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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第52週

2025年03月22日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第52週

1年365日を、1週間の7日で割ると、52となります。すなわち、1年間は52週。今週は第52週目であるので、満1年となります。今季もちゃんとブドウさんの芽が出てくれることを祈ります。

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週の巻物

2月1日に言及した、ふるさと納税、北海道 平取町。北海道民おすすめ『ラムしゃぶ』 の残りを食べた。食べ方の紹介にあったわさび醤油でいただくというのに従う。よかったが、やはり、ベルのたれが欲しかった。

■ 今週の訳なしリンゴ


青森産、王林。訳ありの王林はこちら

⚽ ⚽ ⚽ 今週は大分県の杵築に行きました。⚽ ⚽ ⚽

杵築は2度目。1回目は、去年の7月(愚記事:散歩:大分県杵築 [きつき]、重光葵 [まもる]・無迹庵 [むせきあん]⇒城下町域:酢屋の坂

以下は、杵築での出来事です;

■ 今週の尾頭付き

■ 今週の御膳

お食べ家 円 (食べログ

■ 今週の止め石

■ 今週のアカの生家からみた(耶蘇学校)「セミナリオ」


大分県杵築市の佐野家(市のweb site)から見える日本基督教団杵築教会(web site

アカとか耶蘇とか必ずしも上品ではない物言いで恐縮ではあるが、愚ブログで言いたいことのひとつは「(かなり絶望的はわれらが祖国)日本の希望がある属性はアカ耶蘇が蔓延しなかったことである」ということだ。もちろん、ここでアカとは共産主義であり、耶蘇はキリスト教だ。

前回杵築に来た理由は重光葵の家を訪れるため。その時、佐野学も杵築の出身と知った。重光葵も佐野学もおいらは10代の頃から知っていた。佐野学を知ったのは、1983年刊行の中公新書『近衛新体制』を読んだからだ。読んだ動機は、当時1980年代初頭、日本共産党神話は瀕死の状態ではあったが、未だ日本共産党は戦争に反対した政党であるという1970年代の共産党の宣伝の余韻があった中で、実は、日本共産党に参加していた人の少なからずが、転向して田舎に帰って只の人になって黙って過ごしたということではなく、日本の対支那戦争を合理化、支持する考えを訴えたことに関心があった。佐野学(wiki)はその筆頭であり、「1933年、鍋山とともに獄中から転向声明「共同被告同志に告ぐる書」wikiを出した」。

その佐野学が杵築の出であり、実家は名家なのだ。代々医者。その生家が現在公開されている。その家の庭から耶蘇の教会が見えるのだ。

佐野学は直系嫡子ではないようだ。写真はあったが、特に説明はなかった。当代当主さまの紹介は詳細があった(web site)。

■ 今週の錦旗

■ 今週のお城:杵築城

▼ お城の中の展示:杵築出身者の紹介


豊田副武が杵築出身(市のweb site)と知る。


重光葵の展示。

■ 今週、知ったこと

慶応の福沢諭吉は大分県の中津、早稲田の大隈重信は佐賀県の佐賀の出身であることは知っていて、九州の人材輩出はすごいなと思っていたのであるが、法政もそうであった。

 

伊藤修、金丸鐵(まがね)。

創立者2人を介してつながった縁大分県杵築市HOSEI ONLINE

1880(明治13)年4月10日、『東京日日新聞』に本学の前身である「東京法学社」の設立広告が掲載されました。この広告に発起名義人として名を連ねているのが、東京法学社の3人の創立者のうちの2人、金丸鉄(かなまるまがね)と伊藤修(おさむ)です。金丸は法律専門出版社・時習社の社主、伊藤は代言人(弁護士)でした。

金丸と伊藤は、共に豊後国杵築藩(現・大分県杵築市)の下級武士の家の生まれです。譜代大名・能見松平家を領主とする杵築藩では早くから学問奨励の気風があり、藩校「学習館」では西洋医学のほか、当時はまだ珍しいフランス語も教えられていました。

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第51週

2025年03月15日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第51週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週の訳なし

りんごが食べられる時期は「訳あり」りんごを箱買いする。でも、時期がずれると「訳あり」りんごが本当の「訳あり」となるので、バラで買っている。

■ 今週の購米(こうまい)google

大崎産だ。古川休塚(ふるかわやすみづか)[navigate]。


愚記事:大崎の復活 -仙台参り2006 ③-

■ 今週の武相境斜面

今週、3/12、3/13と東急・田園都市線の長津田駅、小田急・小田急線の玉川学園前駅で事故があり、不通となり、大混乱とのこと。こどもの国線まで運休


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■ 今週の「九州限定」

大切りカットのごぼう天ぷら入り。昆布と鰹節のだしにさば節を利かせた、九州向けのうどんつゆ。九州限定商品。東洋水産 web site

■ 今週の白物具材

ワンタンスープに豆腐。

■ 今週の揚げ物

 

かきフライ(左)、とりの唐揚げ

■ 今週の変わらない文言


愚記事より

三島由紀夫の1963年の小説『午後の曳航』で、処刑されるため少年たちに曳かれてきた二等航海士が辿り着くのは、「レコンキスタ」区域であった。すなわち、横浜市金沢区の現在富岡総合公園であると推定される。


google map   敗戦前は「杉田兵器工場」[1]であり、米軍に接収され、1958年5月12日に返還(ソース)。
[1] 関連情報

その米軍から返還された区域での情景:

 草地を渡る。落葉に充ちた小径が丘の尾根に通じている。右方に、鉄条網にかこまれた錆びたタンクが草に埋もれ、英字を書いたブリキ板の一つ一つの釘の凹みから赤く錆びだした立札が傾いていた。竜二は立止ってその立札を読んだ。
US FORCES INSTALLATION
UNAUTHORITEZ ENTRY IS PROHIBITED AND
IS PUNISHABLE UNDER JAPANESE LAW ........
「パニシャブルってなあに?」
(三島由紀夫、『午後の曳航』)

この場面は1963年頃の話。上の米軍の看板は2024年。文言は(and ➡ & 意外)変わらないのだ。

■ 今週借りて読んだ本


三島由紀夫、『午後の曳航』。解説は田中美代子[wiki]。
解説文は1968年(すなわち、三島の生前)。


持ってる三島の文庫と並べてみると、真新しさがわかる。それにしても『鏡子の家』の漂白具合がすごい。

三島由紀夫、『午後の曳航』は、書き下ろし作品。1963年刊行。『美しい星』1962年(愚記事)の後の作品。処刑小説。13歳の少年グループが33歳の『午後の曳航』を殺害するのだ。その殺害には13歳の少年グループの言い分がある。この言い分を三島は何か深遠な思想のごとく描く。なお、この時代にはもちろんそういう言葉ないが、13歳の少年と云えば中二病の発症年齢である。13歳の少年が自ら頼むところ頗る篤いのはいいとして、彼らの父親の存在を呪詛する。

三島の主要な作品をなるべく読んだ後に、三島について語る評論を読めば、先入観なく作品をみることができるのだが、そうもいかない。『午後の曳航』については、思いっきり先入観を刷り込まれた。天皇処刑。各評論では「天皇処刑」という言葉は使っていないが、『午後の曳航』の二等航海士・塚崎竜二は昭和天皇の隠喩なのだという考えが出されている。作品の中で塚崎が殺される理由は、塚崎が少年、登を裏切ったからだという。登は黒田房子31歳の息子。房子の夫、登の父は5年前に死去。夏、未亡人房子と二等航海士・塚崎が舞台の横浜で出会い、すぐ寝る。冬、夏の後の航海から帰り、二人は結婚する。

・鍵語句:裏切

「ところでこの塚崎竜二という男は、僕たちみんなにとっては大した存在じゃなかったが、三号にとっては、一かどの存在だった。少なくとも彼は三号の目に、僕がつねづね言う世界の内的関聯の光輝ある証拠を見せた、という功績がある。だけど、そのあとで彼は三号をひどく裏切った。地上で一番わるいもの、つまり父親になった。」(強調、いか@)

三島作品の中で「裏切り」と言えばこれである;

「われらは裏切られた者たちの霊だ」(『英霊の聲』)

『英霊の聲』で兵士たちを裏切ったのは、昭和天皇に他ならない。ただし、もちろん、『英霊の聲』では天皇の処刑などという話にはならない。でも、『午後の曳航』では、裏切り者は殺される。

・裏切りの内容

 『午後の曳航』で二等航海士・塚崎竜二は何を裏切ったのか?

 それなのに、こんな不幸な思いがけない出会のおかげで、二等航海士はびしょ濡れの半袖シャツの哀れな姿をさらけ出し、しかも登に対して、へつらうように、不必要な笑いをした。その笑いは全く不要だった。それは登を子供扱いにして貶めるばかりではなく、竜二自身をも、「子供好きの大人」のみっともない戯画に変えてしまうものだった。彼の明かるすぎる、子供むきの大仰な笑い、あれは全く不必要な、けしからん誤謬であった。(第1部 夏、第6章)

こういう↓イメージ(へつらうように、不必要な笑いをした)ではないか!(?)


愚記事:昭和の成仏のために:横浜市立稲荷台小学校、元戦災者共同住宅、昭和天皇、戦後巡幸第1日目 より

三島は戦後の皇室の在り方に批判的であった。「今の陛下は自分が考える陛下とは違う」と言明している。そして、戦後皇室の在り方の指南役(プランナー)とされる小泉信三を激しく非難している。三島が戦後の皇室に対し不満に思っていることは、端的に「国民に愛される皇室を懸命に努力して実現しようとする態度」に違いない。阿っているようで、嫌なのだろう。

・二等航海士・塚崎竜二=昭和天皇だけではない、二等航海士・塚崎竜二=三島自身

話は複雑で、単純に塚崎=昭和天皇とだけとはいいがたい。なぜなら、二等航海士・塚崎竜二の履歴が下記の設定となっているからだ。すなわち、「母正子は当人十歳のとき死亡、父始は、東京都葛飾区役所に勤務、その後再婚せずして、児女の愛育に専心し、生家は昭和二十年三月の空襲で焼失、妹淑子は同年五月に発疹チフスで死亡、本人は商船高校卒業......」とある。ここで目を引くのが、「妹淑子は同年五月に発疹チフスで死亡」に他ならない。三島愛好家(マニア)なら誰でも知っていること。三島自身、敗戦時に妹を発疹チフスで失っている。三島は回顧で敗戦よりも妹の死が衝撃であったと述べていたかと思う。号泣したとある。三島の自伝、回顧で号泣したなぞこれ以外知らない。つまり、妹の死は三島の重大な属性であり、それを二等航海士・塚崎竜二に刻印したのだ。これはもう、二等航海士・塚崎竜二=三島自身だろう。そして、二等航海士・塚崎竜二は処刑される。これは、自己処刑の話なのだ。とおいらは自分で気づいたのだが、当然といえば当然、指摘している人がいた。日沼倫太郎(➡wiki)。

二等航海士・塚崎竜二は「聖なる」仕事の海の男=家庭なし・生活感なしから、陸の俗人になる。その陸の俗人になる「研修」で(航海用の英語ではない)英語のレッスンがある。これはさんざん英語、話す英語を訓練した三島を思い起こさせる。そして、結婚。三島も若いころは女性との結婚に難儀を感じていた。そして、お金。この作品では二等航海士・塚崎竜二が200万円(現在の価値で3-4000万円)を持っていることを根拠に陸の俗人になることの追い風にしている。貯金という「いじましい」ものに頼る俗物性。これはなんだかんだいっても三島が作家活動をお金を手段に快活に送れたことの自己批評だろう。日沼倫太郎の指摘する「三島氏の青春の完璧な死」と陸の俗人になった自己処罰であると考えられる。そもそも「父」になったし。

・覗き

三島由紀夫は覗きが好きだ。作家さんで覗きが好きな人は多いのだろうか?寺山修司とか。もっとも、三島が実際にやっていた証拠は知らない。でも、三島の代表作『豊饒の海』の本多繁邦は覗き屋だ。そして、『午後の曳航』では13歳の登が覗き屋だ。覗きができるにはからくりが必要だ。『豊饒の海』でも『午後の曳航』でも除きができる建築上のからくりが詳細に書かれている。特に、お伽噺的、童話的ともいわれるこの『午後の曳航』で、覗きができる仕組みは現実性がある。しかも、興味深いのは、おそらく、占領米軍兵士/家族が、この家を接収しているとき同様のことをやっていたに違いないとすることだ。

・戦災、占領、接収、接収解除返還地区

『午後の曳航』において三島が二等航海士・塚崎竜二を30歳過ぎまで結婚せず、子供を持たない、すなわち家庭を持たない人物として設定した。その背景が暗示される。すなわち、彼が戦災受難者であるという設定にしている。米軍の空爆で家を失った。家族は戦災で失った設定にはしていないが、母を失い、妹を病気で失う(上述)。これは下記三島の回想で述べられた戦災がもたらす虚無感を背景とするのはないか?

