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NobuとTaka

2013年01月08日 23時59分47秒 | スポーツ

 フィギュアスケートのシーズンは、年が明けると後半に突入する。前半はグランプリシリーズとファイナル、国内ではブロック大会・東西選手権を経て全日本。その結果、四大陸選手権・世界ジュニア・世界選手権に派遣される選手が決まる。
 2013年は四大陸と世界選手権に、全く同じメンバーが出場することになった。今回の全日本で4位と5位になった織田信成選手と小塚崇彦選手、珍しく“選手権”のないシーズン後半を、どんなふうに過ごすことになるんだろうか。
 全日本で織田と小塚が表彰台に乗れなかったことを惜しむ声がTwitterにあった。「今の男子の黄金時代はこの2人なしでは築けなかっただろうから 」
 ・・・この2人の歩みと男子の盛り上がりを振り返ってみよう。

<2004/2005>
 ジュニア3年目で高1の小塚崇彦が、全日本ショートプログラムで本田武史らを抑えて首位に立ち、注目を浴びたそうな(当時あまりフィギュアスケートを見てなかったので記憶にないけど^^;)。フリーでは6位で総合4位だった。このとき優勝は本田武史、2位中庭健介、3位に織田、高橋大輔は6位。
 高3の織田信成は世界ジュニアで優勝、日本男子としては高橋大輔に続いて2人目。
 世界選手権には本田武史と高橋大輔が出場したが、本田が予選演技中の怪我で棄権、翌年のトリノ五輪出場枠が高橋大輔(大学1年、19歳になったばかり)の成績で決まることになり、15位だったため1枠となる。
<2005/2006>
 織田(大学1年)がシニアに上がり、スケートカナダ3位、NHK杯優勝でグランプリファイナルに出場して4位。スケートアメリカ優勝、NHK杯3位、グランプリファイナル3位の高橋大輔と、全日本で1枠を賭けて争う。演技終了時点では織田が優勝と発表されたが、得点の訂正があり、高橋大輔の優勝となった。詳しくはこちら
 この結果、トリノ五輪には高橋大輔が出場、8位。織田は四大陸選手権で優勝、初出場の世界選手権でステファン・ランビエール、ブライアン・ジュベール、エヴァン・ライザチェクに次ぐ4位。翌年の2枠を獲得する。(コンビネーションの跳びすぎがなければメダルだったかも
 小塚(高2)はジュニアグランプリファイナルを日本男子として初めて制覇、世界ジュニアも優勝。日本男子優勝は高橋、織田に次いで3人目となった。
<2006/2007>
 織田がスケートアメリカ優勝、NHK杯が高橋大輔に次いで2位。小塚(高3)がシニアに上がってエリック・ボンパール杯6位、NHK杯3位。NHK杯は日本勢が表彰台を独占した。
 織田はグランプリファイナルで銅メダル、全日本2位。世界選手権では7位、銀メダルの高橋大輔の順位と合わせて翌年の3枠を獲得。(大勢に影響はなかったけど、ここでも微妙に残念なコンビネーション跳びすぎ
 小塚は全日本6位となり、冬季アジア大会に出場して4位(一緒に出場した中庭健介が銅メダル)。
<2007/2008>
 織田が夏に酒気帯び運転で摘発され、出場停止処分となる。処分が解けた後の全日本も欠場した。
 小塚(大学1年)は、GPシリーズではスケートアメリカ8位、ロシア杯5位。全日本は高橋大輔に次いで2位となる。(もう1人の世界選手権出場権をめぐる3位争いは、0.87の僅差で南里康晴が勝った。)
 初出場の四大陸選手権は8位。同じく初出場の世界選手権では8位と健闘、織田が出場しないことで少し心配されたらしい3枠確保に貢献。優勝候補と目された高橋大輔が4位とやや予想外の順位だったブログ記事
<2008/2009>
 コーチにニコライ・モロゾフ氏を迎えた織田、NHK杯で優勝。小塚はスケートアメリカでジョニー・ウィアーやエヴァン・ライザチェクを破ってGPシリーズ初優勝を果たした。佐藤信夫コーチが「調子に乗るな」と釘をさした話を思い出す。エリック・ボンパール杯で2位、グランプリファイナルに進出して2位。
 高橋大輔が右膝の負傷で試合に出場しないシーズンとなった中、全日本は織田が優勝、小塚が2位。無良崇人が3位となって、この3人が世界選手権に出場した。翌年のバンクーバー五輪3枠確保を必須目標にして乗り込んだ大会で、小塚6位、織田7位。ぎりぎりで3枠を死守した。(織田のザヤックルール違反についてのブログ記事
 なお世界選手権の前に、バンクーバー五輪と同じ会場で行われた四大陸では小塚3位、織田4位だった。翌年、二人ともこの会場に戻ってくることになる。
 世界選手権の後に行われた国別対抗戦にも出場、織田が3位、小塚が8位。織田が日本チームのキャプテンを務めていた。
<2009/2010>
 いよいよオリンピックのシーズン、織田はエリック・ボンパール杯中国杯で優勝、グランプリファイナル2位で五輪代表に内定。小塚はロシア杯2位、NHK杯7位。
