語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】自民党代議士への有権者のタカり方・カネのむしり方

2016年02月26日 | ノンフィクション


 (1)「よろしくお願いますと言うんなら、メシぐらい食わせろ」
「お茶も飲ませんで、1票入れろ、はないだろう?」
「選挙事務所では飲み食いが自由なんだろ? 俺たちも招け。弁当ぐらいはあるだろ?」
 などと統一郎【注】の耳元に、こんな言葉が入るのだ。「1票ほしいなら、何かよこせ」「何かもらって当然」と見返りを求める構図。統一郎は政治不信の根源を見た気がしたのである。
 こんなこともあった。選挙事務所に戻ってきたポスター張りのボランティアの一団に「ご苦労様」の意から、おにぎりとお茶を出す。このとき、おにぎりを手にした一人が、「この中に入っているの?」と統一郎に冗談交じりとも取れるし、取れない口調で言う。
 「おにぎりの中に1万円札は入っているのか?」の意味である。
 だが、迷う統一郎に、14回の当選キャリアのある忠治【注】が、明快な言葉で慰留した。
「候補者は落選してもいいがな、生活を賭けた人は生きていけなくなるんだぞ。だから、皆、熱くなるんだ。わかるかな? 陣営にはそんな弱気を少しでも漏らしてみろ、結束にヒビが入っても、もう、まとめている時間なんてないんだぞ。マスコミに言ったら、大変なことになるからな」

 【引用者注】久野統一郎は二世議員。忠治はその父親。統一郎の初出馬における父子問答である。

 (2)飲み食いの炊き出しは、選挙を一緒に戦ってくれる支持者の慰労の役割も果たしているわけで、自民党選挙の典型例といえた。中曽根康弘、福田赳夫の両首相が立っていた旧群馬三区では、中曽根レストランと福田食堂がうまさを競った、という話があるほど、選挙期間中は支持者や1票をいれようか、という人を選挙事務所あるいは借りた場所で、飲み食いさせて選挙戦を競ってゆく。

 (3)こんなことがあって、カラオケ大会には、練習してから“本番”に臨んだのだった。
 こうした行事には1万円や5千円など、規模によって金額に差は出るものの、金を置いていかなければならない。1日に多ければ20件近くに熨斗袋を置いてゆく。
 しかし、統一郎のこの気配りも、忠治を知る者にとってはまだ不満のようだった。忠治はこうした催しには差し入れも怠らなかったからだ。
 圧巻だったのは、酒入りのオリジナルの5合徳利である。徳利の表に市川崑の筆による似顔絵と焼酎を引っ掛けた『久野チュー』と書かれている。優に1万本以上は作り、「忠政会」総会や国政報告会など各種催しで配布し、贈呈した。そのたびに「忠政会」の青年部長である栃尾や内田は、酒の入った徳利を何箱も運搬した。その他にも、ボールペン、鉛筆はもちろんのこと、揮毫を印刷した手拭い、団扇、扇子、タオル、ペナント、灰皿、カレンダー、手火鉢、傘など「久野チュー」の名前入りの忠治関連グッズが多数作られ、支持者らに配布されていった。
 昭和30年代、選挙前には、知多市に一門別の大相撲の巡業を招き、歌手の市丸を招いて公演を開催したり、といずれも入場無料で市民を集めて土俵上、舞台から忠治が挨拶した。
 自らの代議士生活20周年のときには、シングルレコードもつくった。

 (4)統一郎が代議士を引退した頃から、「久野統一郎君 ご苦労さん会」をやろう、との声が持ち上がり、琵琶湖畔への日帰りのバス旅行が企画されたのだった。企画を知らされたとき、統一郎は、
(あんな勝手なやめ方をしたけど、友達とは本当にありがたいものだ。ご招待してくれるんだな)
 と嬉しく思ったが、これは統一郎の勝手な思い込みだった。統一郎から感謝の旨を伝えられた世話役は、
「何をとぼけたことを言ってるんだ。勘違いするな。お前がお世話になった俺達に“ご苦労様でした”と言う会だぞ。選挙で俺達、いろいろと手伝ったんだからな、全額とは言わないが、みんなの旅費のある程度の負担はしろよ」
 と言ってきた。勝手にやめた手前、こう言われては返す言葉もない。

 (5)(1)~(4)は『政治家やめます。』からの引用だが、本書は選挙運動の収支も記す。
 統一郎の初出馬では、自民党から公認料および政治活動資金が各500万円支給された。このほか、陣中見舞いや寄付を合わせて合計2,671万円の収入があった。支出の合計は1,265万円余だった。支出のうち最多は人件費で、649万円余。ついで印刷費245万円余。食料費は43万円余だった。
 ちなみに、2回目は収入3,070万円、支出2,009万円余だった。

 (6)代議士となった統一郎の年収は、1,500万円前後だった。
 私設秘書は、交際費をふくめて一人当たり1千万円を要する。選挙区の事務所の維持費は、年間6千万円を要した。東京もふくめると1億円だ。

 (7)父親の後援会「忠政会」は、個人は1万円、法人は10万円の後援会費を募ることで維持してきたが、仮に千人の後援会員がいても、それだけでは機能しない。企業からの献金などがなくては、とても維持できない。「そして、金をもらったら、金をくれた人の意にはもう反せなくなる」
 統一郎の後援会「統友会」も同様に組織された。さらに、統一郎が議員に転職するまで勤めていた日本道路公団は後援会「道統会」、母校の早稲田大学の理工学部土木工学科の同窓生は「稲門会」をそれぞれ組織した。これらの後援会費、献金を足しても年間5千万円、6千万円にはならないこともある。「そんなとき、面倒を見るのは後援の企業と派閥の領袖たちである」
 派閥から、盆には「氷代」、暮には「餅代」が、それぞれ百万円の札束何本か代議士に渡される。年間約1千万円。この金が、選挙区での活動資金になる。統一郎は、父親の教えに従い、選挙区の有力者に分配した。

 (8)後援会の会費だけでは、政治活動資金としては苦しい、あと年間2千万円はほしい・・・・。
 そう統一郎がブレーンと相談した結果、パーティを開催することになった。
 パーティ券は1枚2万円。選挙区で金を集めるわけにはいかないから、東京で開く。パーティ券は一人当たり20万円を超えると、選挙管理委員会に収支報告しなければならない。大手企業や支援団体も心得ていて、買うのは20万円までだ。派閥の幹部は、まとめて50枚、100枚と買ってくれる。
 普段「世話になっている」中小企業や代議士には、「ご招待券」と刻印した券を送る。代議士仲間は、パーティ券と同額を「お祝い」の袋に入れて来場する。中小企業は、最低でも5万円、10万円は包んでくる。
 統一郎の初のパーティでは、4千万円が集まる見とおしとなった。

 (9)細かいことだが、自民党の勉強会こと部会では朝食が出る(秘書には出ない)。ご飯、みそ汁、生卵、野菜の煮付け、シラス干し、お茶が定番だ。
 野党は朝食を出さない。「与党と野党の違いは、そこだよ」と先輩議員。
 ・・・・ただし、野党となったとき自民党が朝食を提供したか否かは定かではない。

□小林照幸『政治家やめます。 ~ある国会議員の十年間~』(角川文庫、2010)
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