alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

旅立ち

2012年01月13日 | 福島見聞録



 福島で沢山の人に会って来て約1週間の滞在が過ぎ
はじめて降りた福島駅の西口の階段を1週間ぶりに上りながら
ソフィーとこう話してた。「ここに来たときは私たちは
何も知らなかったね。意外と普通なんだな って思ったけど
その下に隠されているものについてもわかってなかった。」


 福島市に住む人たちの現状がなかなか触れられていないというのは
いろんな理由があるにせよ、そのうちの1つに
複雑すぎてわからない というのもあるだろう。
私はたまたま外国から来たジャーナリストと一緒だったから
もともと長く滞在する予定だったけど 日本人の
記者だったら  こんなに長くは居ないのだろう。
でも福島は1日じゃなかなかわからない。いろんなことがからみ過ぎてて
インタヴューをしてみても 初めて聞いたりだとか
耳にはしていても それがつまり何であるのか
どういう仕組みで動いているのか 何を意味していることなのか
わからないことが多すぎる。

 ホールボディーカウンターって何のこと?
外部被爆と内部被爆はいったいどう違うんだろう?
内部被爆の方が重要だというのなら、低い線量だったら
外にいても大丈夫ってこと?外部被爆は内部被爆に足されるものなの?
年間1ミリシーベルトって 毎時でいうとどれくらい?
放射能と放射線は何がいったいどう違うの?
郡山の人は福島市より低いしって言っているけど、毎時0.6
マイクロシーベルトって大丈夫なの??
どれくらいのセシウムだったら食品に含まれててもいいんだろう?
暫定基準の500ベクレルってどれくらい?(ちなみに暫定というのは
「飢饉のような非常事態に食べても仕方のないレベル」のことらしい)


 インタヴューをする度に そして誰かと会う度に
私たちは質問を投げかけてった。除染をしてたら大丈夫なの?
たしかにそうだと言われたら 校庭の除染が1回だとしても
それがちゃんと長期間でももつのなら 部活をしたって
かまわないような気がしてしまうけど。でも許容範囲といえる
線量というのはいったいどれくらいなんだろう?
それにどうして福島にはすべてのこんな疑問に答えてくれたり
不安に答えてくれるような窓口や場所がないのだろう??


 福島にいる人たちも 私たちと同じように ほとんどの人は
はじめは何にも知らなかった。呼吸をしてもいいのだろうか?
他の人が洗濯物を干しているなら私も干したっていいのだろうか?
それからカフェででてくる飲み物は?あったかければただの
水よりちょっとはましといえるのだろうか? それとも
ミネラルウォーターを使ってくれてたりとかするのだろうか
あまりにも疑問があって それに答えられるような疑問もあるけど
答えの出ない疑問も多い。

 
 そんな中 で 何を判断基準にしたらいいのかもわからないまま
もうすぐ1年がたとうとしていて 福島県は「安全宣言」をしたらしいので
それに沿った市も教育委員会も「努力もしてるし安全」ということにして
日常生活を戻そうと それはつまり 何事もなかったような
日常生活を戻そうと やっきになっているらしい。
(ちなみに福島市は妊婦さんや乳児に対して特にこれといって
放射能に関する調査や講座などを開いたりはしていないらしい。
2月からようやく内部被爆がはかれるようになるらしいけど、、
ちなみに市内の学校でも特に放射能に関する授業とかもないらしい)


 私たちは今日南相馬の避難区域の境界線のところに行ったのだけれど
その近くで仮設住宅の建設ラッシュが始まっていた。
「これはどんな人たちのための仮設住宅なんですか?」と
尋ねてみると「原発の事故で避難してた人たちが戻ってくるため」の
住宅らしい。そこは20キロ圏内のとこからすぐ近く。
確かに線量で計ったらそこまで高くはないのだけれど(場所にもよるけど)
福島からまだ県外に避難する人がいる一方で 福島県は
県外に出た人たちを「安全」といって戻そうとする。
それは子供たちを守るための活動をしている人たちからしてみると
「命よりもいつも経済活動が優先」にしか見えないらしい。
経済活動、そして何事もなかったかのようにとりつくろってる
その姿勢は東電も国もJR西日本も同じじゃないか!と私には思えてならない。


 「これから社会を変えていくのは女たちですよ
とくに子供のいるお母さんたち」と言う言葉 を 何度も
福島で耳にした。お母さんたちにインタヴューして彼女たちの気持ちを
沢山聞いてる 私たちも 母であり だからそれがよくわかる。
フランスでも原発の反対運動をがんばっているのは女たちらしい。
そして避難を決めていくのも女たち。


 「あなただったらこの状況でどうしますか?」
と福島の人たちにソフィーは何度か聞かれてた。

 「私はまさにそれを考えたくてここに来たの。でも
まだ答えはでないわ。」とソフィーは言った。

 私は今日久しぶりに笑顔のかわいい息子に会って
もしこの息子が目の前で異様な鼻血を出したら?
私だったらそれで即 脱出することに決めるだろう。
そう それに 実際のところ 私はいろんなことが怖すぎて
西日本にいたくせにフランスに行ってしまったのだ。
だから脱出するのだろう。「もしもう一度爆発のような
大事件が起こったらフランスに行くかも」と思ってたけど
背中をドン!と押すような 大事件というのは今度は
爆発ではないのかも。私の中に放射能が存在している
それが蛍みたいに お腹の中からやんわりと光を放ってる
それを想像するだけで本当に怖い。「線量計を大人は
地上1メートル、子供は地上50センチのところで計るのは
その位置は性器の位置で、放射線がどれくらい性器の位置に
とどいているかを計るため」なんだと測定所の人が言っていた。
自分の身体の中からすでに細胞が破壊されているかもしれないというのに
その上息子が鼻血を出したら?
それはもう 私にとっては きっと脱出になるのだろう。