 全日本では高橋大輔が強かった。織田が2位、小塚が3位となって、3人が五輪代表に決まる。この頃から“3強”の扱いを受けるようになっていた。
 五輪直前の四大陸は3人とも出場せず、全日本4位だった町田樹が出場して銀メダルを獲得している。
 バンクーバー五輪のことはまだ記憶に新しい。。。銅メダル高橋大輔のフリー「道」が素晴らしかった一方で、織田はフリーの途中で靴ひもが切れるアクシデント。小塚は4回転を着氷したが8位だった。織田のチャップリンといい、小塚のギター・コンチェルトといい、素敵なプログラムだったが♪
 世界選手権、高橋大輔が日本男子初のチャンピオンに輝く。小塚は10位、織田はショートプログラム28位でフリーに進めなかった。翌年の3枠は確保したが、ダイレクト・エントリー(18位以内に入った人数が予選免除)は2枠となり、次回は1人が予選からとなった。
<2010/2011>
 織田はスケートカナダスケートアメリカともに2位。小塚は中国杯エリック・ボンパール杯と連続優勝。グランプリファイナルでは、織田が2位で小塚が3位。練習中に小塚と高橋大輔が衝突して、高橋の首がむち打ちのような状態になって心配されていた・・・
 全日本、高橋の状態が戻り切らないなか、小塚が初優勝を果たす。SP「ソウルマン」のステップは見事 2位に織田、3位に高橋大輔。(このとき、09/10シーズンの世界ジュニアで優勝した羽生結弦がSPで2位につけ総合4位。“3強”に続く有力選手として注目され始める。)
 四大陸では高橋大輔が優勝、羽生が2位、小塚が4位。織田はユニバーシアードで優勝。
 そして世界選手権は東京で開催の予定だったが、、、東日本大震災の影響で返上、4月にモスクワで行われた。3枠中予選免除が2枠のみで、予選は世界ランキングが下の選手と決まっていたため、当時3人の中で一番下だった小塚が全日本チャンピオンながら予選を滑ることになった。「なんで(予選免除を取れなかった織田じゃなく)小塚が予選からなのか」と、ちょっと取り沙汰されてた覚えがある。
 小塚は実力通り予選を1位で通過。SPは織田が2位高橋3位小塚6位、3人そろってフリー最終グループ!と喜んでたら、、、織田はいい演技だったのに、冒頭2つのジャンプでもうザヤックルール違反 パトリック・チャンは仕方ないとして、ミハル・ブジェジナも上回れず。高橋は演技途中でスケートのブレードを留めるビスが緩むというアクシデント。こんなときにこんなことって・・・と日本中が切歯扼腕
 しかしその後に登場した小塚が、キャリア最高の演技 感動の銀メダル。口惜しい結果となった高橋大輔が「ソチまで現役」宣言、3強時代が続くぞ!という空気に。
<2011/2012>
 左膝に怪我を抱える織田が、中国杯では2位に入ったが、エリック・ボンパール杯では7位。怪我の治療を優先するために全日本を欠場。フランス開催の世界選手権を見据えて、「シェルブールの雨傘」をフリーの曲に選んでいたのに残念だった。
 小塚はスケートアメリカ3位、NHK杯2位でファイナル進出を逃す。一方で接戦の勝負強さを見せてファイナルに進出したのが、中国杯4位、ロシア杯優勝の羽生結弦。織田が抜けた一角に入る形になった。全日本は高橋大輔1位、小塚2位、羽生3位。
 四大陸には高橋と、全日本4位町田樹、5位無良崇人が出場。SPでは無良・高橋・町田が2・3・4位につけて日本のレベルの高さを見せつけ、無良と町田の翌年のブレイクにつながっていく。(コラム/ブログ記事
 そして世界選手権。小塚はSPで13位と出遅れ、フリーは第2グループになってしまった。前回銅メダルのアルトゥール・ガチンスキーもこのグループで、毎年いい成績を出すことがいかに難しいかと思う。結果は11位。高橋大輔が銀、羽生結弦が銅メダルで3枠は問題なしだったが。(ブログ記事
 羽生が怪我のため国別対抗戦には高橋と小塚が出場。高橋1位小塚6位で、チーム日本の優勝に貢献。
 “3強+羽生”という感じで始まったシーズン、織田が戻れば“4強”か?というムードで終わる。
<2012/2013>
 復帰した織田がネーベルホルン杯で優勝。スケートカナダ3位、ロシア杯5位でグランプリファイナル進出は逃す。
 小塚はスケートアメリカ優勝、ロシア杯2位でファイナル進出。なにしろグランプリシリーズ6戦全てで日本男子が表彰台に乗り、ファイナルに4人という事態 町田樹や無良崇人の躍進に注目が集まる中、しっかり実績を残した。ファァイナルでは5位、上位陣のハイレベルな争いの陰になってしまったけど、SPフリーも演技や得点が悪かったわけではなく、全日本が期待されたが・・・
 パトリック・チャンやロス・マイナーが「自分は出られなくてよかった」と言ったというほど熾烈な戦い、“群雄割拠”と称された全日本。かつて高橋大輔と織田が双璧の扱いだったが、いまや9学年違う高橋と羽生の対決にスポットが当たる。同様に厳しかった3位争いは無良が制した。2.26点の差で織田は4位。足に怪我を抱えていた小塚は実力を発揮しきれず、5位となった。

