alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

戦場の恐怖で言葉を失う 

2015年11月17日 | フランスあれこれ

 パリのテロを知ってから、現場付近に行きそうな人から
メールを送っていきました。オペルカンフ、サンマルタン・・・
そういえばサンマルタンのワインバーを教えてくれた彼女は
どうだろう・・・?フランス時間の深夜、すぐに
メールが返ってきました。「まさにあの店にいたのよ・・・」
現場から100メートル程のその店は素晴らしいヴァン・ナチュールを集めた
ワインバー。隣にはまさにサードプレイスというあたたかみのある
カフェがオープンしたばかり。
何故この地区?観光地ではなく、フランス人たちが
パリらしさを愛し、誰かに出会い、のんびり過ごす・・・
そんな場所での経験を早速彼女が書いてくれたので
翻訳を掲載しようと思います。

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「戦場の恐怖で言葉を失う」


 その日は11月のわりに好天に恵まれていた。
パリ10区、サン・マルタン運河からすぐの友人のワインバー、
「オー・ケ」に行くのは私の週末の楽しみで、
いつものように歩いていた。
通りの角にあるレストラン、「ル・プティ・カンボッジ」や
カフェ「ル・カリヨン」の暖房のきいたテラスは若く、
流行に敏感で、楽しそうにしている客たちで溢れている。
「オー・ケ」に入り、友人の編集者と素晴らしいボジョレーを
味わっている時、突然激しい音が響いて、私たちは固まった。
21時25分だった。

 客達は「爆竹だろう」と言っていたが、
私は銃声ではないかとすぐに思った。
1回目の連射、そして2回目、3回目・・・
その音は止むように思えなかった。
主人のアランは様子を見に店をでて、
すぐに叫びながら戻ってきた。
「カトリーヌ、警察を呼べ!人が死んでいる!」
外に出ると「カリヨン」の前にはひっくり返った椅子や
グラスの破片とともに、数人の身体が歩道に横たわっていた。
数分前に通りがかった時には楽しそうにビールを飲み、
タバコをふかし、話に夢中になっていた人たちがいたあの店を、
不気味な沈黙が包んでいる。

 私たちは生存者だった・・・恐怖に言葉すら失い、
突然現れた戦場の光景に激しいショック状態だった。
再び音が聞こえてくる。男性の叫び声や嗚咽。
2台の消防車の到着。車に乗った犯人が他の店で乱射する音。
それから携帯のメッセージでサン・ドニの競技場でも
爆発があったと知った。

 戦争だ・・・と気付いた私の頭は1つのことで一杯だった。
息子を避難させなければ。劇の練習の後、どうか
メトロに乗らないように・・・すぐ父親に連絡し、
彼をタクシーで迎えに行くように連絡した。
警察が来て現場周辺を埋め尽くし、大声で
命令しながら地区を包囲していった。
負傷者達が運ばれるのを見てから私たちは
再び店に避難した。もはや時間の感覚も失っていた。
携帯にかじりついて友人達の身の安全を確認し、
パリ中で起こった事件がわかるにつれて一層ショックを受けた。

 翌日の土曜と日曜、店主のアランは犠牲者のために
店を閉めることにした。けれど私たちは強く誓った。
絶対次の金曜日にはこの店に戻り、ワインを共に飲むことを。
恐怖に屈してたまるものか。フランス人でありパリジャンである
私たちが何よりも大切にしているのは自由とフランス共和国の価値観なのだから。

 彼らはどうして25年前から私の住んでいる10区の中心を
襲う事にしたのだろう?パリ市長のアンヌ・イダルゴはこう言った。
「標的となった地区や場所はパリジャンの愛するまさにパリらしい
庶民的な雰囲気があり、誰にでも開かれた地区だった。
皆で一緒に生きているという光景が、人類愛そのものを
黙らせようとした狂信的な者の目には堪え難く映ったのだろう。」

 だが私たちは黙っているわけにはいかない。
なんとかして獲得してきた女性の自由を守り続けてきた
マリー・クレールは、これからも私たちの思想の自由、
愛する自由、生き方の自由を守り続けていくからだ。


マリークレール副編集長 カトリーヌ・デュラン
訳:飯田美樹
著者の許可を得て翻訳、掲載しています。

原文
"Muet d'effroi, face à une véritable scène de guerre"
par Catherine Durand, Rédactrice en Chef Adjointe de Marie Claire

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