 人それぞれに事情があって 私の場合は前から
フランスに行く準備をしたりしていた。地震の後、爆発の前に避難した人は
前から相当原発の怖さについて知ってた人か まわりに
そういう人たちがいて 「とにかく逃げろ!!」と言われた人たちだった。
それから約1年が過ぎようとして なんとなく「安全」に見えてしまう
日常の中で 今 この時に 避難という決断をするのはより一層難しい。
もはや部活は外で普通にやっているのに?
福島市のある中学校では生徒600人中で避難した子供は10人だけしか
いないらしい。避難を支えるサポート組織の人は
最近はめっきり応募する人が減ってしまって驚いていると言っていた。
そんな中 で背中を押すのは難しい。


 毎時0,2マイクロシーベルトでも 避難をした方がいいのだろうか?
本を読めば読む程怖くなるし 講演会に行けば行く程恐ろしいけど
まわりには日常が存在している。テレビでも学校でも もう
放射能について騒いでいない。もう収束したんじゃないか?
私の気にし過ぎだろうか?それとも?それとも国や県が
私たちを見殺しにしているだけなのだろうか、、、
だけど本で過去のことを学ぶと そう 事態は収束なんてしてない
事態が悪くなっていくのは きっとこれからのことなのだ。
「大丈夫 と思って気にしていなかった」人たちが これから
どうなっていくのかなんて 誰にも何もわからない。
本当に大丈夫ならそれがいいけど その「大丈夫」がもし
「原発の安全性 絶対に大丈夫」と同じくらいの「大丈夫」なのだとしたら
そこには何の保障もない。。。


 「福島のことを忘れないでください」と目に涙をためながら
語ってくれた人がいた。「一人でもわかってくれる人が
伝えてくれようとしている人がいて嬉しくて」と彼女は言った。
「避難するのは後ろめたい気持ちもあるんです」でも
そんな中で彼女は決めた。私もソフィーも言いたかった。
ある決断を下した後には きっとその決断を下すまでに
ずっとぐるぐる悩んでどうしようもなく苦しくなって
ただ泣くしかなかった そんな状況から脱出できる
そうしてただもう 前を向いて進むしかなくなって
そのうちに道が開けてくると。


 「私たちに必要なのはイマジネーションなんだって
あの人が言ってたわ。イマジネーションっていうのは
他の人生を想像できるかどうかっていうことじゃないかと思うの」
そう その時一緒に居た人も言っていた。「仕事をやめて福島を出て行くのを
決めるまでは後ろばっかり向いてたんです。今までの生活とか
どう守っていくかばかりが気になって。でも決めてもう
進むしかないって決断をしたときに いろんな人たちに出会ったんです
そして最後にマリークレールの人にも出会えただなんて!」
そうして私たち3人は そこで出会うことになり
女同士 居酒屋でなんだかすごく共感しあった。決断するまでは
本当に辛いけど きっとその後 今までの人生とは違った何かが待っている。


 沢山の人が いろんな事を思い悩んで 最後の最後に
決断をする。残る人も これから他県に旅立つ人も
子供を連れて 見知らぬ土地に行く人も。
旅立ちはいつだって不安だらけだ。 果たしてやっていけるのか
いったい何が待っているのか 子供は受け入れてもらえるだろうか
だけどきっと たくさんの辛い時を過ごした後で 沢山悩む時期から
何か決断を下した後で 違う人生が待っている。
それは過去のものとは決して同じではないだろうけど
いいことだってあるのだろう。辛い決断をした私とソフィーは
何の縁だか国境を超えて偶然出会った。そしてまた
私たちは福島で 沢山の尊敬できる 勇気ある女性に出会った。
守りたいもの 大切にしたいもの 建前でなく
本音の部分で これだけは譲りたくないというもの
それを大事にしてなんとか自分でやろうとしている
そんな女性に沢山出会った。沢山の辛い話がある中で
そんな中で彼女たちは変わっていった この先どうしたらいいのかなんて
誰も教えてくれないけれど 自分で道を開くしかない
そんな道に直面している けれども前を向こうとしている
だから私たちは出会ったのだろうか 福島から何かが変わる
そしてそれは もっと大きなうねりや共感を
きっと必要としているのだろう 孤独な中で一人でもがく
彼女たちの声というのは 決して特異なものじゃない。

 もっと幸せな未来のために もっと一人一人が
誰かと違ってもいいことを 自分の考えを言える事が
できるような未来になるために いったいどうしたらいいのだろう?
明日あさっては横浜で脱原発世界会議が開かれます。
福島の現状、生の声が知りたい方はぜひ足を運んでみてください。

フランスに行くなら

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