語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】イスラム世界におけるペルシアの独特な立ち位置 ~『立花隆の書棚』(4)~

2018年02月11日 | 神話・民話・伝説
 (1)イスラム世界には、アラビア語の世界に加えてペルシア語の世界がある。
 イスラム圏の中でもペルシア語の世界は独特だ。ペルシアは世界史においても政治史においても文化史においても、特筆されるべき存在だ。
 西洋史は、すべて古典古代のギリシアの歴史から始まる。古代ギリシア史は、覇権をいかにペルシア帝国と競ってきたか、という話に終始する。ペルシアは、古代世界の大帝国だ。ペルシアが大軍をもってせめてきたとき、弱小国のギリシアがいかに立ち向かって撃退したか、という英雄物語がその歴史だ。<例>マラトンの戦い、サラミスの海戦。こういうパターンに終始するのは、ペルシアが圧倒的に強かったからだ。ギリシア世界が最終的にペルシアに勝つのは、アレクサンダー大王がペルシアを滅ぼし、ペルシア皇帝に就いたときだ。

 (2)ペルシア人は、言語的にはインド・アーリア語族に属する。よって、言語学的、文化的伝説においてヨーロッパ世界と大きな共通点を持つ。ペルシア語は、書き文字としてはアラビア語と同じ表記法なので一見アラビア語(セム語)のように見えるが、まったく違う言語だ。構造的には、インドのサンスクリット、ギリシア・ラテンの古典語、西欧近代語に近い。だから、イラン人は英語、仏語を難なく話す。
 ペルシア語がそういう独特の存在だったので、ペルシア人は世界の文化史に非常に大きな貢献をした。
 西欧文化はギリシア・ラテンの古典時代に一つの頂点をきわめるが、その後のヨーロッパは軍事的、政治経済的にゲルマン大移動によって押し寄せたゲルマン民族によって完全に支配された。当時のゲルマン民族は、未開の野蛮な存在だから、文化水準は一挙に下降した。ヨーロッパは、しばらくの間、暗黒時代(中世)を迎える。ヨーロッパでもう一度、思想文化の花が開くのはルネッサンス(再生)の時代だ。
 暗黒時代に古典古代の高度に発達した文化を保持し、後世に伝える役割を果たしたのはペルシアだった。
 西ローマ帝国滅亡後、古典文化はまず東ローマ帝国によって支えられた。ビザンチン衰退後、世界の覇権がイスラムに移る中、古典文化の担い手になったのがペルシアだった。ペルシア人はギリシア・ラテンの古典を網羅的に、はじめにペルシア語、ついでアラビア語に翻訳していき、古典文化をサラセン文化に接ぎ木した。これでサラセン文化の水準が一気に上がった。11世紀から12世紀にかけての西欧世界で、アリストテレス哲学者として一番有名だたのはアヴィケンナとアヴェロスだが、この2人はアラビア人で、アラビア名はそれぞれイブン・シーナとイブン・ルシェドだ。
 ペルシャ・アラビア世界に伝えられたギリシア哲学は、ギリシア文明末期の新プラトン主義哲学が中心だった。これは著しく神秘主義に傾いたものだ。
 詩と哲学において、ペルシア語は特別に神秘主義に傾いた。それがイスラム教の中に、スーフィズムという特別な神秘主義の流れを作った。

 (3)『コーラン』の最も有名なフレーズは、最終巻の最後に書かれている。
 「妖霊(ジン)もささやく、人もささやく、そのささやきの悪を逃れて」
 ジン(妖霊/悪霊)の概念の意味やニュアンス、存在感を掴んでいる人と、読むことは読んだにしても『コーラン』の翻訳をさらっとあたっただけの人では、イスラム世界に対する理解の深みがまったく違う。

□立花隆/写真:薈田 純一『立花隆の書棚』(中央公論新社、2013.3)の第3章

 【参考】
【本】旧約聖書には天地創造神話が2つある ~『立花隆の書棚』(3)~
【本】土着の宗教と結びいたキリスト教 ~『立花隆の書棚』(2)~
【本】欧米理解に不可欠なこと ~『立花隆の書棚』~
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