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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
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徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリの同時多発テロ 3

2015年11月16日 | フランスあれこれ

 フランスのテロに相変わらずショックを受け、
これからどうしていったらいいものか・・・と思っていると
そんなことを迷う間もなくフランスがイスラム国に空爆を行った。
10機が爆撃に向かい、20回の空爆が行われ、イスラム国の
司令拠点とジハード戦士の養成拠点、それに武器庫が破壊されたという。
もちろんこれまでで一番大きな攻撃だ。
フランスは今までシリアでのイスラム国への空爆に対しあまり乗り気でない
態度を示し、空爆に参加したのは9月になってのことだった。
これまでの参加回数は4回で、空爆全体の3-4%程度しか
占めていなかった。イラクの空爆に関してはより少ししか
参加していない。

 ヨーロッパでは8月にフランスとオランダ間を結ぶ国際列車、
タリスで爆破未遂事件が起き、その頃からオランド大統領は
もし自国の国民を狙う事件が起きたらその時は・・・と
覚悟して作戦を考えていた。だからこその異例のスピードで、
彼が「容赦なく、冷徹な態度で」臨むと宣告したように
アメリカと息を合わせてイスラム国の拠点を即座に空爆したわけだ。
フランスは早いうちに航空母艦シャルル・ド・ゴールを
ペルシャ湾に派遣し、機動能力を3倍にするという。
1月のテロ(※シャルリーエブドを襲ったのはアルカイダ)
ではまだ寛容な姿を見せようとしたオランド大統領だが、
今回は相当に様子が違う。
非常事態宣言もあと3ヶ月引き延ばすつもりだという。

 国喪に服して2日目の日曜日には、ノートルダム大聖堂で
ミサが開かれ、外出を控えるように言われているものの、
多くの市民が参加した。オルガン奏者が即興で国歌マルセイエーズを
演奏したときには沢山の人が涙ぐんだという。
テロの標的となった店やコンサートホールの前を訪れる人も
後をたたない。20代~30代のパリジャン達に愛されていつも満席だったという
10区のビストロ、ル・カリヨンの前には花束が溢れている。

 亡くなった129名のうち、105名の身元が確認された。
ルモンド紙はインターネットの紙面にも名前入りのリストを公開。
学生や大学教授の死亡も確認され、ソルボンヌ大学やHEC、
日本語教育でも名高いINALCOの学生も一人亡くなっている。

 テロリストは計8名とされており、そのうち7名の死亡が確認されている。
残りの一人、Salah Abdeslamはベルギー生まれのフランス人で、
現在国際指名手配されており、写真が公開されている。
彼はバタクランの前に駐車した黒い車を運転していたことが判明。
しかし犯人の身元がわかるより早く、車でベルギー国境を通過。
この時国境でのコントロールを受けたものの、その時点では
警察に捕まらず、のちにベルギー警察が同車両を見つけた時には
すでに姿を消していた。彼の兄はボルテール大通りで自爆して死亡。
もう一人の兄弟がベルギーで尋問を受けている。
また、競技場付近で見つかったシリア人のパスポートは偽造されたものだと判明。
彼は10月3日にトルコ経由でギリシャに渡り、セルビア、クロアチア、
ハンガリーを通してフランスに来たと見られるが実際の身元は不明。

 今回の事件でまたしても浮上したのがベルギーとイスラム急進派との
関係性だ。フランスは大陸に位置し、飛行機で入るのに比べると
車で国境を越えるのは相当容易に出来てしまう。
(実際、国境線のコントロールを強化した後ですら、容疑者は
ベルギーに入国できた)ブリュッセル郊外にあるモレンベックという
貧しい地区はイスラム急進派の温床として知られ、90年代から
ジハード戦士を産み出す場として認識されているという。
ベルギーの首相は今回の事件を受け、「(イスラム急進派が関わる)
重大な問題が起こった場合、ほとんどいつもモレンベックと関係がある」と述べたほど。
2014年4月にブルッセルのユダヤ系美術館で起きた殺人事件の犯人も
モレンベックに滞在。同年8月に国際列車タリスでテロを試みた容疑者も
同地に滞在。2015年1月のパリのテロを起こしたクアシ兄弟や
アメリー・クリバリ容疑者も武器の一部をブリュッセルで購入。
今回の事件で使われた車の1台はモレンベックで借りられたものだといい、
7人が事情聴取を受けている。

