戦争など起こってはいけないからである。 その「悪魔」は、コミンテルンの手先のゾルゲ、尾崎そして、近衛である。 それだけでは対米戦争をした悪魔が役不足なので、亡国の日帝海軍が八洋センセに召喚されたのである。
八洋センセの頭脳の中では、「本質は現象する」という枠組みがあり、関心のあるあってはならない対米戦争では、悪魔が現象した、という認識(哲学)なのである。
その悪魔が何か?というのが、八洋センセのライフワークである。
■
Amazon 山本五十六の大罪―連合艦隊司令長官 亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像 (単行本)
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
- - ブルーハーツ TRAIN-TRAIN - -
■ 今回も、乱射しまくりだよ。

以前に中川センセの乱射ぶりに言及させていただいてからはや2年、ご無沙汰していました。 実は去年、『亡国の東アジア共同体』を出版され、古田博司センセなどを乱射していましたが、愚ブログで言及する機を逃しました。 今回は先月上梓されました『亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像、山本五十六の大罪』です。今度は、旬を逃さぬように必死でフォローしました。前作に続き、亡国系です。今じゃ、元反日武装戦線の活動家、つまりは元亡国の徒の極致が、八洋センセの信者なので、亡国シリーズははずせません。
■ いきなり、愚ブログを直撃か!
山本五十六は、産まれも壮年となっての生き様も家庭も、何もかもが、戊辰戦争の敗者側の「賊軍」のそれであった。「山本五十六は、長岡藩そして会津で散った山本帯刀の恨みを晴らすべく、たった一人で、戊辰戦争の勝者が創った国家もろとも紅蓮の炎のなかで破壊し焼き尽くす、国家叛逆の復讐戦として対米戦争をした」という仮説は、精神医学的には、成り立ちえよう。
(参照;長岡藩・戊辰戦争に関する愚ブログ記事「また、君か! 岩村高俊 」)
そうか、やっぱ、おいらは五十六長官の徒だったのだ。 なぜなら、おいらは、この写真こそ、近代日本で一番好きなものであるから。
一面の廃墟と、すめろぎ様。 これが、近代ぬっぽんの結果だ! ってかんじ。
ホント、あの世に行ったら、大久保や山縣に、この写真を見せて、
これが、おまえたちの創ったクニの、なれの果てだぜ!と言ってやりたい。
それが、おいら(@なんちって奥羽越列藩同盟残党=旧朝敵)の、夢だっちゃ。
▼ ベタに答える
八洋センセは、ブログでの、冴えた つっこみ にも、ベタで返す。
つっこみ;本屋で中川八洋が福田和也を批判した本をみつけ、パラパラ立ち読み。福田のことを和也と記しているので、ふたりは生き別れになった親子なのだと知れる。そう、これは父親から息子へ送る、激しい絶縁の書なのだ。かつてひたすらにソ連の脅威を煽りたてていた政治学者中川八洋は、ソ連崩壊後、新たに湧き興る左翼勢力との闘いに備え、現代思想を極め尽くしていたようだ。ポストモダン思想なんてソ連と同じくとっくに崩壊していたと思えば、さにあらず、新勢力は保守派になりすまして論壇に棲息していた。その代表が、和也というわけだ。中川の和也への批判は容赦なく、そのすさまじい熱にうかされたような文章はとうていこんなところで紹介できるものではなく、和也の、自分だけが芸達者と思っているような愚にもつかない駄文とは格がちがう。ただちに書店に走り、立ち読みし、何も考えず、ただ感じてほしい。こいつはモノホンだ、と。
聖なるブログ 闘いうどんを啜れ; 偉大 崇高 中川八洋!
べたボケ;by 八洋センセ 福田とは、ポスト・モダン系アナーキストとして、フーコーが日本で産んだ「フーコーの息子」ともいえる。
と、ご丁寧に、わが息子にあらず、とご説明あそばしている。
● 乱射録
1. 共産党系でKGBの工作員の工藤美代子
2. 阿川(阿川弘之)の長男(阿川尚之、慶大教授)は、無教養でいっさいの学問業績がないが、業績をもつ一流学者の悪口を言いふらす問題人格の人物である。商売のためなら嘘と偽りを躊躇わない父親の遺伝なのだろうか。
などなど、これはほんのさわりで、全ページ、乱射しまくりです。
●蛇足
それにしても、「無教養でいっさいの学問業績がないが、業績をもつ一流学者の悪口を言いふらす問題人格の人物である。」って。 ってことは、中川八洋さんという筆名は「阿川弘之」のものってことか?
