青少年犯罪が後をたたない。
どれも、考えられないような犯罪だ。
好奇心を遥かに超えている。
人間は教育されないと獣になる。
いや、獣以下になるかもしれない。
僕が利用している駐車場で、
7~8人の中学生がたむろしてタバコを吸っていた。
ここまでは好奇心かと、
説教程度で済まされる。
その後の残骸が酷い。
雑誌を燃やし、カップヌードルを食べ散らし、
至る所にタバコの吸殻を投げ散らかしている。
セメントの床は、汚物の色で染まっている。
ゴミ捨て場より酷い状況だ。
掃除とか後片付けなどという考えは全く存在しない。
しかし、外見はまじめそうな普通の子供たちだ。
何かが間違っている。
家庭は、学校は、社会は、
子供たちに何を教えているのだろう。
このままだと、日本に未来はない。
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昔は、不良と呼ばれる子はその様な風体をして、心の声が外見にも現れていて、その分、心の闇は浅かったように思います。それが今はちがう。外に現れない分、内に隠れている闇が深く深くなっていっているように感じますね。
個人を大切にする教育が間違った方向にいった結果のようにも見えます。
『教育』とは何か、本当に考えさせられる記事です。
私自身は教育者を目指すわけではないですが、
社会人の一人として、私に出来る事は何かを考え、行っていきたいです。
話は全く変わりますが私は毎朝ベランダの小さな植え込みにパンくずやお米を少しまいてすずめさんたちとの対話を楽しみます。というか・・仲良しになり時間になるとちちち・・・と声がして息子が「呼んでるよ~」とここから一日の始まりです。植木の足元をちゅんちゅん仲間と渡る様がなんとも可愛くて見とれてしまいます。私たち人間も彼ら彼女らと同じ生を受けて儚い鳥生、人生を終えていく仲間です。鳥たちは食べきれないものは両手に抱えることなく仲間に知らせ、分け合って、子供にも自立することを教育します。人間はもっと謙虚に時には小さきものの視点に立ち戻る必要があるとおもいます。さて明日からも小さき自分でもできることを大切にしながら、あせらず、ゆっくり楽しみましょう。
そこで常識の範囲外のことをしても気にならない、いや、気にすることができない人が最近増えているのでしょうか…なんか…人を殺してもなお気にすることができない人がでて来たらその国は・・・崩壊するんじゃないでしょうか?