戦後十七年を経たというのに、未だに私にとって、現実が確固たるものに見えず、仮りの、一時的な姿に見えがちなのも、私の持って生まれた性向だと言えばそれまでだが、明日にでも空襲で壊滅するかもしれず、事実、空襲のおかげで昨日在ったものは今日ないような時代の、強烈な印象は、十七年ぐらいではなかなか消えないものらしい。(三島由紀夫、『私の遍歴時代』)

 『午後の曳航』の舞台は横浜の山手の谷戸坂上にある黒田房子の家という設定である。その家にはモデルがあるのだという。

モデルとなった家の写真が、「決定版三島由紀夫全集9」の最後の田中美代子氏の解説に掲載されていました。その説明によると「昭和38年4月、横浜・港の見える丘公園。正面奥の洋館が「午後の曳航」黒田邸のモデルとなった家」とあります。(阪急・阪神沿線文学散歩 さま、 「午後の曳航」山手町谷戸坂上の黒田邸

現在この場所は、大仏次郎記念館。『午後の曳航』ではこの家は敗戦後、占領軍に接収され、占領軍関係者が、複数家族が住んでいたという設定である。敗戦と占領が作品に組み込まれている。そして、接収解除返還後がこの作品の時代である。占領について、三島の作品にしばしば認められることである。そして、二等航海士・塚崎竜二が処刑されるのが、接収解除返還地区ということになっている。これは何か意味があるのかわからない。『午後の曳航』では、現在の横浜市金沢区の現在富岡総合公園付近が舞台となる。なお、三島の作品で『午後の曳航』に先立つ『鏡子の家』(愚記事)の舞台の家も占領軍に接収されたという設定になっている。すなわち、占領軍が住んでもいいと思うような家、すなわち、大きな洋館が三島の作品には採用される。

・団塊の世代の凶暴性の予言? ただし、父殺しは皆無だった現実

この『午後の曳航』の時代設定は明確には限定できない。しかし、出版された1963年頃、あるいは作品が書かれた1961-2年頃としてよいだろう。すると、処刑を画策する14歳の少年たちは戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代ということになる。後に14歳ではなく、18歳を過ぎて、大学、あるいは街頭での「新左翼」破壊活動に従事する人たちだ。ただし、彼らは、戦争に行って帰ってきた復員兵である、あるいは、「日帝侵略兵士」であった実父たちを処刑することはなかった(愚記事:団塊=復員兵の子供たち、あるいは、few J-children sing, what did you kill ?)。この点、三島の「予言」は外れた。

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第50週

2025年03月08日 18時21分35秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第50週

■ 今週のよその猫

■ 今週の花

■ 今週のDS

JR九州:D&S(デザイン&ストーリー)列車 デザインと物語のある列車で九州を楽しむ

■ 今週の脱帽

節句が過ぎても、雛飾りがまだ披(ひら)かれていた。

仕丁(しちょう):平安時代以降に貴族などのお世話をしていた下男や、律令制の労役制度の1つですgoogle

雛人形の段飾りの最下段に飾られる人形で、怒った顔、泣き顔、笑い顔とそれぞれ豊かな表情をしています。怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸の3人で、「三人上戸」とも呼ばれています。関東式では「親王のお出かけの世話」、京式では「掃除」の役割を担っています。ソース

この脱帽さんは、泣き上戸かと思われます。なお、脱帽してわかることは、本当は目が届かないはずの髷がきちんとつくられ仕込まれていることです。

■ 今週知ったこと:サンヨー食品


「メーカー5社合同新聞」。5社のうち、おいらは明星とエースコックしか知らなかった。

サッポロ一番という即席めんがある。昔からある。おいらも知っていた。藤岡琢也のCM(google)がよく流れていた。昭和時代だ。戦後・昭和で、札幌といえばラーメンだ。札幌ラーメン。その即席めんなのであるが、そのメーカーについて気にしたこともなかった。最近知った。サンヨー食品。初めて聞いた食品会社の名前。三洋電気なら知っている(関連愚記事)。サンヨー食品は、サッポロ一番を看板としているが、札幌とは関係ない、と知る。群馬の会社らしい(web site)。

特徴は「コーン」。札幌ラーメンの特徴といえば、みそ味もそうだが、もやしと玉ねぎとひき肉を炒めたものを載せることではないだろうか?このカップめんではコーンが、札幌らしさとして?入っている。もやしを乾燥めんの具にする技術は今でもないのであろう。

 ピンぼけなので縮小しました。

■ 今週の御下問:「誰がこのような取り決めをしたのか」、あるいは、 interesting deal


https://www.youtube.com/watch?v=rvo6dSr1vRk&t=23s

トランプ氏「誰が決めたのか?」 日米安保条約の片務性に再び不満こぼす

トランプ大統領が御不満なのが、(自衛隊に米国防衛の義務がないことではなく)「米軍に日本防衛の義務があること」であるとすれば、「誰が決めたのか?」に対する答え、日本側責任者は、あなたの友だち、Shinzoの、his granpa! に他ならない。1960年だ。それまでの条約(旧安保条約)では、米軍に駐屯権や治安維持出動権(「反体制」叛乱日本人を殲滅できる権利)があったが、米軍に日本防衛の義務がなかった。その旧安保条約を改訂して、米軍の日本防衛の義務を条項に入れたのが岸信介首相だ。旧安保条約を結んだ吉田茂は1960年の安保改定に反対した(出典はすぐにでないが、本で読んだ)。さて、吉田と岸が一緒に写っている写真を見たことがなかった。探した。1枚あった。

さて、自衛隊に米国防衛の義務がないことについて。現在トランプ大統領は米国を再び偉大にとの惹句で政治を 煽動 先導している。つまりは、米国は、かつて、偉大だったのだ。そんな偉大だった頃の米国は、保護領の属領「軍」に助けてもらおうなどとは露も思わなかった。ただただ、日本に戦争することを容認するのは、前科者に刃物/キ〇ガイに刃物となることを心配していたのだ。

■ 今週返した本

おいらは「理解しがたい」ものが好きだ。かつ、いんちきなもの。上記、四方田犬彦以外はそういったもの。もっとも、四方田犬彦について小谷野敦博士が四方田の友人の四方田の話は嘘が多いとの証言を根拠に嘘くささを指摘していたような覚えがある。でも、四方田の話は嘘であっても、そう耐え難い虚飾といったものではないとおいらは感じている。あとは虚偽、欺瞞、ペテンが芬々とする本5冊。最上の堂本正樹、『回想 回転扉の三島由紀夫』は、堂本正樹が虚偽、欺瞞、ペテンということでなく、三島由紀夫がそうだとおいらが感じているのだ。この本については2/15に書いた。イエズス会。これはもう。元寇という歴史用語があるが、耶蘇寇という歴史用語を研究定義し、頒布してほしい。2/22に少し書いた。

▼ 高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』。この本の内容を簡潔にまとめたブログ記事:丸の内中央法律事務所 様、太平洋の覇権(15) -----バテレンたちの軍事計画がある。この本はキリスト教、イエズス会が日本をはじめ世界の異教徒を「征服」しようとしたことを率直に書いている。イエズス会創始者のロヨラは「異教の地をことごとく征服すること」と宣言している。そして、彼ら耶蘇は露骨なレイシストであることもちゃんと書いている;

 ヨーロッパの学界にあって最高の典拠とされた異物世界地誌学の結果、非ヨーロッパ人=奇怪な存在=まともな人間ではない=劣等人種という差別の方程式が確立されることとなった。そして大航海時代のヨーロッパ人は、非ヨーロッパ世界におけるこの方程式の「解」を、キリスト教による非キリスト教の改宗とヨーロッパ文明の移植に置いたのである。

さらには、イエズス会が「武力行使」を行ったことについて書いているし、分析している。つまり、イエズス会の対日武力行使はポルトガルの海外植民政策事業の一環としての行動ではない。イエズス会が日本中央政府代表の豊臣秀吉から「弾圧」されたので、国対国としての観点から、ポルトガル国王に出兵依頼をしたのだという論理。だから、イエズス会がポルトガルの海外植民政策事業の尖兵であるという従来節を批判している。つまりは、防衛なのだと;

カトリック教会が不当な暴力を受け、その存続が危機にさらされた場合、教会は武力をもって自らを防禦することが許されていた。

イエズス会の対日武力行使問題が、中世ヨーロッパの時代からカトリック教会に受け継がれてきた「正当戦争」理論という大きな思潮の流れの上に立ったものでもあることを捨象しては、正鵠を射た理論は困難であろう。

▼ 戦後日本スタディーズ① この本は、元は、虚偽、欺瞞、ペテンを期待したわけではなく、東京大空襲についての早乙女勝元さんの文章を確かめたくて、借りた。そうしたら、最大の虚偽、欺瞞、ペテン師であるDV男の井上ひさし/日本共産党シンパ(党員なの?)が載っていた。

抑圧された東京大空襲の記憶、早乙女勝元

動機は廣島、長崎と比べ、東京大空襲は、戦後、顧みられることが少なかったと感じていたから。

 東京大空襲の惨禍は、人名からいえば史上空前の規模で、後の広島・長崎の原爆被害にも匹敵するというのに、東京には公立の記念館もなければ平和公園もなく、戦後もほとんど社会問題化されずにきた。

国際法違反、ジェノサイドという言葉は出てくる。ただし、東京は史上空前の「戦場」とある。戦争犯罪というのは戦争状態での違法行為である。戦争だからと云って、何をしてもよいわけではない。さて、東京大空襲はそれじたい大規模な戦争犯罪、ジェノサイドであるので、その場は「戦場」ではない。これは、アウシュビッツを戦場とはいわないことを考えれば、明らかだ。