■ で、表題の「サタンは現象する。」は何かって。
八洋センセの思想的故郷は、やっぱ、あっち方面なのでしょうね。
この世は、サタンとの闘いであると。 冷戦終焉前は、サタンは左端という、まんまでOK。 でも、今後対米英戦争をする可能性がある最大のぬっぽんでの勢力は、サタンではなく「右端」なので、右端の過去の赫々たる業績に結び付かなかったが、
つまり、中川センセの大原則は、対米戦争はいけない。 でも、過去に対米戦争は生じた。 その原因・本質は、「悪魔」である。 なぜなら、対米戦争など起こってはいけないからである。 その「悪魔」は、コミンテルンの手先のゾルゲ、尾崎そして、近衛である。 それだけでは対米戦争をした悪魔が役不足なので、亡国の日帝海軍が八洋センセに召喚されたのである。
八洋センセの頭脳の中では、「本質は現象する」という枠組みがあり、関心のあるあってはならない対米戦争では、悪魔が現象した、という認識(哲学)なのである。
その悪魔が何か?というのが、八洋センセのライフワークである。
■
Amazon 山本五十六の大罪―連合艦隊司令長官 亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像 (単行本)
先日本屋に行って、下記の本を発見。もう随分前からこういう「入門書」はやめよう、解説書もやめよう。少しでも原典そのものを読もうと、自分に課しているつもりなのだが、ついつい手にとって見てしまう。触る前は、絶対買わないと思ったが、なんとボダンの解説があるではないか。
おいらはジャン・ボダンの詳細をしらない。だから、以前から気になっていつかは調べたいと思っていた。ジャン・ボダンは今のこの世界の混乱の元凶である、国家主権、あるいは主権概念を案出した人とされているからである。
著作の邦訳はなし。ボダンに関する日本人研究者による日本語の本は品切れ。という自己言い訳をして贖う。

哲学の歴史 4 15-16世紀 (4) (単行本)
■
いまのところの聞きかじりによると、ボダンの主権の定義は、慣習法を含むすべての法を自分の意志で改廃し、自分は法に拘束されることはない、っていうんだけんども、もす、そうだとしたら、日本史上にはそんな御仁や組織はひとりたりとも登場したことはないざんす。
■
征夷大将軍―もう一つの国家主権なんかみると、天皇主権と並び、それを置きかえるに至った政治主権、とか書いてある。並んだり、置き換わったりするのは、少なくとも、ボダンの定義する主権とは違うのだろう。日本語の主権って何だ? ちなみに、置き換わりの天王山は、家康による、禁中並びに公家諸法度。つまりは、東国の征夷大将軍こそ、この戦後民主主義のさきがけなのだ、といいたいばかりの生臭い本。
「そもそもこういう法律を制定したことが画期的であって、この形式それ自体が日本史上の革命憲法に相当するのである。」

うんこもぐした、革命家
●
そんで、そう、もちろん話しの行き先は、国民主権。 上記定義だと、国民に主権なぞあろうはずがないよね。
A sophisticated majestas chaseはすすむかな。
おいらはジャン・ボダンの詳細をしらない。だから、以前から気になっていつかは調べたいと思っていた。ジャン・ボダンは今のこの世界の混乱の元凶である、国家主権、あるいは主権概念を案出した人とされているからである。
著作の邦訳はなし。ボダンに関する日本人研究者による日本語の本は品切れ。という自己言い訳をして贖う。

哲学の歴史 4 15-16世紀 (4) (単行本)
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いまのところの聞きかじりによると、ボダンの主権の定義は、慣習法を含むすべての法を自分の意志で改廃し、自分は法に拘束されることはない、っていうんだけんども、もす、そうだとしたら、日本史上にはそんな御仁や組織はひとりたりとも登場したことはないざんす。
■
征夷大将軍―もう一つの国家主権なんかみると、天皇主権と並び、それを置きかえるに至った政治主権、とか書いてある。並んだり、置き換わったりするのは、少なくとも、ボダンの定義する主権とは違うのだろう。日本語の主権って何だ? ちなみに、置き換わりの天王山は、家康による、禁中並びに公家諸法度。つまりは、東国の征夷大将軍こそ、この戦後民主主義のさきがけなのだ、といいたいばかりの生臭い本。
「そもそもこういう法律を制定したことが画期的であって、この形式それ自体が日本史上の革命憲法に相当するのである。」

うんこもぐした、革命家
●
そんで、そう、もちろん話しの行き先は、国民主権。 上記定義だと、国民に主権なぞあろうはずがないよね。
A sophisticated majestas chaseはすすむかな。

■ブックオフとか同じコンセプトの「古本屋」には、100円コーナーというのがある。もっとも最近では税込みなので105円ではあるが。ブックオフとか数件回るとぼろぼろというかザクザクというか<貴重な>100円ゾッキ本が手に入る。今日はそんな100円ゾッキ本4冊で角栄・ニクソン・毛沢東を。
