alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

福島の女性たち

2012年01月09日 | 女の生き方


 今日は取材が終わって偶然入った10席くらいの
カウンター式の居酒屋で 出会った人たちと話をして盛り上がり
お酒を飲んでワイワイしながらフランス語と日本語を交えて
みんなで色々語ってた。そして奥の席の女の人が手を挙げてこう言った。

 「フランスは原発が多いってきくけど
福島の事故の後何か影響がありましたか?」

 これはかなり興味深い。さて、変化があったのだろうか?
マリークレールのジャーナリスト、ソフィーはこう答えてくれた。
「もちろん大きな変化がありました。フランス人にとっても実は
原発について議論するのは一種のタブーみたいなものだったんです。
でもこの事故のあと人々の考えはかなり変わって、今では
次の大統領選の論点が原発のない社会を目指せるかどうかになっています。」

 そうだったのか、フランスは電力の80パーセントを
原発でになっているのに、原発をなくそうなんて
考えがついに現れてきただとは。

 この答え、に 質問をした福島の人は驚いて
なんだかとても嬉しそうな顔をしていた。フクシマは、
世界に1日で名前を知られてしまったフクシマは そして
沢山の苦しみを突然背負う事になってしまった福島の事故は
何かを変えつつあるのだと それはネガティブな方向だけでなく
何事かの流れを変える大きな変化でもあったのだ と
それはフランスさえもを変えつつある 
私たちのいる福島が そんな影響を与えつつある
それはなんともすごいことではないか、、、
そんな風に 彼女の表情は語っているように私には映ってた。



 今日も朝から晩まで沢山の人とお話をして
沢山の方の想いを聞いて 鳥肌が立ったり胸を打たれたり
すごいなあ、、、と思わされたり。福島の女性たちがすごいと思うのは
彼女たち は 自分でものを考えている。
そしてものすごく知識がある。それはこういう状況が
彼女たちをそうさせたからなのだろう。
政府の言う事は嘘ばっかりで 公式見解は嘘ばっかりで
彼女たちは私がびっくりするほど政府というのを信じていない。

 例えばソフィーが「さっきお医者さんから聞いたのだけど
食品の表示に産地名だけじゃなくってベクレルも表示されるようになったら
いいと思う?」と聞いたとき 答えた女性はこう言った。
「それはそうなった方がいいと思うけど どうせ10ベクレルと
書いてあってもあとでやっぱり50ベクレルでしたと言われると思うから
そんな表示はあっても信用ならない」のだそうな。
ここまで信用していないのか!それならどうやって野菜を買うの?
私たちが今までに会った女性たちは宅配システムを使うらしくて
なるべく西日本か九州産のものを買うらしい。

 彼女たちの食品に対する意識といったらかなりすごくて
なんだか栄養士さんと話をしているみたい。それもどうしてかというと
「もうすでに外部被爆をしてしまっていて それは福島にいる
以上はこの先もさけきれないことだけど 内部被爆だけは
できる限り減らすように努力したい」からだそう。

 私は知らなかったけど 内部被爆がいかに恐ろしいかを
今日出会ったお医者さんも力説してたし そういう知識は
彼らが力説するまでもなく お母さんである人たちの間では
かなり浸透しているらしい。それは市とか県とか 国がどうこうではなくて
彼女たちが 自分たちで 自分の力だけを頼って
沢山のことを知っていった結果なんだな
福島市も 子供たちの外部被爆の検査や内部被爆の検査も
これからしていくらしいけど それでも「安全宣言」をしているわけで
「これのどこが安全なんだ!!」と思っているお母さんたちは
自分のできる限りのことをしてみんなの身を守ってる。

町中のホットスポットの情報交換とかもしているらしく
福島の子供たちは「あそこは線量が高いから危険」というのを
「この公園のここらへん」とかそういうレベルで知ってるらしい。


 たいていの人が言うけど 今の時点で福島に残っている人たちは
いろんな事情を考慮した結果残らざるを得ないと思った人たちで
(だけど国が補償をしてくれて一家でみんなで避難できるし
そうしろと命令されたらむしろしたいくらいだという答えもあった)
だからその中でどう生きていくかを真剣に模索していて 
その意識の高さといったら本当にすごい。
それでも毎日それを続けてく、例えば毎日子供にマスクをさせたり
4倍の値段がしても九州産のレタスを買ったり、日々線量を計ったり
そうしていくのはとてもしんどい。避難をするのも 残るのも
どちらにしたってストレスがあり どっちのストレスなら
まだましか 天秤にかけて計る中 で 日々の暮らしが続いてく。


 彼女たちは考えている これからどうしたらいいのだろうか
そんな答えは誰もくれない どれが正確なのだろう
どれが正解なのだろう そんな答えもだれもくれない
いったい何が信用できるというのだろう?
お医者さんに尋ねてみても 彼らは明確なことは何も言わない。
ただ言えるのは「被爆量は少なければ少ないほどいい」ということだけだ。
最終的に残るのは 自分が信じた知識と自分がとった判断だけで
もはやだれも 選択を決めた誰かに何も言えない
それはある意味 自由でもあり 強さでもあり
本来の自分として生きるきっかけなのかもしれない。


 そんなことなんてもちろんなければよかったことだけど
失ってしまったようにみえて もしかして彼女たちは
何かを手にしたのかもしれない。飛び立った人はもう飛び立った
避難先から帰ってこなくて一番幸せそうにしている人は
長男の嫁でむこうの両親と同居してた人だね、と言った人がいた。
自分にとって本当に大切なものは何なのか?
誰しもが震災のあとでそれを考えた。


 私も色々失ったけど フランスで お財布をすられた男の子と
警察に行った後で言葉を失っていた私は急にこんなことを言い出した。
「何かを失ったと思ったときは 実は何かの始まりなのかもしれない、、、」

 ある視点からはすべて失ったように思えても 将来のある視点からすると
それは何かのはじまりなのかもしれない。あまりに辛かったことも
実は遠くから見たら何かのはじまりなのかもしれない
未来が見えないのは怖すぎるけど 何もわからない
何も見えない 何を信じたらいいのか全くわからないときに
信じられるのが自分だけ に なったとき 人は強くなるのだろう。
福島の女性は強い。彼女たちは すごいと思う。
私はこれまで こんな日本の女性たちに会ったことなんてなかったと思う
彼女たちは自分で考え 自分で行動を起こしてる
それは日本においては本当にすごいことだと思う。
フクシマ は 確実に世界に影響を与えていった
福島の女性たちの取り組みや姿勢や生き方も
きっと日本をじわじわと変えていくような そんな気がする

 

フランスに行くなら

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