 何故フランスでテロが起こるのか?という問題に対し、
1つ言えることがあるとすれば、イギリス、アメリカに比べ
フランスはヨーロッパ大陸で地続きであり、行動を起こしやすいのかもしれない。
アメリカやイギリスで事を起こそうと思えば飛行機等で国境線を超えるときの
チェックをいかにくぐり抜けるかが大きな課題となるが、
ヨーロッパ、特にベルギーからフランスを車で移動するだけであれば
ほとんど難なくできてしまう。それに加え、パリでの事件はニューヨークでの
事件に匹敵する程大きなインパクトを世界中に与えられる。
フランスが特に空爆参加国の中で突出して憎まれているというよりは
テロを起こしたときの効果の大きさや陸続きでのやりやすさというのも
あったのかもしれない。(これは私の仮説)

 もう1つ、franceinfoで伝えられた仮説としては、おそらく
競技場付近の自爆テロを行った人物たちは、本来は競技場に
入ろうとしたのだろうということだ。当時はオランド大統領もおり、
インパクトはかなり大きなものになる。一人は入場券を持っていたという
情報もあるが、自爆ベルトを着けていたため、
入場のコントロールでひっかかったのではないかと言われている。


 多くの若者が金曜の夜、ちょっと一杯友達と話に楽しみに行く、
そんな地区であった悲劇。その場所を知っている程、それは他人事だとは
思えない。「これが一週間前や明日だったら、私の身に起こっっていたかもしれない」
と現場に献花しにきた若者は言う。私自身、この界隈は9月に何度も訪れ、
事件の起こったプティ・カンボッジと同じ通りにあるワインバーに行っていた。
まさか、と思いその店を教えてくれた知人に連絡をしたら事件のあった深夜すぐに
メールが返って来た。「まさにその店にいたの・・・なんとか私は命拾いしたけれど
亡くなった人たちも目にしたわ・・・」東京でいえば中目黒か代官山のような
若い人たちの愛する地区で、突然起こった大量殺戮。

 亡くなった人たちも、テロを行った若者も、ともに20~30代中心という
私と同世代の若者達だ。彼らがテロリストになった理由はまだわからない。
世界における南北格差、国内でも全ての恩恵を受けられる者と
貧しい者のますます大きくなる格差。持てるものと持たざる者、
そこから生まれる行く先のない恨み・・・そしてその怒りや恨みを
まさにそうだ、君が正しい、と後押ししてくれる師との出会い。
(急進派の師となる者は把握されていても事件を起こさない限り逮捕はできない)
イスラム国は確かに悪い。それはイスラムではない、とイスラムの人たちは言う。
イスラムではなくただのテロリスト集団だ、ととらえてこその空爆でもあるのだろう。
とはいえイスラム国はイスラム教をたてにとり、傷ついた若者の自尊心をいたるところで
くすぐっていく。まだヨーロッパではイスラム急進派に傾倒する若者もいれば
ある日突然何告げずにシリアに渡航する若者もいる。


 ブリュッセルのモレンベックには多数のジャーナリストが押しかけ、
住民達は「つににモレンベックも有名になったね!」と冷笑的な言葉を浴びせる。
「また過激派と混同する気?」「またかよ・・・」
そんな中ルモンドのインタビューに答えた男性はこう言った。
「お願いだからわかってほしい。確かにここからシリアに行った者が多いとしても、
それは誰も彼らの面倒をしっかりみたことがなかったからだ。
それで狂信的な奴らに出会った時にやっと自分が生きているって
感じられるようになったんだ。俺は勉強もしてフランス語も
アラビア語もオランダ語も話せる。それでも仕事を探すときには
モレンベックに住んでいない友達の住所を伝えてる。」

 ユーロスターのファーストクラスで豪華な旅行を楽しむ人もいる。
一方で命がけでその上に飛び乗り、荷物の1つも持たずにイギリスに
渡ろうとする者もいる。彼らはBBCのインタヴューにこう答える。
「だって母国で生きていても死んでるようなものだから。」
世界は問題で満ちていて、解決策はまだわからない。
移民したって、その国に生まれ育った2世や3世は不平等に苦しむだろう。
オランドがとった行動も強靭な解決策の1つではある。
でもその他にも世界がもう少しましな状態になるための方法は
残されていないのだろうか?
これはフランスだけの問題ではなく、今フランスを中心に
アメリカやロシアがともに足並みを揃えようと協力している。
選択肢や解決策は1つだけではないだろう。
だからこそ、世界が大混乱に陥る前に一人一人が少しでも
できることをやっていく、それが大切なのではないかと思う。


参考文献:Le Monde, france inter 
情報は11月16日(月)日本時間17時時点のものです。

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