■ねた本の紹介;
①『田中角栄と毛沢東』青木直人 2002年
②『自主外交の幻想』山本満 1974年
③『多極世界の構造』永井陽之助 1973年
④『日本外交の軌跡』細谷千博 1994年
①『田中角栄と毛沢東』青木直人は最近の本で、角栄が中国接近したばっかりに米国に狙われて失脚したという暗示のもと、角栄と毛(マオ)がいかに投合したかを書いたもの。
【用途】30年以上を経ても未だ謎の角栄・マオ関係、そしてなぜ日中国交が可能だったのかに迫る本。イメージと思考を喚起する。
②『自主外交の幻想』と③『多極世界の構造』は、ニクソンショックとその後の怒涛のような日中国交回復ブームの雪崩現象についての論稿、当時の文藝春秋やらの雑誌に掲載されたものを単行本化したもの。
【用途】当時の識者がどう日中復交を考えていたか知ることができる本。当時の気分・雰囲気がわかる。虫瞰のために。
④『日本外交の軌跡』細谷千博
近代日本の外交の通史。ニクソンショックや1972年の田中訪中の前後を知る。
【用途】外交史の鳥瞰のために。
■■■■■物語にならないだろうけど、日中物語。あるいは<サンフランシスコ体制>について■■■■■
■まずは<サンフランシスコ体制>ありき。いうまでもなく、敗戦国・被占領国日本が、せめて形式上だけでも、占領を止めてもらうための契約。
<サンフランシスコ体制>とは、<奴(やっこ)>が<主(あるじ)>から最後に<主>の命令を聞いたら、<主>-<奴>関係を解消してやると言われ、その最後の<主>の命令が、「<主>-<奴>関係の解消後もずっとおれの言うこと聞け」という体制のことである。それが現在まで続いていることは言うまでもない。
②『自主外交の幻想』山本満 においては「保護国」(日本のことだ)というタームがきちんと使われている。さらには、保護国・日本の「<主>-<奴>関係の解消後もずっとおれの言うこと聞け」という状況の描写も適切;
保護国的地位の修正要求がさらに大きな次元でのアメリカへのコミットメントを代償としてのみ受け入れられてきたことにも注意しておこう。自主性を拡大したつもりが、実はひとまわり大きなところでアメリカの世界政策の拘束をより受け入れる結果になっている。
<サンフランシスコ体制>下で、米国は日本の中共との関係を徹底排除。対米関係では<サンフランシスコ体制>ずっぽしの立役者だった吉田茂でさえ中共との貿易には未練があったが、ダレスに台湾・中華民国との関係を指定され、中共との経済交流を「自粛」する旨を表明させられた(吉田書簡)。
■はしごはずされた佐藤栄作 そんな米国の中共封じ込め戦略に忠実だった佐藤栄作内閣。中共を敵視、中共も日本を「復活する軍国主義」と敵視。日米を敵視しているとはずと思っていたのに、ニクソン訪中宣言! 佐藤内閣瓦解。「国際情勢は複雑怪奇なり」。

佐藤栄作首相退陣記者会見
■『1972年のハルノート』に逆上するぬほんずんたち 米国に裏切られたと逆上する日本は、だしぬきはだしぬきで対抗と、これまたきわめて日本的流儀で日中復交へ雪崩れをうつ。米国に裏切られたので、もう米国に遠慮する心理的堤防が決壊。実はこのときが、今から考えても、一番<サンフランシスコ体制>川の決壊が激しかったと思える。話はそれるが、2001年の9・11の直前、小泉内閣・田中真紀子外相は<サンフランシスコ体制>50年を日米外交トップで祝った。決壊した<サンフランシスコ体制>川も元にもどったのである。
そんな逆上しなだれを打つ日本への批評が上記③『多極世界の構造』永井陽之助。
米中接近のもつ虚の性格を誤解して、日ソ関係や台湾の犠牲のうえに、中国に深入りすぎた感のある田中外交は、いま、対ソ、対米、対東南アジア外交で急速に行動の自由を失いつつあるようにおもえる。その巨大な代償を支払って日本の得たものが、二頭のパンダだけであったとしたら、それは冗談にもならない。
といった調子である。これはなにも、中西輝政の「諸君」最新号掲載の文章からの抜書きでは決してなく、のちに「吉田ドクトリンは永遠なり!」とレッテルを貼られ、今でいうウヨから、戦後体制の守護者とバカにされた永井陽之助センセの言である。
■敵はシベリアにあり この角栄の日中国交回復そして、続く福田内閣での、いわゆる覇権条項を含む、日中条約とは何だったのかは、④『日本外交の軌跡』細谷千博をみる(こんな教科書的史実なぞどの本でもいいのだが、100円なので)と、抜け駆けした米国も、後発の日本に出し抜かれながら、1979年にやっと米中国交回復をする。そして出来上がったものは、日中米の対ソ三国「同盟」なのである。同盟条約こそないが、前述の覇権条項のようにソ連の膨張を食い止めようとする3カ国の意志が、暗黙にでも、共有されていた。
■敵の敵は味方 そうなのだ、日中、米中復交の直前、中ソはイデオロギー論争だけならまだしも、それが高じて武力衝突まで起こした(チンポー島)。日中、米中復交と日中米の対ソ三国「同盟」の絵図を描いたのは毛沢東なのである。マオは、現在中共が口を極めていいつのる日本帝国主義の過去の侵略と謝罪不足を度外視しても、直面するソ連への恐怖と対決のために、<日米「帝国主義」者ども>との「同盟」を必死で実行したのである。田中日中国交回復はその文脈で認識されるべきである。