最近は、昭和時代に比較しても、皇族が参加して慰霊祭が行われているし、ネットでも言及が多い。昭和の頃はもちろん、平成になるまで、ルメイ叙勲問題は話題になっていなかった。ただし、昭和末期に、朝日ジャーナルで前田哲夫が戦略爆撃について連載していた(現在、戦略爆撃の思想:ゲルニカ―重慶―広島への軌跡)。当時、興味深いと思ったのが、ゲルニカ―重慶―広島への軌跡という視点で、この世で初めて/あるいは2番目に、戦略爆撃、すなわち、市民が住む都市への空爆を行ったのは重慶爆撃の日本なのです、というところに力点が置かれているように感じた。あたかも、廣島、長崎、東京などは「身から出た錆」みたいものだと。内容は忘れてしまったので、そういう主旨であったかはわからない。さて、戦後、日本の被害を論ずるときは同様に日本がやったことを書かないとダメみたいな風潮があった。これはある種の「検閲」効果=日本の被害を論ずることを牽制するがあるなとおいらは感じていた。さて、この抑圧された東京大空襲の記憶、早乙女勝元の文章の末が下記である;

 なお一般市民を対象にした都市無差別爆撃では、日中戦争時に日本軍による重慶ほか中国諸都市への先行行為があり、これまた被災者たちの対日訴訟裁判が並行して行われていることを、付記しておきたい。

▼ 真打登場:暴力男が語る平和憲法

インタビュー 井上ひさし「東京裁判三部作と日本国憲法」聞き手、小森陽一・成田龍一

「新憲法」に盛り込まれている基本原理は戦前から、心ある日本人によって唱えられてきたものです。けれども当の日本人にはその値打ちがわからない。農地改革と同じように「占領」という強制力で実現した。しかもその時機がよかった世界中が一、二年だけ、パリ不戦条約を思い出し、国際連合の理念に燃えた瞬間だった。
(中略)
 だから、この日本国憲法を守るということは、ほんの一瞬だけ、もう戦争はやるまい、今度こそほんとうに話し合いでやろうということで世界が一致した、そのときの記憶を我々が預かっているということなのではないかと思います。「九条の会」の活動も、もちろん日本の憲法を変えさせない、日本を旧体制へやってはいけないという動きであると同時に、世界の人たちに対して理想の火はまだ消えていませんよ、ここにたしかに人類の理想がありますよと知らせる意味がある。

離婚後、西舘好子は『修羅の棲む家』(はまの出版)でひさしから受けた家庭内暴力を明かした。この本で「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」[36]と克明に記している。

筆が進まなくなるなどで、ひさしは好子に暴力を振るうようになり、編集者も「好子さん、あと二、三発殴られてください」などと、ひさしの暴力を煽った[32]。 (wikipedia)

▼ 『落合信彦X落合陽一 予言された世界』

親子でペ〇ン師。父・落合信彦の「法螺話」については詳細に報告されているとのこと。

フリーライターの奥菜秀次が『落合信彦 最後の真実』(鹿砦社、1999)や『捏造ジャーナリスト 落合信彦』など、落合信彦関連の書籍を多数上梓している。これらの自著に記されている武勇伝に対し、奥菜は著書で、誇張や脚色・盗用、あるいは完全な作り話であると述べている。奥菜によれば、次の通りである。 ➡ 以下、wikipediaでお読みください。

ところで、父・落合信彦は、イギリス首相であったサッチャーにインタビューして、「確かに戦争は悪です。しかし、その戦争によってもっと巨大な悪をストップせねばならぬこともあります。」「平和は貴いものです。しかし、自由はもっと貴いのです。」という証言を引き出している。現在、宇露戦争を止めるな!派の元祖だ。

さて、子・落合陽一さんは、ちゃんとした博士さまだ。学術的業績 ➡ google scholar

博士の学位についての情報➡ Graphics by Computational Acoustic Fields 計算機音響場によるグラフィクス表現

子・落合陽一さんはメディア・アーティストを自称している。決して、学者さまではないのだ。有名国立大学の教官でいらっしゃるのに。そして、ビジネス。子・落合陽一さんはナスダックにベンチャーを上場させた。ピクシーダストテクノロジーズ(web site)。ただし、1年で上場を廃止したとのこと。落合陽一さんはナスダックにベンチャーを上場しましたが、1年余りで上場を廃止しました。 上場した会社の商品とは、超音波技術を用いた頭髪の育毛装置とのこと。魔法使いでもハゲには勝てないのだ。この落合陽一の会社には、公金が入っている[1]。

さて、話は変わって、子・落合陽一さんの言録;自身の人生に影響を与えた人物は?という質問に対し

パッと思い浮かぶのは三島由紀夫ですね。本も好きだけど、生きざまがカッコいい。近代をどう否定しようかと思ったら、三島由紀夫的な選択を取らざるを得ない、そう考えても実際に行動を起こす人はあまりいない。しかも基本は芸術家です。

一方、

 だから私は「全員が魔法使いを目指せ」とは言わないし、書籍にも書かない。その代わり「筋トレをしろ」と言ってる。魔法使いを目指すのではなく、現状を受け入れるのなら、筋トレ以外に有効な方法はないからだ。筋肉は裏切らないし、ほとんどの問題はそれで解決する。

とも言っている。三島は「ほとんどの問題」から漏れたらしい。

[1] ピクシーダストテクノロジーズには日本政府からの補助金が入っている(google)。

 

 


北九州市散歩:戸畑区、夜宮公園、旧安川邸

2025年03月02日 10時54分55秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

北九州市戸畑区は、八幡と小倉の間にある。おいらの寓居は市街地であるが、梅の木を見ない。戸建て住宅もあるがその庭に梅を植えた家をまだ見ていない。近所の公園にも梅が植わっていない。これは、あちこち梅にあふれていた去年までの「武相境」とは大違いだ。北九州市で梅を見ることができる所を探した。あった。梅林をもつという夜宮公園。行ったみた。2月下旬。寒かった。最低0℃、最高気温5℃、ただし、晴れの日。梅を見に行った。


1.JR戸畑駅、2.飛幡八幡宮、3.天神交差点、4.夜宮公園、5.旧松本家住宅/旧安川邸

■ 1.JR戸畑駅 ⇒ 2.飛幡八幡宮

建久年間(1190年 - 1199年)、筑前の宇都宮氏(麻生氏)の祖である宇都宮重業が、出身地の宇都宮から氏神の八幡神を勧請し、花尾城の鬼門にあたる枝光村宮田山に祀ったのに始まる。後に戸畑村に遷され、戸畑・中原両村の産土神とされた。江戸時代には藩主黒田家の祈願所とされた。1920年(大正9年)に現在地の浅生に遷座した。1931年(昭和6年)に県社に列した。1995年(平成7年)、それまでの「戸畑八幡神社」から「飛幡八幡宮」に社名を変更した。(wikipedia)

戸畑区役所は、昭和8年の建築で鉄筋コンクリート造三階建の建物です。設計は、福岡県の営繕課によるものです。建物は、塔を中心に左右対称形に造られています。外装は、帝国ホテルの完成で昭和初期に流行したスクラッチ(引っかき傷)タイル約8万6千枚を全面的に使用しています。また、中央部のデザインは、幾何学文様の二段になった軒回りと玄関上の窓の組み合わせが背後の塔屋とともに重厚さをかもし出しているのが特徴となっています。北九州市 web site

■ ⇒ 3.天神交差点

■ ⇒ 4.夜宮公園

もつ鍋食べた⇒愚記事

▼ 夜宮(よみや)公園

夜宮公園(よみやこうえん)は、福岡県北九州市戸畑区にある公園である。

面積は10.3haあり、静かな雰囲気の公園である。

中央部に広場と戦没者慰霊塔が設置されている。戦没者慰霊塔は戸畑市時代の1959年に建てられ、西南戦争から太平洋戦争にかけての戦争で死亡した戸畑市民が祀られている。wikipedia

■ ⇒ 5.旧松本家住宅/旧安川邸

▼ 旧松本家住宅

国指定重要文化財 旧松本邸。 ⇒ 内部の写真集

▼ 旧安川邸

入館料金 260円

旧安川邸は、明治期に石炭関連企業を次々と創業し、工業都市北九州市の基礎を築いた企業家である安川敬一郎氏により、明治45年に建設され、以後三代に亘り安川家当主及び一族が居住した住宅です。

現在は、明治45年(1912年)に若松から移築された大座敷棟1棟のほか、蔵、洋風本館棟などが残されています。北九州市 web site

公式 web site

北蔵(手前)と南蔵

▼ 鐵の記憶広場

創業者:安川敬一郎➡ wikipedia

支那革命のパトロンであった:孫文を神戸から東京に迎え、自分の隣家を孫文の隠家に借り4年間、毎月孫文に5百円の生活費を提供していた。

 

 

 

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第49週

2025年03月01日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第49週

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週の鍋

博多明太もつ鍋《こく味噌》ちゃんぽん麺付き/1,218円(税込1,340円)(google

もつ鍋を食べたのは初めてだと思う。福岡の料理とも、特に、意識していなかった。福岡県に来て1年近く経つが、専門店でもつ鍋を食べることもなく、ついにはファミレスで食べた。みそ味がよかった。キャベツがよかった。もつは予想外にクセはなかった。

■ 今週の洋館

旧松本家住宅。辰野金吾設計。北九州市戸畑区一枝1-4-33。公式web site

敷地内は入れず、外観撮影のみ。

■ 今週の和館

福岡県北九州市戸畑区一枝1丁目4−23 (google)。題で和館と書いたが大座敷棟であるとわかる。

旧安川邸は、明治期に石炭関連企業を次々と創業し、工業都市北九州市の基礎を築いた企業家である安川敬一郎氏により、明治45年に建設され、以後三代に亘り安川家当主及び一族が居住した住宅です。

現在は、明治45年(1912年)に若松から移築された大座敷棟1棟のほか、蔵、洋風本館棟などが残されています。北九州市 web site

■ 今週の公園

夜宮公園

夜宮公園(よみやこうえん)は、福岡県北九州市戸畑区にある公園である。
概要:面積は10.3haあり、静かな雰囲気の公園である。

中央部に広場と戦没者慰霊塔が設置されている。戦没者慰霊塔は戸畑市時代の1959年に建てられ、西南戦争から太平洋戦争にかけての戦争で死亡した戸畑市民が祀られている。

公園北西にある夜宮池と公園東側の日本庭園に35種7千株(約2万本)の菖蒲が植えられており、菖蒲の名所となっている。菖蒲の開花期間中の6月には「とばた菖蒲まつり」が行われ、イベントが開催され露店も並ぶ。

また、公園内には菖蒲のほかに桜や梅も植えられており、それぞれの開花シーズンには多数の花見客が訪れる。敷地が広大で緑が多いため、園内は散歩のコースとしても利用されている。wikipedia

■ 今週の段飾り

■ 今週のおいらの知らない『世界』、あるいは、奥山真司の不在


借りた本(左)

北九州市の図書館では雑誌のバックナンバーが借りだせる。これは、横浜ではしなかったことだ。おそらく、できないのであろう。岩波書店の雑誌『世界』を借りた。おいらはネトウヨ[1]であり、極右でありたいと願っているのに。[1]下記後述の「今週のガビオン」を参考のこと。

『世界』は、良質な情報と深い学識に支えられた評論によって、戦後史を切り拓いてきた雑誌です。創刊以来75年、総合雑誌として読者の皆さまの信頼に支えられてきました。とりあげるテーマは、政治経済、安全保障、社会、教育にとどまらず、AI、デジタル社会、ジェンダー、気候変動などの分野にも積極的に取り組んでいます。複雑な危機の時代に、それでも知りたい、と考え続ける読者に応えたい。世界と関わっていくための窓であり続けたい――そんな思いから、迫力ある誌面づくりに邁進いたします。岩波書店 web site

