alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

東京で哲学カフェ

2011年12月12日 | 哲学カフェ



 「ミキの話でいくとねえ それはつまり
フランスで言ったら友達がいないっていうことになるけどね?」


 フランスで泊まらせてもらった友人宅で 色んな話
日本での苦しさやいろんな想いを吐き出していたら
そんなことを言われてしまった。こういう話の経緯もあるのか
次の日に一緒にいった哲学カフェで彼が投げかけたテーマは
「友情というのは一体どう判断できるものなのか?」
なんだか昨日の夜の会話の延長のように私には聞こえ
そんな話がこうして50人くらいの頭で考えられて
また1つの文脈をつくるかもしれない
会話や疑問を投げかけること そしてそれをどこかでまた
つなげていくことの面白さを 個人的に感じた哲学カフェだった。


 さて、私に友達はいないのだろうか、、、と
ちょっとショックを受けていたけど そんなことない!
いたいた、よかったー と思えたのが今日の夜 で
3年ぶりに集まった早稲田のセオリゼミの集まりだった。


 ゼミの子の一人がもうすぐ結婚するというので集まろうという
その会は6時半からで渋谷で予約したと書いてあったので
セオリゼミといえどもさすがに居酒屋に行くのだろうと思っていたら
なんと会場は喫茶店!しかも長いこと入ってみたいと思っていたけど
高級そうで入れなかったいわゆる高価な雰囲気の喫茶店。
そこを予約したなんて!ってか喫茶店って予約できるの??
(ちなみにクルミドコーヒーも平日は予約できます)


 通されてみるとクラシックな雰囲気でロイヤルコペンハーゲンやら
高級なお皿の飾られたその喫茶店はコーヒー1杯900円。
お値段はするけどなかなか素敵。高いといっても飲み会に来たと
考えたら安くも思える。そこで我等は語り合い なんだか
とてもいい会で 閉店間際?おそらく過ぎても語り合ってしまってた。


 これだよこれ これが哲学カフェなんだ、、、
テーマなんか設定しなくても 各自が思い思いの
テーマを即座に投げかけて みんなが受け止め
それについて返せる人が返して行って それから
また別の話題に移ってく。こーいうのが頻繁にあったら
どんなに毎日楽しいだろう。インプットしたことを
こうしてカフェで共有しあって 考え合ってどこかへ進む
思いもよらない誰かの意見が場をはっとさせ
そこに誰かがいいヒントを与えてくれる
そんな場 が あったらなあ
そういう時が 日本のカフェでも起こって来たのは
大きなテーブルがあるカフェで コーヒーを飲み
5人以上の人たちが ある程度共通の興味を持ってた時かなあ


 そういえばかつて京都の進々堂で朝カフェをして
8時半くらいに集合して語り合った2時間はとても熱くて有意義だった。
今日も4時間以上いたけれど 話題は尽きることなく
アイパッドの話になったり 電子書籍の話になったり
連合赤軍の話をしたり 日本人の自信のなさとか
美が果たす役割だとか 自分を美しく大切にすることの意味あいだとか
問いを投げかけることの大切さだとか 日本ではまっとうなことを
言っている人が狂人扱いされやすいのは何でだろうとか
占いがイギリスでは価値が低いことだとか
最近読んだ本の話だったり いろんな話があっちから
こっちからやってきて ようやく私も
日本で議論できる人たちを見つけた!!!と
思えて嬉しくなった。そしてみんなも嬉しそうだった。


 フランスではね こんな場が 週に1回くらいあるんだよ
そしたらすごい楽しいと思わない?3年にたった1回じゃなくって
こうやって意見や情報を交換しあうの。 何人かで夕飯を共にしたり
それで政治の話をしたり 社会が今どうなっていて
これからどうなっていくのだろうかという話をしたり
私はどうなってしまうのかわからない2012年に向けて
一人きりでいるよりも こうして人と意見を交す
そうして時を共有している それがすごく大切なんだと思うんだ。


 こんな時 が 無理矢理「哲学カフェです」といわなくっても
設定できる 自然に議論になっていく それが本当は一番素敵。
だって昔のカフェに集った彼らがやっていたのは
まさにそういうことだから。議論というのは言葉さえできれば
できるというものではないけれど それなりの共有知とか
漠然と見ている世界が似ているときこそ 面白くなると思うのだけれど
そんなことが もっと頻繁になったなら
そりゃあブルトンが楽しんだように 思想の共有はとても楽しい。


 私はフランスで見聞きして来たことを日本語で伝え
たっぷりと日本人と議論をしていろんなことが見えて来たら
またそれをフランスで伝えたい。そしてどんどん書いていきたい。
それでみんなと議論がしたい。どうしてこうなっていったか
これからどうなっていったらいいと思うか
いいところもあれば悪いところもあるなかで どういう風に
なっていったらもっと幸せを感じて生きてられるか
個人的には 私の場合はカフェやなんかで飲み物や
食べ物を食しながら議論をしている ただそれだけで
それ自体がとても楽しいです。


 そうしてそれが何かをつむぎ 

 そうしてそれが何かをつなぎ

 そうしてそれが何かを生み出すかもしれない



 私があのとき衝撃を受けた映画が
誰かが発したその一言が 誰かの頭や心に残って
誰かがそれをもっと掘り下げ それが誰かにまた響くかもしれない
その一言はね あのときあの場から出て来たんだよ
あの時まではなかったんだよ
そう思うだけで面白い そうして何かが紡ぎだされる
それが議論と 考えることの面白さ
誰かが何かに影響をあたえ バタフライの羽ばたきのように
それがどこかに響いてく 世界ではそんなことが起こりうる
議論はそれを促進していく 



 そうして何故か不思議なことに


 そんな議論はカフェで起こる。


 「8人とかじゃさ 居酒屋では一緒に会話することが不可能だよね」と
友人の一人が言った。たしかにそうだ。居酒屋では
盛り上がっても4人までが限度のような気がするけれど
フランスでのディネでの議論や こういったカフェでの議論は
8人くらいでもいけるんだなあ そして議論は一対一より
4人以上が面白い。一対一だとちょっと喧嘩っぽくなってしまったり
話も尽きやすくなるけれど 4人を超えると話は適度に
抽象的になってくれるし面白い。
ワールドカフェも 哲学カフェ的な「場づくり」なんて
ほんとはいらないカフェでの会話。
こんな場が ぴょこぴょこ頻繁に生まれていったらいいのにな
クルミドコーヒーでも来年から哲学カフェ的な場を開催するらしい
それはどんな場になるのだろう 60人規模でやるより
かつてマルクソーテがやっていたように8人や11人の少人数で
1つのテーブルを囲んで話す それが本当はいいのだろう。


 「カフェに入った後と前とでは4倍頭が良くなっている」
モンテスキューがそういったのは カフェには議論があるからです。
それは一人で本を読むからでもおいしいハーブティを飲むからでもなく
誰かとの議論で高みに向かって行くからなんだ。そんな経験を
できるカフェ が もっともっともっとあったなら
それは絶対面白い。あーもっと そんな場がほしい!!


フランスに行くなら

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