①『田中角栄と毛沢東』青木直人
■マオの優れた戦略眼 近代日本はご丁寧にてめえの骨身を削って、日露戦争、満州建国とロシア・ソ連の南下を食い止めてきた。そのロシア・ソ連南下侵略阻止の受益者が支那・朝鮮である。マオは知っていた。日本はソ連南下阻止の絶好の駒だと。だから、日中国交回復。
■その時はわからず しかしながら、この「マオの絵図」も現在の、それも、仮説である。当時は、もしそうであったとしても、そんなことはわからない。だから、キッシンジャー、ニクソンは田中の日中復交を、<サンフランシスコ体制>に歯向かうものとして、心底許しがたいものと思ったたのだろう。それが、キッシンジャーのジャップ発言に他ならない。いか@ 筑波山麓『看猫録』、「最悪の裏切り者」
■万事塞翁が馬 マオが必死で作り上げた日中米対ソ包囲網の効が利いて、皮肉にもソ連崩壊の環境作りとなった日中米対ソ包囲網は、まさにソ連崩壊それ自体のおかげで不要となる。中共には新たな敵が必要となった。日本である。江沢民路線。経済援助を得て、今では念願の核攻撃力を充実させた。意思さえ固めれば、日本人3千万人を焼き殺すことができる。
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■2006年 アベちゃん訪中 さて、どうなることやら。

北京の空は青いかな? あべちゃん!
■保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』には、小説とは、哲学や自然科学と同様に、誰も見たことがないものを描くことが最重要だとしている。事実、小説は英語のnovelで、小説という意味のほかに、新規な・見たことのないという小説の定義にほかならない意味を持つ。「誰も見たことがないもの」というのは原理的に経験できないのである。例えば、科学技術の世界でnovel materialといったら「これまでない性能をもつすんばらしい材料」という意味。
■同様に、作家自身の見地からは、村上春樹『やがて哀しき外国』において;
ときどき「私はこれまでに、もう何冊も何冊も小説が書けるくらい面白い経験をしましたよ」と言う人の出会う。考えてみればけっこう多くの人の口から同じ台詞を聞いたような気がする。とくにアメリカに住むようになってからはそうだ。
とアメリカという外国に住む日本人から豊富な体験をもつことが小説を書く原因となるかのごとき発言をよく受けることに対し、村上は;
僕自身はこれまで既にけっこうな数の小説を書いてきた人間だけど、現実の人生においてはものすごく面白いことなんてほとんど経験しなかった。
と言っている。つまりは、すごい経験をしたら小説が書けると思っている シロウト さんを、村上流に上品に、いなしているのである。
■そんな村上は、三島由紀夫など過去の作品を相当読み込んで周到にかつ戦略的に作品群を展開しているのだということを逐次示したのが、佐藤幹夫の『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』。すばらしい。この佐藤の本を読んで思うのは、佐藤の指摘のとおり村上が実際にそう本歌取りというか本歌いじりをしてそうである。重要なのは、佐藤のように過去の蓄積と比較考量することによって、むしろ村上のnovel(新規な・見たことのない)が明らかになるということ。我々が直面するのは村上の作品そのものであって、それ以上でも以下でもない。つまり、novelを知るには先行作品を知るべしという逆説。だって、novel作品を作ることは現在・未来のものをつくる行為、先行作品を知るのは過去、かつすでにnovelでないものを知る行為。
別の観点では、佐藤の読みをみて、読むってすごいんだなと自分で村上を読み込むひとが出るということ。佐藤の本を読んで、その結果に感動して、村上って三島と関係深いんだよね、といってまわるのは普通のお人(というか おばか)。読みの可能性は読者の数だけある。
■読みの可能性は読者の数だけある。といっても強烈なのが、小森陽一センセ 『村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する』 。 まあ、あいかわらずの小森節がお元気で結構なことですが、{『海辺のカフカ』で「癒されている」ヤツラは<米帝>の手先}(いか@サマ暴力的要約)というのはオーバーランなりよ。安倍憎しで対米従属の首魁は岸信介というのも強引で、対米従属の第一責任者は吉田茂、あるいは、お望みなら、ひろひとさんもどうぞ、そして、解放軍=マッカーサー将軍サママンセー@府中刑務所のヨヨギの諸君でないべか!? それにしても、小森センセ、呼び捨てはいけません。呼び捨ては。せめて、ヒロヒト「さん」にしましょう。なぜなら、我ら朝敵にも礼節ってものがあることを きゃつら にみせつけませう!
