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alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

一心同体

2009年07月16日 | 子育て
 「赤ちゃんとお母さんは一心同体なのよ」と以前母が言っていた。
最近調子を悪くしてからその意味が本当によくわかる。

 京都にいるとき 私がいつも構っているから、れんちゃんは
楽しそうにやっていて 家にいるときはよくふぎゃふぎゃ
言ってはいるものの 笑顔の絶えない子だったけど
私の調子が悪くなって れんちゃんにとばっちりがきてしまう と
れんちゃんの笑顔も減っていく。


 もう鬱だ と 思った日には れんちゃんはちゃんと
察知してくれて その日は家でも泣かなくて
かなり静かにしてくれていて だけどストレスがたまっていたのか
夜中には変な泣き方をして何度も起きた。


 それでこちらに帰ってきてから 私も気分転換をして
ようやく笑顔が普通の笑顔になってきたころ
れんちゃんもあの満面の笑みが戻ったようで
今日は私と一日一緒にいたら みんなが口を揃えて
「れんちゃん機嫌がいいねえ 幸せそうだね」と言っていた。

 れんちゃんがイライラしているときやおかしな時は
振り返れば 私がイライラしている時や 私に
ストレスがかかった時で 私が笑顔で楽しそうにしていると
それに呼応してあの満面の笑みをみせてくれる。
だけど一度笑顔を失ってしまったのなら
それをとりかえすのはそう簡単じゃない
試行錯誤をくりかえし おもちゃで機嫌をとってみて も
結局うまくはいかなくて 外にだしてもなんだかだめで
結局の処 お母さんとのぴったんこの
肌の触れ合いが大事なようで
彼を片手に抱っこしながら家事をして
その上またおんぶしたりで それであの笑顔は保たれていたのだと
今頃知った。

 私たちにとって 肌と肌との触れ合いは
本当に大事なもので 京都では毎日していた怪獣ごっこの
触れあいも やっぱりとても大切で 私の腰骨というのは
彼を抱っこして片手で支える そんなためについていたのかと
そんなことを思わされる。私の人生はれんちゃんの
ご機嫌取りかと思ってたけど それでもあの笑顔は
何にも代え難くって あの笑顔は私の心もとかしてくれて
大切なものを与えてくれる。


 こちらに帰って昔書いていた日記を読むと
あー私って淋しい淋しいって言ってるなーというのがわかる。
でもれんちゃんが生まれてくれて 淋しいのからは解放されて
京都のニュータウンでの生活は 孤独ではあるけれど
れんちゃんがいてくれるから うるおいだってあるわけで
いつもいつも追いかけられているけれど 精神的に余裕はないけど
淋しくはないような そんな気がする。


 横浜にいたら カフェもいけて 友達もいて
素敵なお店も沢山あって 私をつくった東京の街も沢山あって
美術館も展覧会も おいしいパン屋もケーキ屋さんも
だけど野菜の直売所も 緑豊かな公園も 赤ちゃん向けのお店もあって
じーちゃんとばーちゃんとお兄ちゃんたちと甥っ子がいて
本当に素敵だと思う。知れば知るほど いいとこで
知れば知るほど 帰りたくなくなってしまうけど
今回は長居していいようだから 私も自分を楽しもう。
毎日毎日カフェに行き 毎日毎日外に出て
お母さんが笑顔になること お母さんが自分になること
お母さんも人生を楽しむことが 子供の幸せに直結してる
なるべく近くにいてあげられて なるべく私も幸せに生きる
そんな方法を模索しよう。

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