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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

オランド大統領

2015年11月28日 | フランスあれこれ
 テロが起きてから2週間後の金曜日、
パリのアンバリッドで犠牲者への追悼集会が開かれた。
そこで演説する人はたった一人、フランソワ・オランド大統領だ。
彼は月曜日にはキャメロン首相と会談し、火曜日には
ワシントンに飛びオバマ大統領と会談。水曜にはパリで
ドイツのメルケル首相と会談し、木曜にはモスクワに飛び、
あのプーチン大統領とさえも合意を得る程に
世界を必死に駆け回っていた。そして今日、
アンバリッドで犠牲者の家族の前に追悼集会が開かれて
犠牲者の全ての名前が読み上げられた。
犠牲者の多くは35歳以下の若者だった。
彼らは生粋のパリジャンばかりではなくて、
129人の犠牲者は17カ国の国籍が入り交じっていた。
パリの超お金持ちの地区ではなく、若者達が
楽しく語り合う金曜の夜、まさにサードプレイスで起きた惨劇。
何故こんな場所で・・・という疑問に対し、
パリ市長やオランド氏らは多様な人が入り交じって
楽しそうに過ごす場所がテロリストには許せなかったのではと捉えている。


 今回もオランド大統領が演説をするというので私は
France 2の中継を観ようと思いパソコンを開いていた。
彼の表情はまさに曇っているとしか言いようがなく、
昨日まで世界を駆け巡っていた力強い人とは別人のよう。
私は約15分間の演説を聴き、全て理解した訳ではないにしても
1つの事に気がついた。彼は本当に苦しんでいる・・・

 1つの国のトップとして、あの日からどれほど動いてきたことだろう。
彼は眠っているのだろうか?楽しくサッカーを観戦していたときから
目の前の世界は一瞬にして変ってしまった。
テロがわかってから即座に指揮をとり、突入作戦終了後にはバタクランに駆けつけた。
鳴り響く救急車や警察車両、救護される人たちを目にして彼は
何を思っただろう。ラジオとインターネットの新聞からだけでも
ものすごい惨状が伝わってくるというのに、彼は国のトップとして、すべての
現場を見ていった。そして今日彼は犠牲者たちについて語った。
彼らの年齢、どんな職業についていたのか、ミュージシャンも多かったこと・・・
学生、ジャーナリスト、公務員、アーティスト、様々な職業の人が
入り交じり、国籍も肌の色も宗教も混じっていたこと・・・

 空爆を指揮する傍らで、彼はこと細かに状況を把握し、
演説原稿をいちいち仕上げ、自らの言葉で語り続ける。
彼の言葉は出来合いの言葉ではなく、彼自身の気持がこもっている。
それは「イスラム国を何が何でもぶち倒せ!今に見てろ!」というのとは違う。
私は彼ほど言葉を選ぶ人を知らない。
彼が一切「イスラム国」とイスラム教徒を混同しないように
どれほど言葉に気をつけているかは演説を聴くだけですぐわかる。
1月のシャルリーエブドの事件の際の彼の対応や呼びかけに
私は心底感動していた。「今から大統領の演説です!つなぎます!」という
フレーズが入るたびに フランス国民でもない私は
熱心にラジオに聞き耳をたてていた。
私をまず感動させたのは、彼があの事件の直後に
わざわざ予定を入れ替えてまで、アラブ世界研究所で開催される会議に
演説をしにいったことだ。彼はあの状況の中でイスラム教の
地位ある人たちに呼びかけた。「アラブ世界と西欧の交流の歴史が
文化を育んできた。いまこそ新たな文明交流をしていこうではないか」
そして彼はこう言った。「イスラム急進主義のテロの一番の犠牲者は
イスラム教徒の人たちである。」
彼はことこまかにイスラム世界の歴史や文化的役割について
語っていた。きっと沢山の国を訪れて、本当に敬意を表していたのだろう。
このことは日本ではほとんど報道されなかったけれど、私は
彼があえてとったこの行動に一人心を打たれてしまった。

 「寛容の精神」それを1月に見せたのは彼ではなかったか?
けれどもあまりにも寛容にしすぎた結果、また甘くみられてしまった。
ヨーロッパの境界はゆるすぎだった。国境をコントロールした後でさえ
ベルギーに逃げていけるテロの犯人。取り締まりを強化したはずなのに
再びパリで起こった大惨事。殺戮現場がどれほどの惨状だったかは
生存者の証言をラジオで聞いただけでも鳥肌が立つ程伝わってくる。
血のしたたる現場を1年で2回も自ら目にした国のトップが憤り、
断固たる態度をとろうとするのも当然のことだろう。

 それでも今日アンバリッドにいた彼は、14日に演説をした彼とは
別人のようだった。どちらかといえばその人は、1月のテロの後
それでも連帯を呼びかけていたあの人に近い口調で語っていた。
彼は本当に苦しみ続けていたのだろう。自分がとった寛容政策が
いけなかったのかもしれない。テロを起こしたわけではないが
危険人物とにらんでいた人たちのリストはあった。
そこをそのままにしていたからか・・・その反省から非常事態宣言が
延長されることになったのかもしれない。彼は議員達を急遽ベルサイユに
集めて演説し、最終的に非常事態宣言の3ヶ月の延長はほぼ
満場一致で可決された。