戦後民主主義のオピニオン雑誌だ。歴史の本に出てくるほど古い。講和問題とか。ひとこと、「平和と民主主義」を至上の価値とする人たちの雑誌らしい。今日は、論文の内容については、触れないが、気づいたこと。ミアシャイマーという国際政治学者がいる。リアリスト派に属すると目される国際政治学者だ。最近では、ロシアのウクライナ「侵略」について、その原因(遠因)は、米国など西側諸国のクリントン政権以降のNATOの東方拡大にあると主張している。善悪は別として、ロシアのウクライナ「侵略」は合理的なものと解釈している。その主張が宇露戦争でのロシア親派の主張に援用されている。例えば、東郷和彦大使とか。そのミアシャイマーの著書に『大国政治の悲劇』がある。その中の我らが大日本帝国の対米開戦に至る説明にはこうある;

日本の不運は、1941年の時点でソ連の生殺与奪権を持つ 決定的に立場にあったのが 日本であったことである。 アメリカが恐れていたのは、日本が東側から ソ連を攻撃し、 ドイツ国防軍がソ連赤軍を打ち破るのに協力することだった。ドイツと日本は日独伊三国同盟で公式な同盟国であっただけでなく、日本はソ連とその2年前に戦っており、しかも追い詰められていたソ連に対し、日本が攻撃を考えているという情報を、アメリカは 多く入手していた。この可能性を排除するため、アメリカは日本に対し 1941年後半から経済や外交の面で凄まじい 圧力をかけ始めた。ここでの狙いは、単に日本のソ連攻撃を阻止するだけでなく、中国、インドシナ、満州、そしていかなる 日本のアジア支配の野望をも断念させることにあった。アメリカは日本に強力な圧力をかけ、2等 国家にしてしまおうとしたのである。 (ジョン・J・ミアシャイマー、奥山真司 訳、『大国政治の悲劇』)


「保守・反動派」(←死語だよね)にとっては、ある種の「大東亜戦争肯定論」のようなものだ。そして、このようなロジックで、2022年のロシアの侵略の国際政治的メカニズムを明らかにした。この主張は上記にも書いたが東郷和彦ら(鳩山由紀夫さんとか)、親米派など「日本主流えすたぶりっしゅめんと派」からみて「ロシアン・フレンズ」と見える、容露派が好きな論理である。さて、そのミアシャイマー、奥山真司 訳、『大国政治の悲劇』の広告が、岩波書店の雑誌『世界』に載っていた。平和と民主主義を願う『世界』読者の皆さんの欲望に訴えようとしている。つまりは、「悪いのは、実は、アメリカだ!」という欲望を喚起しようとしているに違いない。


岩波書店の雑誌『世界』の広告

ただし、翻訳者の名前が載っていなかった。つまり、奥山真司さんの名前が載っていなかった。奥山真司の不在

▼ 奥山真司の不在2

https://www.youtube.com/watch?v=9mKGTDskCww

毎週やっている、今週のYouTube番組「奥山真司のアメリカ通信」では、奥山真司さんが欠席した。家庭の事情だそうだ。先週は録画であったし、今週も不在で、トランプ大統領が「ロシアン・フレンズ」に豹変したことへの、奥山真司さんのコメントが聞けなかった。ただし、彼のXで下記投稿あり。現在のトランプ大統領の行動はミアシャイマーにとって理解不可能とのこと;

■ 今週のガビオン

この標題、元祖ネット右翼鐵扇會のモニュメントではない。北九州市、旧安川邸。

■ 今週の「リベラル」、あるいは、リベラル・デモクラシーの理念を踏みにじる米国正副大統領と日本「親米派(アメリカ真理教)/LD派」の認知バイアス

ここで「リベラル」とは福島瑞穂や青木理とかわれらネトウヨが「リベラル」と呼ぶ「左派リベラル」ではなく、現在日本の政権与党であるLiberal Democratic Party:自由民主党(LDP)の「リベラル」である。

最近のトランプ政権のプーチンの言い分を内面化したかのような外交政策、ヴァンスのヨーロッパでの演説。これについて、トランプ2.0による「リベラル・デモクラシー」の価値観の崩壊:YouTube:東浩紀無料雑談#7 リベラルデモクラシーの(いったんの)終わりについて がまとめている。

愚ブログでアメリカ真理教の教祖とお呼びさせていただいている岡崎久彦さんには、自伝『国際情勢判断半世紀』という死後(2015年)に出た本がある。その本では所縁のひとが思い出を寄せている。細谷雄一の文章がある。

 

リベラル・デモクラシーの理念を軸に対米同盟に心血を注いできた岡崎を称賛する文章である(下記引用、強調はおいら)。

 岡崎氏のライフワークである、アングロサクソン同盟論は、五、十年単位で考える国家戦略と言うよりも、五十、百年単位で考える 大戦略、グランド ストラテジーです。大戦略は総合的な、国家の行き様、アイデンティティにもかかわってきます。 戦略、外交を語った人はたくさんいたが、グランドストラテジーを語った稀有な存在でした。

  それは日本におけるリベラリズムを守れ、ということでもあります。単なる合理主義的な力の計算ではなくて、それを超えた自由主義というものに関する強い信頼があって、アングロサクソン世界が自由主義を体現している以上、そこと結びつくべきだと考えていた。

  合理主義的で、 リアリストと言われたが、それを超えたアイデンティティや価値にも強いこだわりがあった。日本には自由主義に価値を置かない人たちがおり、さらにアジア主義、親中派の伝統が色濃くある。岡崎氏はアングロサクサクソンとの同盟、アジア主義、日中で緊密な関係を築くということは、両立不可能と考えていたと思います。(『国際情勢判断半世紀』⑤友人、知人が見た岡崎久彦)

ということで、ここ最近の米国正副大統領の(日本えすたぶりっしゅめんと主流派から見て)御乱心にどう反応しているか、見てみた;

それは日本におけるリベラリズムを守れ、ということでもあります。単なる合理主義的な力の計算ではなくて、それを超えた自由主義というものに関する強い信頼があって、アングロサクソン世界が自由主義を体現している以上、そこと結びつくべきだと考えていた。」と細谷は云っていた。アングロサクソンが自由主義を体現しなくなった時どうするのか?日本におけるリベラリズムを守るためアングロサクソンとの同盟を止めるというのが、彼の主張の筋を通すなら、出てくる結論だ。アングロサクソンが自由主義を体現しなくなった時とは、法や理念を無視して「権威主義国家」の指導者と取引で世界秩序を形成することだ。

▼ アメリカ真理教宣伝員の方々、トランプの「暴挙」への御反応



https://www.youtube.com/watch?v=Lv2ln70vP10

この動画ではないが、鶴岡路人さんが「トランプの発言は翻訳しないといけない」の意を云っていた。苦笑した。認知バイアス(実際にトラブルに巻き込まれても「大したことではない」「すぐに解決する」などと考えて気持ちを落ち着かせようとする)だろう。

■ 今週の歴史に残るひとこま

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第48週

2025年02月22日 18時26分40秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第48週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

今週、北九州市は寒かったが、晴れの日が続いた。下記天気図のように大陸の冷たい空気が朝鮮半島を経て、九州島に流れ込んできている。

■ 今週の柑橘

レモンを絞りました。

■ 今週のお弁当

庄や 松花堂弁当(google)。「松花堂弁当は、刺身が2種(マグロとブリ)、鶏唐揚げ、豚生姜焼き、ナポリタン、煮物、卵焼き、ご飯、味噌汁、お新香と豪華です」(google)。1,200円。

■ 今週のシンガポールの催し物

今週を含む2/15-2/28の期間、シンガポールではToatal Deenceという訓練が行われいる。国防演習だ。国防演習といっても今年はフィッシング攻撃の訓練だ。google  気づいた理由は、先週、この愚記事(And I told you there's no-one there)にアクセスがあったから。

学校や建物でフィッシング攻撃や停電の模擬演習を実施し、総合防御演習を実施

さて、シンガポールの国防記念日が2/15であるのは、我らが日帝がシンガポールを陥落させた日であるからだ。シンガポールいうまでもなく「原爆投下は必要であった」と主張するリー・クアンユーさんが国父の国だ。もっとも、シンガポールの建国は1965年であり、シンガポール陥落は1942年だ。

 
中央の日本人は杉田一次(左写真)。 「シンガポール」人による日本兵描像(右)

この投稿後、YouTubeのお勧めで出てきた。

■ 今週の「アメリカ真理教」信徒:ついに洗礼? 孫崎享さんの事例

トランプ氏、ロシアとの戦争は「ウクライナが始めた」と主張google

トランプ氏は「私にはこの戦争を終わらせる力があると思うし、うまくいっていると思う。だが今日、『我々は招かれなかった』という声を聞いた。あなたたちは3年もそこにいる。3年後に終わらせるべきだった。始めるべきではなかった。取引をすることもできたはずだ」とウクライナについて誤った主張をした。

トランプ大統領は、ウクライナのために「ほぼすべての土地を彼らに与え、誰も死ぬことのなかった」取引ができたと主張。「だが、彼らはそのようにしないことを選んだ」と結論付けた。 (ソース

▼ おいらは長年疑問を持ってきた。かつて愚記事に書いた;

おいらは、外務省の人はみんな「アメリカ真理教」なのだろうと思っていた。10代の頃、岡崎久彦、『戦略的思考とは何か』を読んで以来だ。一方、あの孫崎享さんが岡崎久彦と同じポストの後継者と知って、????と思ったこともある。

なお、孫崎は「世界情勢の分析方法は岡崎久彦から学んだ」【岡崎久彦メソッド】と云っている(愚記事:孫崎享の正体;尊皇大使は米国の仕掛けで説明)。

そして、今週わかったよ。彼もやはり、「アメリカ真理教」信徒なのだ。そして、どうやら今回が洗礼らしい。


https://x.com/magosaki_ukeru/status/1892470512548286590

これまで、不信心者だけあって、その洗礼には莫大な活性化エネルギーが必要だったと、今回、わかった。つまり、孫崎さんに洗礼を授けるのは、ただの「アメリカ真理教」の神父さんじゃダメだったのだ。孫崎享が必要とした「神父」は、当然彼だった;

それにしても、この人↓が、陰の「アメリカ真理教」の神学者であったとは、お釈迦様にもわかるまい;

  google

まとめ:孫崎享も和田春樹も「米帝」の手先であったとわかる。米ソ「連合赤軍」[1]=ヤルタ・ポツダム体制の21世紀版の<ヤルタ・ポツダム体制>の手先なのだ。

[1] 米ソ「連合赤軍」:
米国は防共国家であった満州国を認めず、チャイナ大陸の国共合作政府を支援し、ソ連と同盟し防共国家であった満州国を滅ぼした。国際共産主義への最大の貢献者は英米である。チャイナ大陸を中共にくれてやった。なお、今となってはソ連の北方領土占領のため米軍が上陸舟艇などを提供し支援していたことが明らかとなっている。米ソは「連合赤軍」であった。(愚記事)