■平野啓一郎ブログ のweb2.0的世界において、「名誉」を守るということについて
佐藤亜紀『鏡の影』と平野啓一郎『日蝕』の内容が酷似している、という意見があることについて、平野啓一郎は自分は『日蝕』を書く前に断じて佐藤亜紀『鏡の影』を読んでませんと主張しているもの。
上記の保坂/村上の話の主旨に基づくと、もし仮に平野が佐藤亜紀の『鏡の影』を知っていたとしても問題ない、つまり平野啓一郎の『日蝕』は小説=novelである。なぜなら、文学賞の選考委員がこれは小説=novelであると認めたのだから。
もちろん、佐藤亜紀が平野啓一郎の『日蝕』を自分の『鏡の影』のパクリと主張、あるいは訴えることはできる。しかしその場合は、矛先は文学賞の選考委員に(も)向かうべきである。もしかして、『日蝕』は『鏡の影』の盗作であり、文学賞の選考委員が『鏡の影』を知らなかったから、平野啓一郎の『日蝕』を小説=novel=新規な・見たことのない作品と誤認したかもしれないからである。
■それにしても、文学賞の選考委員は大変だ。なぜなら、この世の先行作品を全て知らないと選考委員は勤まらないからだ。
■同様に、作家自身の見地からは、村上春樹『やがて哀しき外国』において;
ときどき「私はこれまでに、もう何冊も何冊も小説が書けるくらい面白い経験をしましたよ」と言う人の出会う。考えてみればけっこう多くの人の口から同じ台詞を聞いたような気がする。とくにアメリカに住むようになってからはそうだ。
とアメリカという外国に住む日本人から豊富な体験をもつことが小説を書く原因となるかのごとき発言をよく受けることに対し、村上は;
僕自身はこれまで既にけっこうな数の小説を書いてきた人間だけど、現実の人生においてはものすごく面白いことなんてほとんど経験しなかった。
と言っている。つまりは、すごい経験をしたら小説が書けると思っている シロウト さんを、村上流に上品に、いなしているのである。
■そんな村上は、三島由紀夫など過去の作品を相当読み込んで周到にかつ戦略的に作品群を展開しているのだということを逐次示したのが、佐藤幹夫の『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』。すばらしい。この佐藤の本を読んで思うのは、佐藤の指摘のとおり村上が実際にそう本歌取りというか本歌いじりをしてそうである。重要なのは、佐藤のように過去の蓄積と比較考量することによって、むしろ村上のnovel(新規な・見たことのない)が明らかになるということ。我々が直面するのは村上の作品そのものであって、それ以上でも以下でもない。つまり、novelを知るには先行作品を知るべしという逆説。だって、novel作品を作ることは現在・未来のものをつくる行為、先行作品を知るのは過去、かつすでにnovelでないものを知る行為。
別の観点では、佐藤の読みをみて、読むってすごいんだなと自分で村上を読み込むひとが出るということ。佐藤の本を読んで、その結果に感動して、村上って三島と関係深いんだよね、といってまわるのは普通のお人(というか おばか)。読みの可能性は読者の数だけある。
■読みの可能性は読者の数だけある。といっても強烈なのが、小森陽一センセ 『村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する』 。 まあ、あいかわらずの小森節がお元気で結構なことですが、{『海辺のカフカ』で「癒されている」ヤツラは<米帝>の手先}(いか@サマ暴力的要約)というのはオーバーランなりよ。安倍憎しで対米従属の首魁は岸信介というのも強引で、対米従属の第一責任者は吉田茂、あるいは、お望みなら、ひろひとさんもどうぞ、そして、解放軍=マッカーサー将軍サママンセー@府中刑務所のヨヨギの諸君でないべか!? それにしても、小森センセ、呼び捨てはいけません。呼び捨ては。せめて、ヒロヒト「さん」にしましょう。なぜなら、我ら朝敵にも礼節ってものがあることを きゃつら にみせつけませう!
