語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】桑原武夫『アラン訪問記』、久野収/鶴見俊輔『思想の折り返し点で』

2010年06月30日 | 批評・思想
 桑原武夫は、舌鋒鋭利にして諧謔を忘れず、知識該博にして性寛容、稀代の知識人でありながら俗情を知悉し、論旨は健康的で実際的、要するに爽快な知性で読む人に活力を与える。
 たとえば、「エクリヴァン」は、文士、もの書き、文筆家、作家と訳されるが、いずれも自分の気持ちにそぐわない、と桑原武夫はいう。文章を書くことに対する「かなりの楽しさとささやかな誇り」からして、日本語では「文章を書く人」としたい、云々。
 その文章を1930年から1980年まで執筆年代順に集約したのが『桑原武夫集』全10巻である。

 第1巻は、もっとも初期の1930年から1945年までを収録する。
 桑原武夫は、アランを2冊を翻訳しているが、エッセイ『アラン訪問記』は1937年の出会いを語る。
 渡仏当時、発表されたアランの一文に総罷業反対が記されていた。リヨンの小学教員組合が不参加を表明し、その他のサンジカにもこれにならうものが少なくなかった。アランは下級教育者に依然として影響力をもつらしい、といった推測から始まる。
 晩年のアランは、全身にわたるリューマチを患っていた。加減のよいつかのまに面会できた。全体としてずんぐりとした大男で、自分の仕事に自信をもつ美しい顔、と印象を記す。話題はもっぱら芸術で、東洋絵画にも言及される。「あまりたくさんは見てないが・・・・東洋絵画は広大な視界を求める。西洋のものにはそれがない。東洋の絵の中ではtoujurs, on s'en va, oui, toujurs!(いつも遠くへ立ち去ろうとするところがある)」
 帰国してから送った『鉄齋遺墨集』をアランはおおいに喜んだらしい。
 ドストエフスキーは好きで相当読んでいる、といった談話もあるが、アランの胸像をつくった高田博厚へのアランの献辞がいい。古人のいわゆる剛毅木訥である。「彫刻家高田に。現にここでわれわれがポーズしたその幾時かの記念に。彼の胸像は究極において似たところを示している--大へんrusticなところを。私はそこに自分を再び見出して愉快です」
 rustic(ひなびた、百姓ふうな)というのはアランがそう自認しているので、ここではすぐれた賛辞だ、と桑原武夫は注釈している。

 ところで、久野収/鶴見俊輔の対話篇『思想の折り返し点で』が2010年4月に岩波現代文庫に収録された。
 久野は、フランス「人民戦線」(ラッサンブルマン・ポピュレール=市民大集結)の組織と運動の呼びかけ人の第一となったのがアランだった、と述懐する。議長は、トロカデロ博物館の館長ポール・リベー。市民運動が地域、職域、街頭で大きな集会とデモを何回となく組織し、多数の予備役軍人共和派まで参加する各種の市民運動組織が運動し、40時間労働、最低賃金制、組合公認、団体交渉権、経営共同参加権、有給長期レジャー公認などを戦後の日本人にもプレゼントしてくれた・・・・。
 アランの政治参加は、フランス革命のジャコバンの伝統を継いでいて、高校時代の弟子のサルトルやシモーヌ・ヴェイユが政治に積極的に参加する(アンガージュ)のは当たり前だ、うんぬん。

【参考】桑原武夫『桑原武夫集』第1巻((岩波書店、1980)
    久野収/鶴見俊輔『思想の折り返し点で』(朝日新聞社、1990。後に岩波現代文庫、2010)
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