■ 今週借りて読んだ本


今週借りて読んだ本(左端)と手元にあったので参照した本

高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』。題名は世界戦略とあるが、広くてインドー日本でのイエズス会の活動、書かれているのは日本。イエズス会は南米でも活動しているが、この『イエズス会の世界戦略』では特に書かれていない。ただし、冒頭で映画『ミッション』(wiki)に言及している。日本でのイエズス会の活動はザビエルが来た1549年から江戸幕府の禁教令が出る1613年までの64年あまりの期間。

愚ブログは「耶蘇と毛唐に気をつけろ!」という狭隘な視点を持つブログだ。そういう前提で感想を書く。

この『イエズス会の世界戦略』は2006年の刊行である。著者は、高橋裕史さん(帝京大学 web site)。研究者情報。専門は、経済史   キリスト教史   日本史。キリスト教史の業績として、イエズス会のヴァリニャーニの『東インド巡察史』の翻訳がある(平凡社)。つまり、当時のスペイン語、ポルトガル語、イタリア語、そして、ラテン語(などなど)が読めるのだ。

『東インド巡察史』:ポルトガル領東インド、すなわちインド、中国、日本、東南アジアなど広大な布教地域を管轄したイエズス会巡察師の報告書。16世紀後半のこれらの地域の政情や生活文化の貴重な史料の本邦初訳。 

内容は(出版社web site);

【目次】
プロローグ
第一章 キリスト教とインド世界 イエズス会進出の前史
第二章 イエズス会 創立とその組織
第三章 地上の王と神の使者 俗と聖の饗宴
第四章 「情報」の収集・解析とイエズス会
第五章 「異文化」への処方箋
第六章 神の使者たちの「錬金術」
第七章 聖衣をまとった戦士たち
エピローグ

あとがき

宗教的情熱の下に隠された、宣教師たちのもう1つの顔

イエズス会はなぜ非ヨーロッパ世界の布教に成功したのか? 彼らが日本やインドなどで採用した適応主義政策とは? 布教活動のために貿易や不動産経営で生計をたて、信者と資産保護のため軍事活動も行った宣教師たち。「神の意志」実現のために世界を巡った「イエスの同志」の聖と俗に迫る。

本書には「奴隷貿易」や「人身売買」という語句が一度も出てこない。ましてや、イエズス会が関与したことは明言されていない。さらには、日本に初めてキリスト教(以下、耶蘇 [ヤソ])を伝えたフランシスコ・ザビエルがユダヤ人虐殺者であったこと(google)は書かれていない。

現在ネットで「イエズス会 奴隷貿易」(google)で検索すると、相当の情報が得られる。中には、学術的なものも多い。特に、2021年に刊行された『大航海時代の日本人奴隷』(ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子)が引用されたネット記事が多い。なお、この本(『大航海時代の日本人奴隷』)では、「明白に奴隷貿易にイエズス会が関与していたことが正面から論じられていない」と著者は主張する。そして、イエズス会の悪行を指摘すると、学術的でない形で「炎上」すると云っている。確かに、この本についてwikipediaでは、学術的に問題があると物言いをする人がいる。

  • ^ ソウザの著作は信頼性や文脈化について複数の懸念が寄せられており、定説を形成するには頼りない。2024年時点では査読や追試のあるWP:RS出典が使われるべきだと思います。

この指摘をしている人がイエズス会関係者とはいわないが、奴隷貿易にイエズス会が関与していたことを否定、矮小化、責任転嫁する言説(日本人奴隷を売ったのは日本人だ!)はネットで確認できる。

ところが、今週知ったのだが、デ・ルカ・レンゾという日本二十六聖人記念館(公式web site)の館長であるイエズス会の神父が認めている;

カトリックのポルトガル人が経営していたマカオでも中国人と日本人が拉致され、奴隷として売られていたことは,残忍な人の考えのみならず、限られた人であろうとも、修道士のせいでもあったことを総長に伝えている。この箇所でリベラ神父は,アメリカ大陸の奴隷問題についてドミニコ会の意見や書物を参考に宣教師であれば誰でも知っているはずかのように述べられていることが注目すべきである。イエズス会本部と長崎 〜長崎開港 450 年を振りかえって〜

上記情報が本当であるなら、イエズス会の当事者も認め始めているらしい。もっとも、どこまでどう認めたが問題で、「イエズス会」らしい正当化が潜んでいるかもしれない。

さて、こういう昨今の状況ではあるが、2006年の高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』には、「奴隷貿易」や「人身内売」という語句が一度も出てこないのだ。しかし、ここで気を抜いてはいけない。罠があるい違いない。だって、「イエズス会」だもの。もっとも、高橋裕史さんが「イエズス会」関係者であるかは知らない(御本人は、自分は非キリスト教徒であると「あとがき」で書いている)。でも、「イエズス会」を「人道に反する」恥ずべきものであって、そういうものが存在していることが信じられないという気分は持っていないとわかる。なぜなら、「現在の日本でイエズス会は、上智大学、エリザベト音楽大学、栄光学園、六甲学院、広島学院などでカトリック主義にもとづいた教育活動を展開している。イエズス会は創設時の頃より学術研究を主要な活動領域の一環としていたわけであるが、(以下略)」と肯定的に述べているからだ。おいらは、日本に来る前にインドのゴアで逃げていたユダヤ人を捕まえて火あぶりにし、日本に来てからは、武器商人、人身売買で稼いでいた人たちの組織というのは400年早く現れたナチスだと思い、ゾッとし、さらには、こういう組織を再興して、さらには関与する人が現代日本にもいるのだという厳しい現実は、世の中にはいろんな人がいるんだよと世間知らずだったおいらにとって、とても勉強になった。最近のおいらにとってのイエズス会ビンゴは、田中耕太郎だ。おいらの脳内では「イエズス会の非公然部隊が日本で活躍」なのだ。

「しかし、ここで気を抜いてはいけない。罠があるい違いない、」に戻る。

巡察師ヴァリニャーノの日本報告について、高橋裕史は評している;

ヴァリニャーノ自身が「この[日本という]地が有する多様性と特質は、ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしている」と記しているように、日本の特殊性を総会長以下のイエズス会首脳に広く理解してもらい、たとえば批判の対象となっている在日イエズス会たちの行動の「正当性」を巡察師として立証し、弁護する必要があったからであろう。p95-96

ここで、「ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしている」ものとは人身売買のことではないか。ヴァリニャーノ自身が人身売買に言及しているとは高橋裕史さんは報告していないし、このヴァリニャーノの文章が人身売買のことを云っているという解釈を高橋裕史はしていない。ただし、今、「高橋裕史さんにあなたの2006年の本にはイエズス会の日本での人身売買に言及していませんね」と問いただすと、「いえ、ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしているとは人身売買のことです。私は、2006年に非合法活動を無視していません」と答えられる。

さらに、高橋裕史さんが人身売買、奴隷貿易に言及していないことについて、この本(『イエズス会の世界戦略』)では、イエズス会が携わった貿易について、「各種の貿易であるが、この問題については、高瀬弘一郎氏による、一連の広範な研究がその実像を詳細に明らかにしているので、ここではその主要な概要をまとめるにとどめておきたい」(p163)と書いている。つまり、人身売買、奴隷貿易は既に先行研究が言及しているので、言うに及ばずとしているとおいらには受け取れる。のちに、高橋裕史さんは「私は、決して、イエズス会の人身売買、奴隷貿易を無視していません」と云えるのだ。さて、この論理のためには、ひとつ確認する必要がある。すなわち、高瀬弘一郎がイエズス会の人身売買、奴隷貿易を学術的に認めていることである。註の高瀬弘一郎の文献が手元にはないので、ググってみた。少なくとも、2011年の『大航海時代の日本』には「奴隷を正当化するキリスト教徒」とあり、人身売買に言及している(ソース)。ただし、イエズス会の関与はこのソースにはないようだ。もっとも、「奴隷を正当化するキリスト教徒」とあるが、これは公然のことであった。ローマ時代からアメリカ合衆国まで奴隷は存在し、カトリックは承知であった。さらには、イエズス会自身が19世紀でも奴隷売買を米国で行っていた(愚記事)。

▼ 下、豊後、都(しも、ぶんご、みやこ)


人殺し。

昨年末、大分市に行った。それまで、この地が内府と呼ばれてたことも、大友宗麟の領地であったことも、そして、フランシスコ・ザビエルが滞在したことがあるとは知らなかった。ただし、フランシスコ・ザビエルがユダヤ人を火あぶりにした人殺しであることは知っていた。なお、大分駅前で耶蘇坊主の像を見た時、宣教師なんだなろうなと思ったくらいで、誰だか知らなかった。宗麟の近習の耶蘇坊主ぐらいに考えていた。家に帰り、ググってしった。

当時、イエズス会の日本での活躍地域は、下、豊後、都であったと高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』に書いてあった。下とは長崎地域、豊後は大分、そして、都は京都だ。

豊後は大友宗麟が集団改宗を行い、信徒が1万人を越えた。大友宗麟は、ポルトガル国王、教皇グレゴリウス13世から親書を受けるほどの交信があった。日本イエズス会の威信を示す「対外的名望の地」であったと『イエズス会の世界戦略』は云う。

1580年、臼杵に修練所、1581年、府内にコレジオ開設。1580-1587年、6か所のレジデンシア設立。
1586年 島津義久の軍が豊後に攻め入り、豊後のすべての教会と施設を破壊。
1587年、宣教師(バテレン)追放令(豊臣秀吉)
1587年、 豊後浦辺でペトロ岐部が誕生。
1588年、教皇シクスト5世は、府内に司教区を設立。
1589年、大友吉統、宣教師(バテレン)追放令

1587年の秀吉の九州平定で、イエズス会の豊後地区は衰退、事実上消滅、とのこと。イエズス会なきあとの豊後の耶蘇運動状況 ➡ 豊後のキリシタン小史

▼ 根本的に理解できないこと:布教の実態

 イエズス会宣教師の布教活動には、彼らが絶対的な価値を信じて疑わないキリスト教を異教の地に宣布し、霊魂を救済するという宗教的動機が強く働いていた結果、迫害や死を恐れることなく実行に移されていったものであることは、何人も認める事実であろう。p194

  そもそも、イエズス会宣教師の布教活動とは具体的にはどういったことを目的としたのか?イエズス会がもっとも信徒数を増やした時期、信徒は万を超えたとのこと。一方、イエズス会の会員は100人ほどである。秀吉のバテレン追放令が出た時、集められたイエズス会の会員は120人であったとされる。もし、信徒が10万人とすると、イエズス会の会員=神父ひとり当たり、信徒は1000人である [A]。ところで、神父の任務、あるいは、神父しかできない任務がある。告解の聴取とか。信徒ひとりの立場に立って、1年間に何回、神父さまに会えるのだろうか?そもそもイエズス会の会員=神父は日本語を話すのであろうか?根本的に、日本人信徒はどういう精神状態、知的状態がキリスト教を信仰するということなのあろう?キリスト教の信仰をどう理解したのだろう?本当に日本人はキリスト教の信仰を理解できたのだろうか?イエズス会の会員=神父は、日本人の信徒の霊魂を救済できたのであろうか?