 ざっと振り返るつもりが長くなってしまった^^;
 こうしてみると、織田は高橋大輔のすぐ後ろについてくるライバル、高橋がいないときにはチーム日本を引っ張る役目を果たしてきた。小塚は“3人兄弟の末っ子”みたいなポジションが長かったが、1シーズンも長期離脱することなく、着実に成果を上げてチーム日本を支えてきたと思う。“枠取り”で一番貢献しているのは間違いなく小塚だ。
 二人の功績を考えたら、せめて四大陸は出場させてあげたかった(あいにくアジア大会もユニバーシアードもない年で…)。派遣選手選考にも書いたけど、四大陸はポイントが大きく、世界選手権に出す選手のランキングアップに有効な大会でもある。無良は現在18位、世界選手権で有利な滑走順(ランキングで出場選手中12番目までが最終と一つ前のグループに入る)が取れる位置まで上げておきたいところだろう。。。
 功績は大きいけれど、ザヤックルール違反やSP28位でフリーに進めない等、“やらかした”ことも多かった織田は、2点ちょっとの差だが4位では“不可”だったのかな、と思う。高橋大輔の1学年下で、一応現役はソチのシーズンまでと言及している織田に、今更「将来の経験のために」という配慮もないだろうし。
 もう1人のTakaこと無良が、このチャンスにもっともっと強くなってくれることを期待しよう。先輩のTakaこと小塚は、ブログによるとプールでリハビリしているらしい。こちらは来季以降のために、しっかりリハビリしてね

コメント (2)
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