1月からすっかり福島モードになっていて
他のことがかなりおろそかになっていたけど
本当は そう、拙著『caféから時代は創られる』の
第3版が完成したのです(しかも年末には家に届いてた)
カフェ、、ねえ、、、と
頭が福島のことでいっぱいになっている時は
自分のやってきたことまでも疑りたくなってしまうけど
いやいや、そんなはずはない。きっとそんなはずはなくって
カフェ的な対話というのや カフェのような場 というのは
これからの時代 とても大事になると思う。
例えば福島に こんなカフェがあったなら?
飲み物はみんなミネラルウォーターでつくられていて
柿の葉茶やドクダミ茶とか リンゴとか酵素を使った
メニューのご飯や玄米ご飯とかが色々あって
世界中のメディカルハーブとかエッセンシャルオイルが
集まっていて 気になる症状によって誰かがそれを調合してくれ
カウンターのまわりには沢山の人が なんとなく話をしたくて
集まっている。そこには世界からのジャーナリストも集まっていて
自然と英語の会話もあって もちろんみんな 話しだすと
熱いから 熱い議論が生まれてる。でもただお茶を飲みにきたっていいし
本を読みにきたっていいし 赤ちゃんとのんびりしにきたっていいし
誰かと出会いたくってきたってよくて みんな思い思いに
そこで時を過ごしてて 誰も家で鬱々としていたくないから
その店はいつも人で満ちていて いるだけでなんだか気分がよくなっていく
そこにいったら 福島のことや 新しいエネルギーとか
これからの世界観について 沢山の情報が手に入る、、、
「福島はね 今パワースポットだと思うんです」と
福島でフリーペーパーを作っている人が私に向かってそう言った。
え、本当??と思いはしたけど なんだかよくわからないけど
魅力がある それは確かなことだと思う。そしてこれから
また沢山の人がそこにやってくるだろう。本当のことを知りたくて
現実の福島を知りたくて。だからこそもし 可能であったら
福島にそんな情報が集まっていて 不安なことや 気になることを
ちょっと誰かと話していたい そんな人たちが集まるカフェ的な場が
あったらきっと いいだろうと思うのだけれど
外部から来る人たちにとってみても、、、
そんなカフェ は 福島だけじゃなくって
これからいろんなところで必要になってくるんじゃないのかな
彼女は「仮面」についての話もしてた。仮面があるから
本当は 本心では 怖いとか そんなの嫌だと思っていても
県の誰々さんだとか、八百屋の誰々さんという「仮面」を
かぶった自分になると とてもそんなことが言えなくなると。
だから居酒屋に居るとき以外 いっつも仮面をかぶってしまうような
日本でこそ カフェみたいに 仮面をはずして 誰でもなくて
ただのそこで出会った個人みたいな感じで ぽろっと本音の
話ができる そんな場所が大切なんじゃないのかな?
私たち は あまりに仮面を長いこと かぶっていたから
仮面が顔に張り付きすぎて 脱ぎ方すら忘れてしまったかもしれない
いつから仮面が張り付いていたのかすらも 記憶にはないのかもしれない
それらは他人にむけて作られた顔で 「こうでなければならない」という
顔だった。でも本当は どこか遠くにやられてしまった 自分というのも
いたはずだった。本当は 歌うのが好きで 本当はちょっと恐がりで
本当はそんなことはしたくなくって 本当は、、、
カフェには建前は必要がない。カフェには仮面は必要ない。
カフェは昔から 社会的身分から解放される場所だった。
あなたがたとえ社長でも 隣に座った私とせいぜい同等の権利しかない
そんな場所がカフェだった。そこで社会的身分を気にせず
ぽろっと口に出した言葉が 本当は的を射ているかもしれない。
カフェにはいろんな役割がある。住環境が悪かったとき
人々が集ったのもカフェだった。みんながそこで時を過ごせば
家で暖房を使わないでいられるし 誰かがいるから
なんとなく寂しさから逃れられるし でも好きなことはやっていられる
それにカフェでは干渉されることもないから 「一人でいたいと
欲しながらも 誰かがいないと生きられない人たち」にとっては
格好の場所だった。そんな場所 は 不安な時代にこそ
必要とされていると思う。カフェが本当に力をもって不思議な
魅力を放ち始めていた時代 は たいてい戦時下だったから。
不安なときは 誰かと一緒にいたいと思う
家で一人でテレビを見るより 誰かとそれを見て
誰かと意見を交わしていたい そこにお茶があったなら
それだけでほっとするだろう。私は震災直後にどうしていいか
わからずに 堪え難い想いを吐き出したくて京都中のカフェを
廻った。でもどこにいっても「ここだ」とは思えなかった。
そして最後に 確かもう航空券をとることに決めていた夜
カフェで開催されてた日仏交流会に行き ああここだけは
不安や放射能やいろんなことについて 思ったことを口にできて
みんなでそれを話していられる それがやっぱりフランス風のカフェなんだ
だから私はフランスに行こう と その時は確信してしまったのだけど
そんな時 に 誰かに想いを打ち明けられる
ちょっとでも聞いてくれる人が居る カウンターにいた隣の人と
少しでも意見を交わして不安な時を共有できる そのうち
ドキドキしてた気持ちがいやされて「じゃあいってきます!」に変わってく
そんな場 が カフェだと思う。そんな場は 結局のところ
なかなか存在しないけど 日本にもっと増えてほしい。
『cafeから時代は創られる』これはパリの昔のお話ですが
カフェという場のもつ魅力、力づよさ、社会的役割について
考察、力説している本です。現代にも活かすことはもちろんできると思います。
また増刷しましたので興味のある方はご注文ください。
アマゾンでもそのうち注文できるようになると思いますが
お早めにという方はalternativeway@mac.comまでお願いします。
送料込みで2900円でお送りします。
(ちなみに東京 西国分寺のクルミドコーヒーさんでも購入可能です)