おいらは、全く理解できない。

[A] 『イエズス会の世界戦略』によると、ヴァリニャーニ来日の1579年、信徒数10万人、イエズス会員55人とある。イエズス会員ひとり当たり信者が約2,000人となる。

邪推するに、実態は、イエズス会の会員は大名など最高政治指導者に取り入り、その最高政治指導者を篭絡して、イエズス会の活動に奉仕させたのだろう。その手段、篭絡する手段が、経済と政治(軍事)だ。

この邪推と整合するのは、イエズス会の豊後からの撤退は、豊後が経済的にも政治的にも魅力がなくなったからだろう。万の草莽の信徒は置き去りだ。京都と長崎が政治、経済の中心地だ。日本の首脳の魂を征服することで、日本全体を征服する戦略だったのだろう。

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第47週

2025年02月15日 18時04分55秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第47週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週のメタセコイア

■ 今週のお「魚」:鯨 = 大きな魚

古くは鯨が哺乳類ではなく魚と考えられていたため、その大きさが普通ではなかったことから、「京(兆の1万倍の単位)」のような計り知れない魚ということで「魚」と「京」をあわせて「鯨」となったといわれていますgoogle

北西太平洋産 イワシ鯨(wiki

食感は基本的のやわらかかった。マグロのよりはやや肉感がある。

■ 今週のˈbʌfeɪ/

すからーくグループの「しゃぶ葉」に初めて行った。「しゃぶ葉」は食べ放題のしゃぶしゃぶ屋さんだ。<荊の簪を挿した御方さま>はすかいらーくグループの株を持っていて、おいらは優待券の恩恵に与かれる。これまで、「しゃぶ葉」に行ったことがなかった。理由は、<荊の簪を挿した御方さま>がお肉が苦手だからだ。おいらが、どうしても行きたいというので、奢ってもらった。選んだコースは一番簡素な豚バラ+鳥のみのもの。<荊の簪を挿した御方さま>はお肉を食べないのだが、同席の人は同一メニューを注文すべしとのことで二人前を注文。

豚バラは一皿、約50g。

 豚バラは一皿、約50g。10皿食べた。鳥が一皿。

■ 今週借りて読んだ本

堂本正樹、『回想 回転扉の三島由紀夫』。2005年の刊行。もう20年前だ。堂本正樹[wiki]は、三島由紀夫の8歳年下の「寝友」。ここで「寝友」とは親友のもじりで、褥を共にする友ということだ。松村剛の「造語」とのこと。この本に書いてある。ただの同性愛の恋人同志であったばかりでなく、切腹愛好家同志であった。腹を裂き、腸が飛び出す切腹の凄惨な状況の絵を出汁にして二人で昂奮しあい、切腹ごっこをしていたというのだ。

果たして、堂本正樹は映画『憂国』(三島由紀夫が切腹を演じる映画)の演出を行った。

『回想 回転扉の三島由紀夫』には三島との出会いからのことが書いてある。おいらが、興味深かったのは、堂本正樹の「外人嫌い」。ここで、外人とはただ外国人を指すのではなく、端的に進駐軍兵士のことだろう。堂本が三島と出会ったのは昭和24年(1949年)、まだ占領下である。最近、おいらが認識したことは、敗戦後、占領下では進駐軍の同性愛者が占領下日本(Occupied Japan)で大いに羽目をはずしていたことである。その当時、米国、特に米軍では同性愛は宗教上、そして法的にも、厳しく禁じられていた。それでも、同性愛者たちはいたはずだから陰で秘かにやっていたのだろう。それが、占領地日本の巷に出ると米国のように厳しく禁じられていないので、同性愛の米軍関係者は、大いに楽しんだらしい。男の街「娼」もいた。以前、TBSラジオ、「安住紳一郎日曜天国」でゲストの「伝説のオネエ・吉野ママ」(google)が敗戦直後、進駐軍兵士相手のハッテン場があったと証言していたのを聴いた記憶がおいらにはある。「男のパンパン」と云っていた。進駐軍同性愛者たちは、権力を背景に、「クラブ」を日本人とつくったりした。そういう同性愛クラブに三島は関係があった。鎌倉での「外人の乱痴気パーティーに三島と堂本が参加したことを堂本は書いている。こういう背景で敗戦後日本の同性愛者世間では「外人」が少なからずいたのだろう。それを堂本正樹は嫌ったと報告している。堂本が初めて三島に会った場面を描く一文章が興味深かったのでコピペする;

 そこに、三島由紀夫はいた。
 蒼い縞のワイシャツを着、白い艶のあるネクタイをし、同じく白いズボンを穿いていた。シャツの袖口からは、芝翫論を見せてくれた人と同じく剛毛が覗く。
 頬の剃り跡が青く、顎にくびれがあり、しかもしゃくれた顔は、進駐軍の兵隊を思わせた。(堂本正樹、『回想 回転扉の三島由紀夫』、第一章 八歳違いの「兄貴」)

顎にくびれがあり、しかもしゃくれた顔は、進駐軍の兵隊を思わせた 頃の三島↓

 

堂本正樹は能と歌舞伎の愛好者で、その造詣は深く、三島は能をよくわかっていなかったと報告している。

当時は慶応の旧制中学の学生、その後、慶応の国文に進み、中退とある。戦時中は鎌倉に疎開していた。ところで、堂本正樹は1933年生まれ、江藤淳、愚記事で江藤淳が、三島由紀夫を「殺した」のか?とある江藤淳は自称1933年生まれ、本当は1932年生まれで似たような年齢であるから、同じく鎌倉に疎開していた江藤と堂本は鎌倉ですれ違っていたかもしれない。ただし、堂本正樹の実家は裕福だったらしく敗戦後も能や歌舞伎を楽しんだ。この頃、江藤淳が能や歌舞伎を楽しんだとは伝えられていない。当時、江藤が熱中したのは西洋古典音楽であり鎌倉から日比谷公会堂に通ったことが報告されている。そもそも江藤の著作に能や歌舞伎が出てくるのだろうか?ピンとこない、というか出てこないのだよ。能はともかく、この頃から歌舞伎=サブカルチャー嫌悪?

なぜこの本を借りて読んだかというと、三島論に引用されているから。つまり、三島のあの死の動機を「腹を切って血まみれになって、至高のために身を挺して、死ぬことという側面もあったとの説の根拠が堂本正樹の証言なのだ。

三島論ではなぜ三島由紀夫はああいう最期を遂げたのか?への回答として、セバスチャンコンプレックスであるとしている(澁澤龍彦 1971、井上隆史2020、 愚記事)。さらに佐藤秀明、『三島由紀夫』(岩波新書 2020)で、「前意味論的欲動」という鍵語で三島由紀夫の作品、言動を読み取る。「前意味論的欲動」とは、「悲劇的なもの」と「身を挺している」のふたつの情動を駆動するものらしい。

難しい鍵語によらず、端的に三島由紀夫の「前意味論的欲動」とは、「腹を切って血まみれになって、至高のために身を挺して、死ぬこと」である。事実、最期にそうした。

腹を切って血まみれになって死ぬことを三島が作品化したのは『憂国』である。その前の作品の『鏡子の家』に血まみれになって死ぬことが出ていた。 (愚記事

三島にとって死とは社会からの退場というばかりでなく、即物的に自分の肉体が棄損されることを想定し、かつそれを願望していたらしいこと。今、思えば、三島は死体趣味的なところがある。ただの死体趣味ではなく、死体が「棄損」される状態。何かといえば、豊饒の海の3巻目の「暁の寺」でインドはガンジス川の火葬に立ち会う場面。屍が次々と火に委ねられていく場面、炎の中での遺体の動きなどが「いきいき」と描かれている。何のことはない、三島は猟奇的な死体愛好者なのだ。やはり、「病気」だ。「憂国」などではないのだ。

■ 今週見た YouTube 計4時間

【特別対談】生誕100年・三島由紀夫が予言した日本の危機(執行草舟先生×富岡幸一郎先生)前編後編

執行草舟の話を富岡幸一郎が聞くという計4時間の動画。全部みた。そもそも、執行草舟は怪しい、というのが、おいらの「偏見」だ。胡散臭い。そして、富岡幸一郎。おいらは、富岡幸一郎を、江藤淳や西部邁を知って数年後に知った。当時は、この「兄ちゃん」が江藤淳や西部邁を「渡り歩き」、ついには執行草舟にたどり着くとは想像もしなかったが。

 

 顔がきれいなんです。生前の三島に会っていたら「ほだしを掛けられた」かも?

 

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第46週

2025年02月08日 16時08分24秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

  「犬歯」が抜ける。

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第46週

■ 今週の筑豊境


節分


降雪


雪遊び


霜柱


2月4日の天気図

■ 今週の購入品

山形のお米、はえぬき。13,300円/15kg。

1993年に山形県で開発された「はえぬき」。名前は「生え抜き」という言葉に由来しており、山形で生まれ山形で育つという意味が込められています。その名の通り、山形の気候や風土に適したお米で、山形県以外ではほとんど作られていません。「はえぬき」は山形の気候や風土を計算して作られて品種ですので、他の地域では山形県ほどの品質に育たない為と言われています。

はえぬきは非常に美味しいお米です。その美味しさが高く評価されており、品種登録からわずか数年で山形県内の作付けシェア60%を獲得したほどです。米の一粒一粒がしっかりとしており、適度な水気と旨味、そして炊き上がりの形が崩れず、心地の良い歯ごたえと甘みを感じることが出来ます。また、粘り気が少なくべっとりとしないので冷めても美味しく、お弁当やおにぎりに特に向いています。

山形県産はえぬき は、コシヒカリのような粘りの強さと ササニシキのようなあっさりした食感を併せ持つ特徴あるお米です。冷めても食味が落ちにくくパサつかないのでお弁当、おにぎりなどにもよく利用されるお米として有名なお米です。地元山形の定番品種で、価格もお求め安く、有名寿司店などにも利用されています。ソース

■ 今週の詰合せ

 

■ 今週知った閉店

1.鎌倉の左可井

 

ある本に名刺が挟んであった。穴子の左可井。あー、なつかしいと思った。昔、行ったことがある。

鎌倉参り 2015 2015年11月08日 16時23分46秒 | 東京・横浜

 

ネットでググってみると、閉店していた。

 左可井閉業(google

2.立川の米軍ハウスのお店

外から見ただけ。愚記事:昭和記念公園2019、砂川口から出て基地外の米軍ハウス(維新もの)を見た

《閉店》上砂町・旧米軍住宅の立川アメリカンヴィレッジ入口にあるアメリカンダイナー『ムーンハウス(MOON HOUSE)』が10月17日に閉店するみたい

■ 今週のお別れ:28年間寝そべり続けたソファー

 

28年間寝そべり続けたソファーが昨年末、ソファー内部の枠組み?が座屈した。

500円を北九州市に払って、廃棄した。

■ 今週の「古典」を読んで、気づいたこと:「日米同盟」なき最有力親米派@教祖の「バイブル」

 岡崎久彦、『戦略的思考とは何か』(Amazon

岡崎久彦 尊師。「アメリカ真理教」の教祖さまだ。日本の内政が「ザイム真理教」に支配されているかどうかは、おいらは、わからないのだが、外交・防衛政策は「アメリカ真理教」に支配されていると信じる。おまけに、司法も支配されている(今の日本司法は傀儡司法であり、象徴が田中耕太郎)。

さて、おいらが10代に読み、印象深かった本。1983年。この時代の「空気」は、1979年ソ連アフガニスタン侵略、1982年北海道大演習場「火力戦闘演習」、1983年大韓航空機撃墜事件とソ連脅威論の絶頂期。

その後、ときたま取り出しては読むのだが、改めて気づいた。その気づいたことは愚ブログでさんざん言ってきた言説としての「日米同盟」問題。すなわち;

