語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【加藤周一】障害受容、あるいは人間の自由と尊厳 ~福永武彦の『百花譜』~

2013年01月17日 | ●加藤周一
 加藤周一「福永武彦の『百花譜』」は、朝日新聞1981年9月に掲載され、後に『山中人話』に収められた。書評であると同時に、友人の追悼文でもある。書評として一級、病弱な友人に対する深い理解を表して美しいこと、比類がない。
 しかも、この短い文章は、福永武彦と同様な立場にある病者や障害者を鼓舞する。病気や障害の受容、そこから立ち直る自律的な営みの一つのモデルを力強く描き出している。<環境を変えることはできないが、環境の意味を変えることはできる>のだ【補注】。

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 詩人福永武彦【注1】が逝って二年。その晩年の野草の写生図を集めて『百花譜』三巻(中央公論社、1981)【注2】が出た。晩年の福永は、しばしば初夏から秋にかけて、信州の追分村に病を養っていたので、『百花譜』の多くは、その村の小径に咲いた花を写す。私は今同じ村に夏を過ごして『百花譜』を見ている。
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 【注1】福永武彦は、1918年生、1979年没。詩人、作家、翻訳家。
 【注2】『玩草亭百花譜』全3巻は画文集。1981年、中央公論社刊(後に中公文庫、1983)。

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 『百花譜』の花には個性があり、その折ふしの表情もある。勢いよく咲いているのや、少し凋(シボ)みかけているのがある。茎が強く伸び、葉が張っているのも、茎がうなだれて、小さく申しわけのようについているのもある。その辺のところが巧みに写されていて、そこに一種の詩情--蕪村の俳画に近い何かが漂っているものさえある。写生図には、必ず野草の和名が書きこんであって、日本語の物の名の、あるいは王朝の和歌と結びついた、あるいは土地の人々の生活に融けこんで鄙(ヒナ)びた味が、淡彩の写生図の詩情を強めている。そこに詩人福永の心があらわれているともいえるだろう。または逆に、福永の描いた野草に野草の心があらわれている、ともいえるかもしれない。敏感で聡明な、もう一人の詩人、池澤夏樹氏【注3】が、『百花譜』の背後に「アニミズム」の世界を指摘したのは、おそらくその意味で正しいだろう。
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 【注3】池澤夏樹は、1945年生。詩人、作家、翻訳家。福永武彦の子。

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 しかしそれだけではない。『百花譜』は、それぞれの野草の形態学的特徴を写して、正確を期する。花は単に美しいばかりでなく、花弁の数においても、形状色彩においても、正確でなければならない。ここでの写生は、単にその場の観察にもとづくのではなく、組織的な観察にもとづく。したがって和名に加え、またラテン語の学名を記す。その状あたかも木下杢太郎【注4】の野草の図譜【注5】に似ている。木下杢太郎の写生が、遠くさかのぼって本草学にまでつながることは、いうまでもないだろう。『百花譜』は、詩人の心の表現であるばかりでなく、また同時に、野草の形態学的分類への、広げていえば、自然に内在する秩序一般への、組織的な接近の表現でもある。
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 【注4】木下杢太郎は、本名は太田正雄。医師、詩人、劇作家、画家。1885年生、1945年没。加藤周一は「方法の問題または『皮膚科学講義』の事」(『言葉と人間』所収)で木下杢太郎の業績にふれる。
 【注5】杢太郎の野草の図譜は、『新編百花譜百選』(岩波文庫、2007)に見ることができる。

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 かくして『百花譜』とは、対立する二面の微妙な出会いの場所である。言語学的には、日本語とラテン語、または和名の地方性と学名の普遍性。認識論的には、詩的感受性と分析的接近法、絵画的表現と形態学的記録、すなわち内在的なものの外在化と外在的なものの内在化。存在論的には、対象の個別性、その非還元性と一回性に対する、自然の秩序の超越性と普遍性であろう。
 福永は一日一草を写した。それは感受性の問題ではなく、いわんや道楽や文人趣味の問題ではなくて、意志の問題である。『百花譜』は、感興の赴くままに成ったのではなく、強固な意志によって支えられた体系的事業の成果として成った。そういう強い意志は、何故どこから出てきたのだろうか、と私は考える。
 福永にあたえられた条件は、決してよくなかった。長い間経済的にもめぐまれず、家族関係は複雑で、しばしば苛酷でさえあった。殊に身体的には、病弱で、入院を繰り返し何度も死線を彷(サマヨ) い、いちばん調子のよい時でも長い旅行はできなかった。彼が主として追分村と東京の自宅との何れかで晩年を過ごしたのも、行動の範囲をそれ以上に拡大することが、物理的に不可能だったからである。
 人は誰でもいくつかのあたえられた条件を変えることができない。たとえば偶然にあたえられたその出生の時と場所であり、したがって時代と地域的な文化に係わるすべての制約である。私は私の母国語を択ぶことができない。また身体的制約もある。私は私の身長をみずから決めることができない。福永のおかれていた状況は、その意味では独特ではなかった。しかし行動の肉体的な制限【注6】という点で、極端なものであった。多くの時期に、彼は彼が愛したモーツァルトを劇場で聞くこともできず、ゴーギャンを展覧会場へ行って見ることさえできなかった。要するに多くの目標達成は、彼にとって不可能であった。もしその健康さえ許したら、晩年の福永は、ザルツブルグかタヒティへ、どこかボードゥレールのうたった「彼方」【注7】へ、飛び去っていたかもしれない。晩年の白鳥は、「日本脱出」の空想小説を書いた。福永はそれを書かなかったが、「旅への誘い」の声を聞かなかったのではないだろう。しかし身体的条件が、その目標の実現を許さなかった。
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 【注6】「肉体的な制限」は、今日では環境との関係においてとらえられる。国際保健機構(WHO)2001年版ICF(生活機能・障害・健康国際分類)を参照。
 【注7】「彼方」については、ボードレール(福永武彦訳)『パリの憂愁』(岩波文庫、2008改版)を参照。