■平野啓一郎ブログ のweb2.0的世界において、「名誉」を守るということについて
佐藤亜紀『鏡の影』と平野啓一郎『日蝕』の内容が酷似している、という意見があることについて、平野啓一郎は自分は『日蝕』を書く前に断じて佐藤亜紀『鏡の影』を読んでませんと主張しているもの。
上記の保坂/村上の話の主旨に基づくと、もし仮に平野が佐藤亜紀の『鏡の影』を知っていたとしても問題ない、つまり平野啓一郎の『日蝕』は小説=novelである。なぜなら、文学賞の選考委員がこれは小説=novelであると認めたのだから。
もちろん、佐藤亜紀が平野啓一郎の『日蝕』を自分の『鏡の影』のパクリと主張、あるいは訴えることはできる。しかしその場合は、矛先は文学賞の選考委員に(も)向かうべきである。もしかして、『日蝕』は『鏡の影』の盗作であり、文学賞の選考委員が『鏡の影』を知らなかったから、平野啓一郎の『日蝕』を小説=novel=新規な・見たことのない作品と誤認したかもしれないからである。
■それにしても、文学賞の選考委員は大変だ。なぜなら、この世の先行作品を全て知らないと選考委員は勤まらないからだ。

桜田門外の変、井伊大老暗殺の絵図。これは茨城県の大洗にある常陽明治記念館http://www.bakumatsu-meiji.com/bm_about_us.htmlの入場券です。正確にいうと半券の残りの方です。モギッてもらったあとおいらの手元に残った方です。スキャンしました。
井伊大老を殺害したテロリストは一人を除いてみんな水戸脱藩浪士。
この記念館は田中光顕という、土佐出身の維新の志士(このブログの表現でいうと、土佐出の日帝捏造に参画したチンピラ兄ちゃん)、彼は後に宮内大臣などを務める政府高官となるのですが、当時宮中行事で着ていた礼服やむつひとさん(明治天皇)から下賜されたものがまとめてこの茨城県の大洗にある常陽明治記念館に展示してあります。なぜ、茨城県の大洗にあるのかというと、田中光顕が維新のさきがけは水戸にあると水戸を尊敬していたので、水戸への恩返とのこと。
■井伊直弼は殺される直前に吉田松陰を殺しました。小泉首相が大好きな松陰センセです。(このブログは、2005/8/9に小泉さんに松陰の影をみてとって、言及した、あっもとい、「絵」及した。痩せギス男に狂気が宿る。 果たして、こののち小泉首相は国会の施政方針演説で松陰に言及。任期最後には長州詣でをした。)この井伊暗殺のあと、水戸は内紛で自滅し維新の舞台から消えます。そして、松陰門下の登場です。吉田松陰の門下生は、薩摩を巻き込んで、ドッカンドッカン内戦を挑発しテロを実行し、最後は幼帝を戴いて大日本帝国をつくったことはいうまでもありません。
■さて、本題に入ってこの『近代日本の陽明学』は、井伊殺害や幼帝奪取のクーデターの実行の背景にある陽明学について言及した本です。 章は「エピソード」として立てられIからVIまであります。具体的な人物/グループ・事件と陽明学の関係をつづったものです。
エピソードI 大塩平八郎 -やむにやまれぬ反乱者
エピソードII 国体論の誕生 -水戸から長州へ
エピソードIII 御維新のあと -敗者たちの陽明学
エピソードIV 帝国を支えるもの -カント・武士道・陽明学
エピソードV 日本精神 -観念の暴走
エピソードVI 闘う女、散る男 -水戸の残照

講談社選書・メチエ、1500円
■大塩平八郎にせよ吉田松陰にせよ、陽明学の教義というものがあってその教義を知的に習得したからといって武装蜂起やテロ計画をする行動者になったわけではない。そもそも陽明学には教義はなく、陽明学とは主流の朱子学を学びつつも独自にある種の気分に到達したものの「学術」らしい。そのある種の気分とは自分で考え付いた良いと思うことを実行すること。その結果、挙兵やテロにもなりうる。大塩と陽明学の関係について、著者は大塩の気質がもともとそうだから陽明学に惹かれたといっている。つまりは、陽明学を勉強するとテロリストになるのではなく、陽明学とはテロリストがすがる「文字シンボル群」らしい。
本書では幕末から現代の三島事件に至るまでファナティックな事件に陽明学が因子であることをみようとするもの(下図、左)。ただし、ファナティックな事件への陽明学以外の思想因子の検討がなされているわけでもなく、2・26事件のような大きなファナティックな事件についても陽明学との関係が述べられているわけでもない(下図、右)。さらには、近世陽明学のすべてを調べているわけではないらしく、陽明学の影響めでたく自分の善意に陶酔する学者で穏健で偉大なる常識人がいなかった/少なくなかったと証明しているわけでもない。

