最近、マスコミや世間一般で道徳や倫理が語られる時、
道徳や倫理の考え方に偏りがあるように思える。
日本人は、遠い昔から、諸外国の文明文化、
宗教倫理など全てを受け入れ、吟味し、消化し、習合し、
独特の日本人の考え方を創り上げてきた。
だから、日本人の考え方に、絶対という言葉は存在しない。
「・・・かもしれない」「・・・と、思う」などなど、柔軟だ。
ところが、戦後、日本国憲法は、
キリスト教徒の国アメリカによってつくられた。
イスラム教やキリスト教の世界は、
絶対神によって創られている。
だから、博愛の思想と、男と女の所業が、
モラルの全てであるかのように報じられる。
他人の色恋沙汰に関心を持ち過ぎる。
仁、義、禮、智、信や孝心(親孝行)、勇気、誠、忠義などなど、
人間が野獣にならないように学ぶべきモラルが、
日本の文化にしっかりと生きていた時代を
懐かしく思うのは、古臭い考え方なのだろうか?
後、二日で新しい年になる。
温故知新の年になればと思いながら、
モラルの考え方が脳裏で考察されていく。
今日も、年賀状に追いまくられた一日になった。
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