KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

拝啓親父殿

2005-10-06 20:31:18 | インポート
父は小学校の教員でした。淡々と、ただひたすらに、ただひたすらに教師でした。教師のままで忽然とこの世を後にした教師でした。53歳と7ヶ月の一生でした。名もなく貧しく美しく、教師としての道、ただ一筋に、そんな父でした。小学校の教員としての出発は、屋久島は小杉谷という山村の小さな小学校(粟穂小学校太中岳分校で後に小杉谷小学校となる)から始まりました。戦後、屋久島は尾之間にあった青年学校で教鞭をとっていましたが、憲兵学校に在籍していたということで、公職追放となり本職の教壇に立てたのは、30才を過ぎたころでした。僕が小学校2年の時です。父の周りにはいつも生徒が居りました。父にとっては、私も下の二人の弟も父の生徒の一人でした。屋久島の杉を神木とした森の緑と巨大な花崗岩の合間を忙しく透明に駆け抜ける白い川は、掛け替えのない僕らの教科書でした。鹿と猿、ハゼとサワガニは、僕等の素晴らしい森の仲間でした。飲ん方(先生同士が集まり焼酎を飲みながら談笑する集い)でほころぶ父の笑顔は、忘れることの出来ない輝きでした。みんなを幸せにするお酒の集いでした。母と一番下の弟が乗ったトロッコが脱線し、乗っていたみんなが谷底の裂け目に落ちたという報せが届いた時、誰よりも早く、真っ先に救出に走って行ったのも父でした。「その時のショックで俺は三人兄弟の中で一番頭が悪くなった」なんて、自分の勉強嫌いの言い訳にしているのが一番下の弟です。生徒が事故で指を切断した時も、素晴らしい応急処置で、生徒を救ったのも父でした。真夜中に、父親が倒れたと、助けを求めて駆け込んできた生徒を抱きかかえて、下着(ふんどし)も露に、我を忘れて飛び出して行ったのも父でした。生徒が大好きで、自然が大好きで、いつも笑顔で、愚直な父でした。ただひたすらに先生であることが大好きな父の悲報を聞いたのは、僕が29歳の時でした。貧しい両親に、経済的には無理を承知で留学を懇願し、片道の旅費と、半年分の授業料を借金してもらい、アメリカに飛び出してから10年を超える月日が流れていました。別れの時の、父の激励の笑顔と母の涙が鮮明に残っています。乞食学生を覚悟しての旅立ちでした。父や母の応援歌は、留学の全ての困難を成功のエネルギーへと導いてくれました。そんな父の他界の悲報は、僕の一大決心へと繋がっていきました。やっと手にした、アメリカの大学での講師の職を辞し、自分の国、日本で、父の意志を何らかの形で受け継ぐのが一番の親孝行、そう思ったのです。父や祖父が、戦争を体験したから、戦後の貧しさを体験したから、どんな苦労も辛抱して生き抜いていけると教えてくれたことを憶えています。こんな父に教えられたから、お金も食事も、何にもなくなっても、アメリカという未知の世界で、自分の力で生き抜くことができました。一缶50セントのポーク&ビーン(大豆を豚の油で煮たもの)を、朝、昼、晩と三つに分けて、何ヶ月も飢えをしのいだこともありました。授業料を稼ぐために、部屋代節約のために、屋外で寝て(ホームレス状態)、バイトに明け暮れたこともありました。ジャップと馬鹿にされ、石を投げられたこともありました。たった一回だけ、母に100ドルの送金をお願いしたことがあります。たったの100ドルですかと、銀行の人に笑われたそうです。生活に苦しんでいた母が準備できる精一杯のお金でした。全てが自分の成長のための貴重な体験です。そんな留学生活を体験をしたから、天涯孤独になっても、全ての財を失っても、またやり直せばいい、頭の中に父が生きている。滑稽なぐらい、うぬぼれるほどに、怖いものはなくなりました。だから決心がついたのです。自分の力で学校を創ろうと。世界一小さな学校を創ろうと。寺子屋教育です。人間にとって最も必要なものは何だろう。学院生と共に探してみよう。世界に学びたいと願う日本の学生を育ててみたい。今から25年前です。IBS外語学院の誕生です。でも時折、挫折したとき、まだまだ未熟な僕に、「徹!大丈夫!まだまだ頑張れる!負けるな!」、父の声が聞こえます。


許しの奇跡

2005-10-06 19:41:22 | インポート
DSC02113_2一通の国際電話が届いた。「先生!どうしても許せない相手には、どうしたらいいんですか?」、深い悲しみと絶望の中から生まれた苦痛の叫びである。答えはただ一つである。「それでも、許してあげなさい」。人間誰でも、無意識的にも、意識的にも、たくさんの罪を犯し、多くの人々を苦しめてしまう。好むと好まざるとにかかわらず、人間と言うのはそうした動物だ。一人の人間を破壊するのはとてもたやすいこと。でも、同じ人間を創り上げることは不可能に近い。人は人を生かすために誕生した。衝突するよりも吸収することを学ばなければならない。憎むよりも愛することを学ばなければいけない。