■要は話は簡単で、世人が好奇心をもつ事件や事象に、著者の得意な陽明学などの儒教が支配的で、陽明学や儒教を知らない世人に『決定的に何もわかっていない』!といいつのりたいらしい。
▲というか、この著者は三島について語りたかったのではないか?というくらい三島!三島! (というか、三島の話しかこの本には目新しいことはないのだ)三島の母方の家系に親藩小藩(宍戸藩)の大名がいて、その殿様がこれまた幕末のファナティック集団・天狗党のために詰め腹を切らされた。ただ、家系でつながりがあるばかりでなく、三島がそのことに自覚的で、小説として言及していることの紹介は興味深い。が、理論的につながっているわけでもないが。
■(非難ばかりでなく)お勧めします。<値段の1500円で内容をnormalizeしたら、安いといえるよ。>
”明治政府は儒学を体制教学として採用し、国民国家ナショナリズムの形成に利用した。”古田博司、『東アジア・イデオロギーを超えて』儒教 体制教学 元田永孚 と述べているように、江戸時代=儒教/維新後=近代学という単純な話ではないということを、この小島毅、『近代日本の陽明学』でも、論理的展開というより、連想ゲーム・○○つながりという展開で示してくれる。特に、皇軍と朝敵を峻別する『靖国神社』の姿勢に、古来の神道ではなく、儒教を見出す。近代日本での「ある種のファナティックな気質」と儒教・陽明学との関連に興味があるひとはどうぞ。
▼どうでもいいことですが、この本には「あなたにはあなたの、こなたにはこなたの、「近代日本の陽明学」がありうるだろう」というくだりがある。そんなに本を読むわけではないのだが、最近の書かれたもので「こなた」なんて初めて見た。ましてやブログなどネット上での文章ではお目にかかれない。万事がいやみでもったいぶったくさみのある本ではあった。おいらは、渡世で「こなた」をつかっている人に出会ったことがある。「ごきげんよう」、と言って別れた。
▲最後に。「かくして、水戸藩は、幕末の尊皇攘夷運動の震源地となりながらも、その果実を薩長土肥といった西南雄藩にかすめ取られてしまうのであった。」(本書、エピソードII 国体論の誕生 -水戸から長州へ 1 藤田三代功罪)と小島さんは書くが、本記事冒頭に示したように、土佐の田中光顕は水戸への尊崇を持ちかつ実際に示したことはいうまでもない。 かすめとることは恥だとおもったのであろう。恥を知るものにこそ幸いあれ! この点、このブロ愚は、<チンピラ兄ちゃんも成長するもんだな>、といわなければならない。

佐藤優さんの『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く 』がついに出た模様。この本当初は4月に刊行予定だったはず。先週都内に行ったさい、ジュンク堂、丸善などで見当たらず、なんでかなー?と思っていたら、刊行が遅れていたようだ。6/1刊行だって。
さて、『米英東亜侵略史』は昭和17年(1/23)に第一書房なるところから1円20銭で刊行された。この本は、大川がラジオにて、開戦直後の昭和16年12月14日から25日までの計12日間、米英東亜侵略史について語ったものを文字化したもの。真珠湾やマレー沖のプリンスオブウエールズ撃沈の成果の中、そしてシンガポール陥落の前という状況。
『米英東亜侵略史』は前編と後半に別れ、前編では米国東亜侵略史、後編では英国東亜侵略史、それぞれ6日分の講話が文字化されている。
目次では;
米国東亜侵略史
第一日
第ニ日
第三日
第四日
第五日
第六日
とある。内容は、ペリー来航(第一日)から、東亜新秩序を目的とする日本の軍事行動を米国は侵略視する故日米両国の衝突は遂に避けられない(第六日)、まで歴史を追ったつくり。
内容のノート;
第一日
ペリー来航。面白いのは大川はペリー(本書ではペルリ)やワシントンを賞賛し、現在(日米開戦時)の米国がもし黄金と物質を尊ぶ国に堕落していなかったら日米戦争はなかったという。つまり米国はワシントンの建国の精神から堕落した、といっている。
第ニ日
19世紀の米国の拡張主義への非難。特にフィリピン領有。アジア太平洋への進出への非難。
