語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【出雲】日本的平和の原点 ~出雲大社と大山~

2012年04月28日 | 神話・民話・伝説
(1)出雲
 出雲大社側から大和王朝政権を見ると、どういう世界が現れてくるか。
 (a)国造り神話
   古事記や日本書紀に出て来る出雲神話で、大国主命と少彦名命が主人公だ。
   大和王朝の国造りの拠点となったのは、聖武天皇が造った東大寺の大仏だ。大国主命の「大」と大仏の「大」とが照合する。少彦名命は釈迦誕生仏だ。聖武天皇は、記紀神話に出てくる象徴的な神様2体をベースに、仏教を支えにした新しい国造りを考えたのだろう。
   大山の「大」、大国主命の「大」、大仏の「大」がつながってくる。

 (b)国譲り神話
   記紀に出てくる大和朝廷の神話では、神武天皇が大和を征服する。これに対し、出雲王朝は平和主義だ。国譲り神話がその後の日本歴史に持つ意味は大きい。
   日本史において、平安時代が350年、江戸時代が250年、平和な時代が続いた。こんなに長期の平和な時代を2度も経験している国は、世界でも珍しい。
   長い平和の根底に、土着の宗教(神道)と外来の宗教(仏教)の神仏共存があった。その原点に、国譲りの思想があったのかもしれない。

 (c)大和朝廷に対する地方の反逆
   大和政権に対する出雲文化圏の抵抗、自立の精神。
   出雲大社は、南を向いているが、本殿に祀られている大国主命は西を向いている。あまり知られていない事実だが、深い理由があると思う。奈良の春日大社も5殿のうち若宮だけは西を向いている。
   平城京が政治の中枢だった時代、天子は南を向いて政治を執った。中国の思想、「天子南面」に基づく。平城京も平安京も南を向いている。日本の寺社も、ほとんどそれに準じて南を向いている。西を向いているのは、王朝政権の中央権力に対する叛逆精神の現れではなかったか。

(2)大山
 日本の山岳信仰には、2つの特色がある。
 (a)山
   山の上に死者の霊が昇る。人が亡くなると遺体を山麓に葬り、風葬にする。その遺体から魂が抜け出て山を昇り、山頂近くで神になる。これが基本だ。
   インドから伝わった仏教の浄土の考え方を、日本人は山頂と読み替えた。山を媒介にして土着の神道と外来の仏教が合体、神仏習合し、日本独特の考え方が生まれた。
   大山の主峰は、弥山=「須弥山」だが、浄土と重なるところがある。この地域に住む人々は大山の頂上は浄土だ、という進行を古くから持っていた、という。→再発見、再認識の必要性

 (b)水
   神仏に参るとき、汚れを落とす清めの儀式を行う。修験の霊場には、必ず温泉がわき出ている。温泉と山岳信仰には深い結びつきがあった。
   大山にも、海のルートに沿うような形で温泉場が点々とあり、それを辿りながらお参りしたに違いない。玉造温泉や皆生温泉もその一つだったのだろう。

 山岳信仰の中心は、西方浄土へ往生するという浄土信仰だ。大山もそうで、夕日に対して西方を思い、その彼方に浄土がある。
 大山の山岳信仰と出雲大社の西方信仰。
 大山と出雲大社を同時に捉える視点が必要だ。

 以上、山折哲雄「歩く大山がもたらす信徒の情感(下)」(2012年4月23日付け日本海新聞)に拠る。
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1 コメント

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島根の心意気 (松江人)
2015-03-05 23:07:54
 安来の十神山や比婆山のほうが大山より説得力あり。

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