語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【お役所の掟】「二重予算」というからくり

2014年02月15日 | 社会
 (1)2月2日付け朝日新聞朝刊には、「ムダ判定予算 8割復活」という見出しで、2013年度補正予算に関する記事が掲載された。
 幾つかのテレビ番組でも、消費増税するのに、国民の血税がこんな無駄遣いのために消えていくのは許せない、などというコメントが流れた。
 こんなことは毎年の恒例行事で、驚くには当たらない。
 補正予算はムダな事業に使っても仕方ない、というのが霞が関の不文律だ。本予算の査定で認められない二軍、三軍の予算が補正に回るきまりになっているのだ。  

 (2)予算は、規制権限と並んで官僚の力の源泉だ。多額の予算を取れば、それだけ自分の役所の所管業界に恩が売れる。関係団体に回す資金が増え、それらの断愛における天下りポストも増える。
 だから、本予算であろうと補正予算であろうと、官僚は1円でも多くの予算を獲得しようとする。予算は自分の給料になるわけではない。しかし、その省庁の官僚の将来の天下り人生を確実にするのは間違いない。その上、予算を増やせば人事評価で得点になる。
 実際には、どういうことが起こるのか。
 予算の査定は、壮大な政治ショーだ。
 まず、本予算の査定が先に始まる。財務省は、厳しい査定方針を示して、各省の予算を大きく削る素振りを見せる。その姿勢は、各省の会計課を通じて、担当課、族議員、関係業界などに伝えられる。
 厳しいと知った業界団体は、族議員と所管省庁に足繁く通って、予算獲得の陳情を行う。最後につく予算が同じだとすると、最初に厳しく言っておいたほうが、予算がついたときの有難みが大きくなるので、財務省は非常に厳しい情報を流す。
 その上で、最終的にはかなりの予算をつける。最初の相場観が下がっているので、喜びも大きくなる、という仕掛けだ。

 (3)むろん、誰が見ても筋が悪い、という予算要求も多い。そういうものは、最終段階でもゼロ査定、または大幅な減額査定を受ける。
 演技するのは、財務省だけではない。業界や所管の役所では、まあ仕方ないか、と内心思いながら、大げさに「これではとても持ちません」などと嘆いてみせる。

 (4)本予算の査定の途中段階で、財務省と各省会計課は、本予算でダメなものは補正に回そう、という相談をする。そして、本予算でがっかりさせておいて、補正で同じ予算を認めるのだ。一度ダメだと思っていただけに喜びもひとしお、ということになる仕掛けだ。

 (5)本予算と補正予算が別もの、というのは、ただの建前にすぎない。実際には完全に一体のものとして扱われている。
 「15ヵ月予算」とは、今年1月から3月の補正予算と、来年度の12ヶ月の本予算を一体のものとして表す表現だ。
 予算に切れ目をなくす、という意味で使われるが、官僚から見れば要するにどんぶり勘定だ。どちらでも、カネには色が付いていない。二軍予算と言われても、取ってしまえばこっちのもの。

 (6)安部総理が議長となって、行政改革推進会議で、厳しい「ムダ判定」を出した時から、財務省と各省の間では、そのほとんどを補正で認める、ということになっていたはずだ。
 そもそもムダ判定の案そのものを作っているのは財務省だ。
 すべては出来レース。
 官僚が国民のために働く仕組みを作らない限り、このからくりは無くならない。

□古賀茂明「「二重予算」というからくり ~官々愕々第97回~」(「週刊現代」2014年2月22日号)
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