ターニングポイントとしての日清戦争。清国敗北故、列強がシナに群がった。(これは日本がパンドラの箱を開けて、アジアに列強を結果的に引き込んだといえる;いか@)
第三日
日露戦争と満州問題。日本が20万人の義性でロシアを追い払ったのに、ハリマンが満鉄買収を提案してきたことへの非難。アメリカの門戸開放提唱をもって、シナ・満州への経済進出の野望について。
第四日
日本の満州独占に門戸開放を唱える米国は横車と非難。第一次世界大戦で中立といいながら最後は参戦した米国は戦争の趨勢を見極めた上での漁夫の利と避難。そして、カリフォルニアでの日系移民排斥問題。
第五日
米国の海軍戦略について。ローズベルトは、マハンの『歴史における海上権の影響』をもとに大海軍増強を行い、一方、パナマ運河を開通させ米国の大西洋、太平洋の海軍支配をもって世界を制覇しようとした。日本はこの脅威に対処するため艦船建造競争を余儀なくされた。しかし、ワシントン会議で政治的に敗北し、米国は日本掣肘に成功した。さらに、これに飽き足らない米国はロンドン会議で日本は自国海軍劣勢化した。
第六日
ロンドン会議後事情は一変した。政府が米英に気兼ねしている一方、国民は日本国家の根本動向を目指して闊歩し始めた。満州事変。国際環境は、列強が世界恐慌でよそに目がいかないので、満州国建国に好都合。米国スティムソンは、国連を利用して満州国を撤回させようとした。大海軍を動因して太平洋で大演習をした。対日威嚇。のち、ローズベルトはスティムソンと対日政策が同じと表明。日米通商条約破棄、対日輸出禁止、資産凍結となる。ローズベルトはマハンの『歴史における海上権の影響』理論の実行をしている。
この日米戦争を元寇になぞらえ攻めてきたのは米国、日本は立ち向かうというスタンス。
以上、『米英東亜侵略史』の前半、米国東亜侵略史のみ。
■日米衝突へのいきさつについての記述とその言い分・スタンスについての新しい発見は(下記点をのぞいて)特にないのですが、米国の「東亜侵略」の理論がマハンであると見ていることが着目すべきかな。佐藤優さんもこの辺のところ、地政学的戦略論、アプローチを書くのではないでしょうか?
●おもしろいのは、「時の政府が断じて之(柳条溝事件)を欲せざりしに拘らず、日本全国に澎湃として張りはじめた国民の燃ゆる精神が、満州事変をしてその行くべきところに行き着かしめ、・・・」と満州事変、満州国建国を政府ではなく国民の成果と認識していること。

『私の昭和維新ノート』 門馬昇、さきたま出版会、非売品
■つくば科学万博が開催された時(1985年)、つくば市はなかった。いくつかの町や村が合併して、「つくば市」が発足したのは1987年。なので、今のつくば市には旧町村にできた図書館が点在している。そんなつくばの図書館のひとつに、日頃はあんまり行かないのだが、行った。その時発見したのが、この『私の昭和維新ノート』。郷土史のコーナーに、なぜかしら、あった。
■著者の門馬昇さんは大正七年、福島県は相馬の生まれ。没落士族の家系とのこと。海軍兵学校受験のため上京勉強中2・26事件に遭遇。衝撃と感銘を受け、大東亜塾に入門。北一輝に傾倒。統制派の別働隊ごとき昭和維新には一線を画し、活動。つまり、<国家=政府を援けるが右翼>という俗論の外にいたということらしい。
■この本の主張は極めて簡素なんものであるが、極めてユニーク。つまりは、丸山眞男・宮沢俊義流の敗戦=八月十五日革命説ならぬ、敗戦=昭和維新(=2・26事件)説、というもの。その説は、昭和天皇は日本の民主化を条項に含むポツダム宣言を受け入れることで、2・26事件でできなかった民主化を、戦後日本で実現したというもの。
■モデルは単純;
悪玉;陸軍統制派(=2・26事件「弾圧」);君側の奸
善玉;薩長→北一輝や「皇道派」青年将校→米英占領軍;忠君
戦後日本というのは、昭和天皇が選び取った評価・肯定されるべき歴史であるということになる。
著者が詠う短歌は;
・君知るや敗戦変革はGHQによる二二六の再現なりしを
・さながらにGHQは薩長(北・西田派)なりき指令変革の跡をし見れば
■もっとも、昭和天皇が二二六事件のとき、討伐する!と言ったとされることへのコメントは特になし。
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