<江戸しぐさとしての「日米同盟」>:

「日米同盟」なんて言葉は、池田勇人の時代や佐藤栄作の時代、そして福田赳夫の時代にもなかったのだ。もちろん、吉田茂の時代には、当然、ない。

昔からあって、ずっと続いていると思われてるが実は昨日、一昨日つくったにすぎない「伝統」を「江戸しぐさ」というが、「日米同盟」こそ「江戸しぐさ」である。

そして、その「日米同盟」という言葉を日本政府の正式文書に使ったのは、おいらが現在調べる限り、どうやら大平正芳内閣らしい。

(もっとも、今の若い人にとって大平内閣時代なんてのは十分に昔、すなわち「江戸時代」みたいものなので、「日米同盟」なる名称は相当伝統ある言葉になるのだろうか? おじさん、年を取ったょ。)

つまり、「日米同盟」なんて言葉は「最近」できたのだよ、と云っているのだ。

さて、古典の『戦略的思考とは何か』には、「日米同盟」という言葉がない。この本は1983年刊行なので、日本政府は公式に「日米同盟」という言葉を使っているのに、外務省の岡崎は使っていないのだ。『戦略的思考とは何か』には、「日英同盟」は頻出する。この本の主旨は世界はロシア/ソ連とアングロサクソンとの覇権競争である。歴史的にみて、アングロサクソンについた方がいいから、米国に加勢するように自衛力も高めよというもの。そういう主旨なのに、「日米同盟」という言葉はない。ないものをないというのは相当確認作業が必要である。従って、正確にいうと、おいらは『戦略的思考とは何か』において「日米同盟」という言葉を確認できなかったというべきだ。でも、実際、ないのだよ。「日米同盟」という言葉がないので、日本の同盟国アメリカ、あるいは、米国の同盟国日本という記述、発想もない。

では、どうやって、この本で日米関係を表現しているのか?何のことはない、「日米安保」である。これは、今では普通に「日米同盟」といっているのに、1983年にはそうではなかったことの典型事例である。

ところで、なぜ「同盟」という言葉に愚記事がこだわるかというと、戦争を禁じられた国と戦争を普通にする国の間で「同盟」というものが成り立つのであろうか?日英同盟のときとは、日本政府の状況がかなり違う。戦争を禁じられた国の実力組織と米軍の共同作戦というのは、法的運用上、できるのであろうか?

『戦略的思考とは何か』に戻って、なぜ、岡崎久彦が「日米同盟」という言葉を使わなかったのか?その原因として、鈴木内閣の伊東外相辞任「事件」の影響があるかもしれない。1981年のことだ。すなわち、鈴木首相とレーガン米大統領の首脳会談後、日米共同声明を発表した時にさかのぼる。声明には、初めて日米の『同盟』という言葉が盛り込まれた。鈴木首相は『同盟』に、軍事的意味合いは含まないという見解を示したが、伊東外相は『当然含まれる』と明言。閣内不統一に陥ったソース)。岡崎は、外務省から防衛庁に出向して対米協力として「軍事」的貢献をすることに従事していた[1]。こういう背景で「日米同盟」という言葉の使用には躊躇したのだろうとおいらは推定している。

[1] 西村はその後内局に移動するが、上司が岡崎久彦。愚ブログでは、「アメリカ真理教の大尊師」とお呼びしている。外務省から防衛庁に出向していたのだ。西村繁樹は三海峡封鎖戦略を立てる。すなわち、ソ連艦船のオホーツク海への進出を阻止し、原潜による核戦争で(事実上)米海軍に有利になる状況をつくる。この「対米支援」(西村、自衛隊、日本政府は日本防衛と云っている)を以て、西側諸国の防衛の一端を担うという大義を掲げ、外交的カードとした。これこそ、江藤淳が云う「アメリカの日本人によるアメリカのための兵力」の運用だと思うだが。(⑤西村繁樹『三島由紀夫最後に会った青年将校』 2019年

この「古典」、「日米同盟」という言葉がないばかりでなく、「吉田茂」もでてこない。

「日米安保」は「アメリカ真理教」の第一原理である。でも、講和条約に至るまで、安保条約を締結するという発想は外務官僚の中で必ずしも主流ではなかった。なぜなら、ポツダム宣言には講和条約締結後、占領軍は撤退すると書いてあるからだ。占領軍である米軍にそのままいてほしいと願う政治家が、日本は憲法9条があり、自衛戦争さえ放棄しているのであり[α]、自分を守ることができないので、米国様にお願いして駐留してもらうことにしたのが、旧安保条約だ。米国の日本防衛義務がなく、日本の内乱に出兵できる条約だ。これを強烈な政治力で推進、実現したのが吉田茂だ[2]。吉田茂あっての「日米安保」だ。吉田茂は日英同盟同様世界の支配勢力である「アングロサクソン」と組めば日本は安泰だと考えた。実際は、占領米軍がそのまま駐兵する日本の保護国化である。属国日本の誕生。つまり、岡崎の「アメリカ真理教」の本当の祖は吉田茂である。しかしながら、この「古典」、「日米同盟」という言葉がないばかりでなく、「吉田茂」もでてこないのだ。これは興味深い。理由は推測できる。当時、対ソ戦略のために軍事的に対米協力しようとする勢力は「軍事リアリスト」と称された。岡崎久彦はその筆頭とされた。称したのは=レッテル張りをしたのは「保守本流」派である。すなわち、「吉田ドクトリン」の信奉者たちだ。永井陽之助。この『戦略的思考とは何か』刊行後、永井陽之助と岡崎久彦とが相手を意識した論を多く書いた。永井陽之助ははっきり岡崎久彦を批判した。「軍事リアリスト」は、「吉田ドクトリン」を逸脱するものだ、と批判した。こういう背景で、岡崎久彦は、<吉田茂>は「保守本流」防衛政策の象徴なので、忌避したとおいらは推定している。

[2] 吉田の強烈な政治力に「酷使」されたのが、外務官僚の西村熊雄である(回顧は興味深い)
[α]「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私は斯くのごときことを認めることが有害であろうと思うのであります。」国会における吉田茂内閣総理大臣答弁(ソース

■ 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第45週

2025年02月01日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第45週

■ 今週の筑豊境

■ 今週の繕い物

■ 今週のお米:自給率100%?の麺麭

お米のブール(フランソア
国内産米粉のほのかな甘みが特徴のシンプルなソフトフランスです◎穀類中に米粉16%使用◎本製品には小麦を含みます。

国内産小麦でつくったとある。お米の原産地を確認することを忘れてしまったのだが、国産米であれば、自給率100%だ。

■ 今週の豪産品

ふるさと納税、北海道 平取町。北海道民おすすめ『ラムしゃぶ』

 

北海道で食べるジンギスカンなど羊の肉は全て輸入品であることは知っていた。1980年代からそうであった。当時、高校生であったおいらは羊の肉は全て輸入品であると知って、少し衝撃を受けた。さて、内地の人が「ラムしゃぶ」を食べるようになったのは何時頃からだろう?むしろ、シナの火鍋経由で知った人もいるのかもしれない。遅くとも1970年代末に北海道の家庭では「ラムしゃぶ」を食べていた。ただし、「ラムしゃぶ」という言葉があったかは憶えていない。当時、「ラムしゃぶ」専門店はなかったと思う。ジンギスカン専門店は多数あった。ジンギスカン専門店がなぜたくさんあったかというと、ジンギスカンの家でやると臭(にお)いが問題だからと思われる。ところで、1980年前半には、おいらの行動範囲では、肉屋に「ラムしゃぶ」用の肉は常時並べて売られていなかった。もちろん、ジンギスカン用のラム肉、マトン肉は売られていた。一方、「ラムしゃぶ」用の肉は半冷凍の肉を薄切りにしてもらって購入していた。常時並べて売られていなかったので、その場で切ってもらうのだ。話は、飛ぶが、カナダ(牛肉の大産地)ではすき焼き用の薄い肉が売っておらず、牛肉は安かったが、すき焼きができなかった。もっとも、カナダの牛肉では脂がのっていないのので、すき焼きにしても合わなかったであろう。話を1980年代前半の札幌に戻して、当時(1980年前半)の肉販売事情を想いだすと、マトンが100g、60円代、ラムが80円代だった。おおざっぱに云って、豚が100g、100円~、そして、牛肉が100g、>400円。まだ、牛肉の自由化が進展していなかった。何より、北海道では牛肉の消費量は、全国的に見て、顕著に低かった。牛肉のすき焼きやしゃぶしゃぶを、おいらの家では、やったことはなかった。高校生の頃は近所の肉屋に行ってジンギスカン用のラムを買って(2-400g)、台所でフライパンで、羊臭を発散させながら焼いて、自家製のたれ、あるいは、ベルのジンギスカンのたれを用い、おやつがわりに食べていた。

■ 今週の和食:お寿司&天ぷら

■ 今週の欠け

お寿司&天ぷらを食べたお店のお茶碗が欠けていた。

■ 今週の訃報、激急追放、あるいは、パラノイアの顛末、そして、生き残った者について

今週月曜日、1月27日朝6時からのTBSの生島ヒロシの番組を聞いた。月曜コメンテーターの森永卓郎が、いつものように、電話出演。ただし、相当具合がわるそうあった。声がたえだえだ。先週と大違い。激変したとのこと。あぁ、これは本当に長くはないな、「死ぬ死ぬ詐欺」とのつっこみも洒落にならないなと思わせるものであった。そして、驚いたことは、森永卓郎の訃報より先に、その日の夕方帰宅すると生島ヒロシが降板させられたとの報であった(生島ヒロシがTBSラジオを降板&無期限活動自粛、パワハラ・セクハラだけではない「身内びいき」の私物化)。翌日火曜日に森永死去。こういう事情で、1・27『おはよう一直線』が伝説回(google)となった。

さて、愚ブログでは20年前に森永卓郎に言及している(2005年12月14日、吉良邸に松の廊下 by 森永卓郎)。その中で森永卓郎を、金子勝と並べて、「彼らはトーダイ出だけれどadministratorに入っていない。つまり、実質的なパワーエリートのなりそこないである。しかしながら、世俗への未練だけはトーダイ出であり、いろいろ芸を工夫して、実社会に影響力を及ぼしている」と書いている。この見立ては20年後も妥当であって、最期はザイム真理教論で世論を席捲し、世論を「煽動し」財務省批判を惹起せしめている。事実、ネットで見る森永追悼の言葉として「本当のことに気づかせてくれてありがとう!財務省が30年の日本経済停滞の元凶です!」といったものが溢れている。森永卓郎は緊縮財政政策を批判し、財務省などが云う財政危機というのは嘘であり、日本政府の財政は健全である。したがって、赤字国債をもっと出しても問題ないと主張している。一方、資本主義については時機に破綻すると主張する。

これだけネットで森永卓郎が話題になる中で、誰も指摘しないことは、森永卓郎こそがパラノイア的人間であることだ。資本主義というのは何よって駆動されているのかを説明する仮説に「成長パラノイア」論(google)がある。森永卓郎は資本主義を人格として駆動させる資本家[1]たちを「病気」として、いくらお金があっても不安で到富衝動から逃れられないと解釈している。資本家たちは全人生を到富行動に捧げる勤勉な人たちだ。つまりは、パラノイアだ。ところで、全人生を勤勉に休むことなく倦むことなく注文原稿を一度も落とすことなくレギュラー番組を病欠することもなく「富」と名声のために捧げたのが森永卓郎である。30年あまり、精力衰えることなく出ずっぱりであった。

[1] (前略)彼は、抽象的富の斬新的取得が彼の操作の唯一の推進的動機たるかぎりでのみ、資本家として、または、人格化されたー意志と意識を与えられたー資本として、機能する。第四章 貨幣の資本への転化 カール・マルクス、『資本論』(長谷部文雄 訳)

 

さて、(2005年12月14日、吉良邸に松の廊下 by 森永卓郎)では、森永卓郎と金子勝との会話について言及している。奇しくも二人はラジオ番組「大竹まことゴールデンラジオ」にてそれぞれ月曜日と金曜日のレギュラーやコメンテーターである/あったが、今では口も利かないのであろう。なぜなら、ふたりの経済観、財政政策観は正反対だからである。森永は赤字国債発行による財政拡大論であるのに対し、金子はアベノミクス批判の筆頭であるからだ。事実、森永が死んだ3日後の同番組では、森永卓郎については一切言及せず(かつては知己にもかかわらず追悼もなしで)、赤字発行という無責任な財政政策を激しく攻撃している(YouTube 「分かれ道に立つ日本経済」【金子勝】2025年1月31日(金)【紳士交遊録】)。

ところで、森永卓郎と金子勝の全く相いれない経世論を、はい、はいと聞く(聞き流す?)大竹まこととは一体なんだろう?