 社会党で左派の大統領は空爆もシリアへの介入もためらっていた。
イラクの事態で反省していた国際社会のトップ達は
また泥沼になるのを懸念して介入を躊躇していた。その結果起きた事は?
シリアでは化学兵器で市民が無惨に殺され、イスラム国は
勢力を伸ばし、ヨーロッパやアフリカでのテロを次々引き起こしている。
(チュニジアでも先日テロがあり、10人以上が亡くなった)
キャメロン首相はオランド氏との会談の後、議会に向けて語りかける。
「今行動を起こす事によるリスクと、行動を起こさないままでいるリスクと、
どちらの方が高いのか?」おそらくそれは、出会うたびに
彼らをなんとか説得していくオランド氏に言われたことなのだろう。
誰だってリスクはよく知っている。反対意見も知っている。
アメリカもイギリスも議会は慎重な姿勢を見せていた。
だから介入はしなかった。そこをイスラム国が嘲笑い、勢力を
伸ばしていった。空爆による被害、イスラム国へ動員されること、
そこで奴隷になることや、批判して殺されること。
シリアを逃れ、故郷への想いを抱きながら難民として生きること。
他に選択肢があるのなら、きっとそれが一番いいだろう。
シリアの問題は入り組みすぎて何が最善なのかを理解するには
それだけでも相当の努力が必要だし、簡単にはわからない。
世界の知識人だって、明確に一致した答えがない状況なのに
状況を正確に把握しきっていない一市民が急いで出した答えの方が
的を得ているとも言えないだろう。


 私がオランド大統領の話を聞きながら思うのは、少なくとも、
彼はブッシュ大統領とは違うということだ。
私は彼の話を聞く度に思ってしまう。この人は人の心の痛みがわかる人間ではないかと。
彼の言葉は上っ面な印象がなく、政治家にしては珍しい、実直で、
弱い立場に置かれた人の気持がわかる人ではないかと思う。
話し方だってマリールペンやサルコジや他の大臣とはまるで違う。
本当にすごい人ほど謙虚だというのなら、
彼のすごさはそこにあるように思えてしまう。

 空爆だけが答えではない。
そんなこと、おそらく百も承知で選ぶことにしたのだろう。
(それにフランスの軍の参謀も空爆だけでイスラム国を
倒す事はできないと言っている)
そこにもちろんリスクはある。それでも世界で一気に協力しあって今この時点で
対処することこそが、よりよい未来につながっていく、そんな信念があればこそ
彼は世界の大国のトップと話し続けたのではないかと思う。

 オランドは私の先輩だった。未来はもっと明るいし、私たちの手で変えていける、
そんな民主党的夢想を抱いた20歳の私は留学先の学校の冷徹な姿勢に驚いた。
若者の夢想は砕けさり、叩き込まれたのは生々しい国際政治のあり方だった。
世界には大国と小国があり、世界は戦争で満ちている・・・
そして「理想」は「現実」と相対する言葉である。
まだ希望で一杯の若者に、こんなに夢のないことを教えて
どうするんだろうと、日本から来た私は憤りで一杯だった。
けれどもあれから15年経ち、原発事故やイスラム国の人質事件等
色んな出来事を経験するうち、あの学校で教わったことが正しかったのではないか
と思うようになってきた。世界は戦争で満ちている。私は知らないで育っただけだ。
日本の新聞は世界で起こっている事をこと細かには教えてくれず、
1日でもチェックし忘れると世界の重大なニュースは去っていく。
けれどもルモンドやBBCに普通に触れていればそんな問題は常識だ。
ヨーロッパやアフリカ、中東で起きるテロ。イスラエルで続く紛争。
イタリアや英仏海峡間に溢れる難民達と命がけの渡航の様子。
イスラム国やシリアの状況を命がけで伝えようとする市民・・・

 国際社会は冷徹な取引で満ちている。そこには希望や期待、
いざとなったら誰か(アメリカ?)が助けてくれて・・・なんてことは存在しない。
自分の利害で一杯いっぱいになっている中、いかに交渉をしていくか。
バブルのようにはじける理想は、はじめから持たない方がいい。
何故なら理想は現実の反対だから。高校時代はCOP3の京都会議のデモに参加し、
学生時代は環境活動にうつつをぬかし、世界は変えられる?と思っていた私には
パリ政治学院は冷徹すぎた。けれどシラクもオランドも先輩だったと知った今、
私はかすかな期待を抱いていたい。オランドはブッシュとは違う。
フランスはアメリカとは違う。フランスにはフランスの外交術がある。
それは力でうむを言わせるやり方よりも、最大限に知性を活かしたやり方であるはずだ・・・
フランスのワインも食文化もベルサイユ宮殿も、ただの文化なだけでなく
フランス流の外交戦略の1つなのだから。

 今回の事件後の反応に対し、ユルゲン・ハーバーマスはこう言っていた。
「私はフランスという国に対して、シャルリーエブドの事件のときに
したように、世界が見習うような例になって欲しいという
ちょっとした期待を抱いています。」だから彼も見守っている。
私も今のところはハーバーマスに同意したい。そしてオランドは
おそらく世界の、そして国民のその期待を知っている。
今週末からはCOP21も開かれる。議長国として
どれほどの役割を担う事ができるのか、ぜひ少しでも
世界のそんな期待に応えて欲しいと思う。



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