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 苛酷な条件のもとで、最後に残るのは、デカルトの「自由」【注8】である。なぜなら目標の実現は自由でなくても、目標の形成は自由であり得るからだ。人は世界をその目標との関連において意味づける。したがって目標の形成において自由だということは、世界の意味づけにおいて自由だということであろう。環境を変えることはできないが、環境の意味を変えることはできる。世界を変えるよりも、自分自身を変えよ。しかし自分自身を変えるのは、当人の意志の問題である。
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 【注8】ジャン=ポール・サルトル(野田又夫訳)「デカルトの自由」は『シチュアシオンⅠ』(人文書院、1965)所収。ちなみに、占領下では一切が独軍によって規制されているがゆえに、自発的な行為の一つ一つが自由の証となった、とサルトルはいう((白井健三郎訳)「沈黙の共和国」、『シチュアシオンⅢ』、人文書院、1964、所収)。サルトル一流の逆説。

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 福永には目標と意志があった。あるいは実現し得ない目標があったから、抜き難い意志があったというべきだろう。追分村から出ることのできなかった彼は、その環境の意味を変えた。福永はおそらく、落葉松の小径の郭公(カッコウ)に、バロックの町の弦の音を聞き、風にゆれる野草に南太平洋の島の女たちを見ることができた。代用品か? 私はそうは思わない。モーツァルトが郭公の声の、ゴーギャンが野草の色の、<<彼にとっての>>【注9】意味を発見させたのである。それはデカルトの定義した自由以外の何ものでもない。もしそうでなければ、あの持続的な意志、一日一草の体系を支えたあの強い意志は、あり得なかったろう。外部から強制された--政府や、社会的圧力や、広告や、家族から強制された強い意志というものはない。
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 【注9】<< >>内のフレーズは、原文では傍点で表記されている。

----------------(引用開始)----------------
 病床の福永の文章は力強く、どこにも嘆き節を含まず、文章としてほとんど爽快であった。病床の彼の表情は、私の知るかぎり常に、明るかった。それは訪ねてきた友人に対する強がりでも、努めて粧った表情でもなかった、と思う。そうではなくて、彼のなかに真の明るさがあり、その明るさは、あらゆる外部から、あらゆる自然的社会的環境から、全く独立した彼の精神のある部分より、直接湧きだしてきたものであったにちがいない。意志が明るさをつくったのではない。『百花譜』の世界を築きあげた意志と、極度に孤独で極度に人に対して温かいあの一種の明るさとは、同じ根源から発していたのである。
 『百花譜』は、福永武彦の世界に対する基本的な態度、その人間の自由と尊厳の、揺るがし難い証拠である、--少なくとも私にはそう見える。
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 【補注】環境は「運動」が変えることができる、という議論はここでは措く。

□加藤周一「福永武彦の『百花譜』」(『山中人話』、福武書店、1983、所収)

 【参考】
【読書余滴】加藤周一の、大きさの話または『野生の思考』の事 ~絵画・写真と構造~
【読書余滴】社会学者としての加藤周一の特徴+余命を楽しむ子規と兆民
【読書余滴】佐藤優の国家論、加藤周一の内村鑑三論
【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結
書評:『日本文学史序説』~加藤周一の犀利にして痛烈な批評~
【読書余滴】読書道楽の7つの要件 ~加藤周一自選集9~
書評:『加藤周一自選集8 1987-1993』
【読書余滴】竜安寺の石庭
【大岡昇平ノート】加藤周一の大岡昇平論
【読書余滴】加藤周一の『今昔物語』論
【読書余滴】事実把握が不確かなとき是非をどう判断するか ~新井白石の実証的方法~ 
書評:『言葉と人間』
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