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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

避難?

2012年01月28日 | 福島見聞録


 福島での取材のお手伝いが終わって今日で10日。
全ての行程は10日間だったから それよりももう
日がたったことになるわけだけど 私の中では
フクシマは むしろその後にはじまったような
相変わらずどうつきあっていいのかわからないまま
この10日間やたらと体調が悪くなり
昨日からはついに寝込むことになってしまった。。


 それでも?それでも書くの?
書けば気がすむとでもいうのだろうか?
それとも書けば書く程想いは大きくなってしまって
結局自分がつらくなっていくだけなのだろうか
「考え過ぎがいちばんよくない」それは
よーくわかっていても どんなにやめようと試みていても
頭にこびりついてしまったいろんなものたちは
簡単にベリッとはがれてはくれない。


 そもそも私にとっては今回これが被災地に行く
初の経験だった。だから多くの人が被災地で見聞きして
驚いて消化不良になる経験も重ね合わせてしたのだろう。
だけど多分他の被災地と福島の異なる点は、福島は
危険かもしれないからということで、あまり団体での
ボランティアなどが入っていなかったとこらしく
行って帰って来てもそれに対して行った人たちで
気持ちをシェアしたり、じゃあどうしようというのが
しにくい場所であるのかもしれない。私の場合は
気持ちをシェアしまくっていたフランス人が帰国してしまったので
一人で肩いっぱいに重荷を抱え、たまに誰かが
「福島のこともきかせてください」と言ってくれて
嬉しいものの、いざ話をすると重すぎて あとで自分が倒れそうに
なってしまう。きっと だから 福島のことって
なかなか外に伝わっていかないのかな、、、


 私は初日は何にもわかってなかった。
それに初日に目にした風景は意外と普通の日常にみえたから
「あれ?どうして?」という印象だった。こちらにいても
たまに「どうして福島の人は避難しないの?」なんて言ってくる人がいる。
そりゃあそれらの本を読んだら「避難して!」と叫びたくなる気持ちもわかる。
でも 避難って どうやったらできるんだろう?


 私も内部被爆のことがわかって だいたいの人に言われたことは
「80パーセントは食事から。これ以上汚染されたものを
食べないように。それからできるだけ避難すること。保養でもよし」
と言われたけれど 神奈川県で普通に暮らしを送ってて
じゃあ避難?といきなり言われて どこに行けばいいんだろう?
多少思い当たる先はある?でも3日くらいならいいだろうけど
避難はそんなレベルじゃない。2週間とか1ヶ月とか それくらい
しないと今の避難には意味がない。じゃあその間の食費は
誰が払うの?その間ずっと気をつかって居させてもらうの?
その間ずっと子供といっしょにいられるだろうか?
車社会の場所だったなら?車がなければ私は家の人たちが帰ってくるまで
一体何をして時間を過ごしているのだろう?
そもそも避難といったところで、特に今の日本の中では
福島からでもなければ「はあ?あんた何いってんの?」という
目で見られるのが普通だろう。


 だったら?その行く先 で それなりに稼げるアテもあり
それなりに子供を預けられるアテもなければ 
精神的に余裕がなくなり ストレスでだめになりそうな母子家庭になってしまう。
私はどんな精神的状態がおそらく虐待をうむであろうかはだいたい
予測がついたので、(おそらく四六時中子供とだけ一緒にいて
自分が自分であることの価値を感じる時間が全くない場合なのではと思う)
それだけはさけたいと思うけど 話にきいた 雇用促進住宅に
入れてもらった人たちで かつ保育園がなく 帰ってくる旦那も
いないという状態は 私からみるとかなり恐ろしい状態に
近いと思う。だからか は わからないけど きっとそういう
精神的ストレスや 経済的にもたないだとか いろんな理由で
避難をしても 福島に戻った人もいる。


 私が出会った人でとても印象深かった人がいる。
彼は一家のお父さん、でまだ30代前半だった。だけど
本当に放射能のことを考えていて 避難を本気で考えていた。
けれども彼の住んでいる地区は毎時0.2マイクロシーベルト と
福島市とかに比べるとよっぽど低い。まわりの人も
避難だなんて言っていない。でもその手の本をよむと
それでも健康障害が、と書いてある。だから?避難 すべき なのだろうか

 「僕の仕事はつぶしがきかないんです。だから
僕がこれをやめて他の仕事にするってなったら
ただの32歳男性、まあまあ力仕事ができる って
それだけになっちゃうんです。でも僕には家族がいるんです。」

 だからなんでもいいからとりあえずやめてどこかへ移住!
なんてできない。まわりには避難している人すらあまりいないのに
(だいたい福島市にある中学校だって全校生徒600人中
避難で転校したのは10人しかいならしい)、子供たちを
食わせて行けるあてもないまま飛び出せない。だから彼は
ずいぶん前から慎重に職をさがしてる。。。

 「そんな選り好みしてる場合じゃないのかもしれないですけど」


 でも今の福島はそんな時期 に 見えている。
避難すべき!といわれても その後の生活や生活費や仕事は誰も
保障してくれない。ましてやそれが福島以外の人たちだったら
よけい白い目で見られるし 都市部にでも避難したなら
保育園はないだろう。そんな中でどうやって?
「避難すべきだ」というのは大事だと思う。でもその先の
答えを探すこと も おんなじくらい重要で たぶん
「福島の人はなんで避難しないの?」という人は
自分ごととして置き換えてみたことがないんじゃないだろうか。
自分だったら?今の仕事を捨てられる?30年やってきた
有機栽培の畑を捨てられる?愛着のある友人たちは?
中学生の子供がどうしても嫌だ!と言って避難した先で不登校を決め込んだら?
それに自分は?どうやって稼いでいくのだろうか?


 私にも同じ問題が課せられている。それは多分 一年前から
自分でちゃんと 答えが出せれば ビザも降りてくるのだろう
フランスで経験してきた難しさ あの時の私には 必要だけど
足りないものが沢山あった それを乗り越えられるのだろうか
いまだに地震の続く国 そして少しずつ壊れた原発が揺れてく国に
たとえ何かまた一大事があったとしても 決して発表されない国に
私は居続けられる自信がない。この国はとても恐ろしい。
それが私が福島に行って知ったこと。


 もしかすると それは巨大な 明かされては行けない
「秘密」があって とかではなくて 単に知らないだけとか
日本的な慣習の悪い面が悪い方向に積み重なっていっただけかもしれないけれど
そうであるならやっぱりそれらを見直してみる 日本的な
「他人の目」とか「組織の体裁」だとかそんなものばかりを
気にするのではない 違うあり方を学んでみること
そしていつの日かそれを日本で活かすこと も
大事なんじゃないのかな、、、

フランスに行くなら

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