■ 今週のとっくに指摘済み!(福田恒存 風) マスゴミの「若い」女性の役割分担、女子アナ上納問題とその類似事例

マスゴミ、特に、テレビで若い女性、容姿が「良い」女性が登用され、あまつさえ、本来業務以外の女性性を「売りもの」にする業務(接待業務)を強いられることについてTBSが報道している(「不倫してくれたら次もCMを続けるよ」「アスリートをアナウンサーで囲んでほしい」テレビ局の接待の場で何が…メディア業界における女性の)。➡ X(小島慶子 報道特集)

「どんなむちゃなことも、どんな非常識なことも、平気でやってのける男だけが良き働き手とされていて、女性がそういう現場で働かざるを得ない」「若くて見た目が整った女性しか映す価値がないという強固な思い込み」「心身を本当に痛めつけられながら働いてきた人がたくさんいる」(小島慶子)

下記、女性が「飾り物」と指摘している;

もちろん、おいらは、決してリベラルではなく、フェミでもなく、ただのネトウヨであるが、とっくに指摘済みである。約20年も前だ。愚記事:2006年07月11日、反動勢力としてのTBS 。下記、今から思えば、われらがネトウヨが大好きなサンモニである。なお、下記で局アナとあるがアシスタント(唐橋ユミなど三桂所属のタレント)の間違いである。

TBSのテレビ、日曜の朝やっている報道&コメンテート番組がある。関口宏が司会をしているやつ。そのスタジオの構成は司会の関口を中心に、向かって左にコメンテータ4,5人、向かって右に局アナが4,5人。 その局アナは2時間余の番組で4,5人も動員され、各コーナーを担当する。 業務は原稿読みであり、自分の言葉を考えて、発する必要はない。そういう仕事は向かいのコメンテータがするのだ。 さて、変なのは、その局アナが全員「女性」なのである。 司会の関口@男は自分の裁量でじゃんじゃん思いついたことをしゃべり、番組を仕切っていく。そしてGo!サインで原稿を読むのが「女性」局アナなのである。 別に原稿を読む局アナがいても問題ないのだが、というかそれは要請された番組に必要な正当な業務である。 なのに何でそれを多人数でやっているのに、全員「女」なんだ!?


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第44週

2025年01月25日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第44週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の草木花実

■ 今週の壁画


静岡県

■ 今週の京都


新幹線から見た。東寺だよね。2009年02月20日と同じネタになってしまった。

■ 今週読んだ本:三島由紀夫『美しい星』

先日の『鏡子の家』と違い、背表紙が色褪せていない。この版は平成29年(2017)刊行。ここ数年以内にブックオフで買った。購入価格500円。定価は630円。したがって、中古価格はそんなに下がっていない。

『美しい星』は、昭和37年・1962年に発表の作品。読む前の予備知識は、三島にして唯一のSF作品という評。読むと、空飛ぶ円盤は出てくるが、自然法則をフィクション化した内容、あるいは、実現不可能な技術を想定したお話というわけではない。SFではなくとも、空飛ぶ円盤を信じる人たちはいるし、そういう信者にとって空飛ぶ円盤はリアリティがあるに違いない。むしろ、ある種の「狂人」たちのお話といえる。

ところでこの作品、SFというより、思想小説でもある。暁子の処女懐妊などはSFというより神学フィクションといえる。イエスの父とはどんな「人物」であったかと読める件もでてくる。三島アイテムという視点では、虚無(ニヒリズム)に加え、bloody: 血まみれも出てくる。あと、これは指摘されていないことだと思うが、三島は同時代の高度経済成長と消費社会に、ついていけなかった/疎外感をもっていた/嫌悪していた。高度経済成長前の小売店の店舗、品揃え、商品展示から百貨店の商品についてなど、高度経済成長の消費社会について書いている。

さらに、今のいうところの、反出生主義的思考、加速主義的思考が認められる。そもそも、ハイデガーの影響が見える。「アウシュヴィッツが、罐詰工場や化学薬品工場とどこが違っただろう」と言わしめている。8章、9章の「思想」披露を奥野健夫はドストエフスキーの「大審問官」を思い浮かべるといっている。8章、9章は丹念に読む必要がある。

三島由紀夫は作品の創作中はその中の人物になりきる習性があったらしい。この『美しい星』を書いている頃について村松剛は下記報告している;

『美しい星』を書いていたころの三島は、半ば宇宙人になりかかっていた。狭山に今夜UFOが降りるのだといってヤッケをまとい水筒と双眼鏡と雑嚢とを下げ、(新潮社の編集者である)菅原氏の表現によれば「何ともいいようのない恰好で」深夜現地に出かけて行った。この場合も、菅原氏は同行している。 
「ご自分で作りあげた主人公になりきる習性がある」と氏がいった(後略) 村松剛『三島由紀夫の世界』

▼ 金沢、仙台:  なぜか、舞台場が本拠地の埼玉県飯能市に加え、金沢と仙台である。

SFといわれるにしては、架空の土地ではなく、具体的地名が示される。なぜ、金沢や仙台なのかわからない。この作品の時代設定は1962年頃である。キューバ危機とケネディ暗殺の間の時期とすれば作品の叙述と整合性がとれる。すなわち、米ソ核戦争の危機があった時代。「ボタン戦争」という言葉は今の人は知らないだろう(goo辞書)。この作品には「釦」が頻発する。戦争と平和をめぐる主題が大きく横たわる作品である。そういう視点でみると、この作品で、金沢に行った登場人物は「内灘」に行く。防風林となったその地で「人間たちのあの有名な血みどろの闘争の跡」と発言させている。ただし、その「内灘」の有名な血みどろの闘争[1]とは何であるかは書かれいない。今の人が読んでもわからないに違いない。

[1]  内灘闘争 [wikipedia]

金沢と仙台は、共に有名大大名の城下町であり、近代には陸軍の師団司令部があった街だ。ただし、金沢はB-29が来なかった戦災を被らなかった街であるのに対し、仙台は大規模な空爆を受けた

▼ そして、藤崎、あるいは、硫酸なんか売っていたのか!?

藤崎デパートが出てきた。三島作品でデパート名の名指しという例は、仙台の藤崎デパート以外、あるのだろうか?なにより、驚くのが、登場人物が仙台の藤崎デパートで買うものが、硫酸なのである。

▼ SFというにはあまりに実際的:仙台川内の米軍住宅

別にこの作品の主題とは関係ないのだろうけれど、些細な事について。

(前略)羽黒は入試の答案の採点の仕事が残っていたので、早目に青葉城下の米軍キャンプ跡の家に戻った。それは広瀬川五間渕に跨る大橋を渡って、城址へ昇る広大な舗装道路の右側にあり、米軍が引揚げたあとは、その簡素な洋風の小住宅の群れは、公務員住宅に転用されてて、裁判官や検事や大学の先生が住むようになった。 
 家々は左右相称の構造を持つ平屋の二軒長屋か、二軒建の四軒長屋で、まわりに芝生や花壇や、アメリカ風の物干し場を巡らしていても、ローラーで坦(な)らした土地には眺望も風情もなかった。 


広瀬川五間渕に跨る大橋を渡りながら、青葉山・大手門跡地・仙台城址を望む(愚記事


二の丸の占拠者の変遷:仙台伊達家➡日帝陸軍➡米帝陸軍➡大学

なお、この三島が登場人物羽黒をして歩かせしめた通りは、仙台のページェント通り[2]である(愚記事)。

[2] ページェント;pageant (歴史的な場面を舞台で見せる)野外劇。 (時代衣装などを身に着けた壮麗な)行列、山車(だし)、はなやかな見もの。

仙台市青葉区川内は敗戦前は旧軍(陸軍第二師団)施設であり、敗戦後進駐米軍の基地(Camp Sendai [wiki])となったことは知っていた(愚記事:)。しかし、今となってはワシントン・ハイツの資料からわかるような米軍住宅がCamp Sendai にあったのか、どの位置にあったかなどは知らなかった。奇しくも、三島の小説で知った。ただし、事実かわからないが。三島の小説の文章を辿ると、それと思しき建物群は確認できる。


1945-1950年の航空写真

米軍駐屯は、昭和20年9月~32年11月であった。

Camp Sendaiの住宅域の航空写真が見つかった(ソース)↓

「仙台市史 特別編④市民生活」P326掲載写真 / 川内キャンプは、仙台に進駐した米軍が、陸軍第二師団跡地を接収し、1945年(昭和20年)秋に設置 /左斜め上へゆく通路を境に、右上が司令部ほか各施設のエリア / 左下が宿舎のエリア (ソース

★ 蛇足

上の1945-1950年の航空写真の「建物Z」が、下の航空写真の下部の左右に伸びている建物である。この長い建物は、その後、昭和末期まで残存し、平成元年を生き残った(はず)。


ソース

■ 今週の耶蘇

日本民間放送連盟(民放連)会長でフジテレビ副会長の遠藤龍之介氏が23日、都内で定例会見を行い、芸能界引退を発表したタレント・中居正広について言及した。

 遠藤氏は、一連のトラブルについて初めて知ったのは「昨年12月の中旬。自宅に文春さんがいらっしゃった。トラブルの本当の内容というのが、私も含め、分かっていない。非常にショックを受けた」と心情を明かした。ソース

女子アナを接待要員に使うことは以前から行われていたとの情報もある。遠藤龍之介が社長、そして、それ以前に、そういう会社の慣行であったことを知らなかったのであろうか? ところで、この人「宗教N世」(3世?)だよね。別に、御本人がいいのであれば、いいのだけど。

あたりまえだけど、耶蘇だからといって、倫理的にすぐれているわけではない [3]。でも、「懺悔」すれば「禊」だ、というシステムで悪行を続行しているとすれば、興味深い。というか、耶蘇・毛唐さまたちってそういう人たちだよね。

[3]  松田武、『戦後日本におけるアメリカのソフトパワー 半永久的依存の起源』では、占領下の日本の民主化の実現性を評価した米国占領者、知識人たちは、日本人がキリスト教なしで民主化できることに疑問を呈していたとされる。

■ 今週返した本