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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】頑張らない、あきらめない ~支援のコツ、被災者の心理~

2011年04月09日 | 震災・原発事故
 NPOなど非営利の公益活動団体を支援するサイトに「イーココロ!」がある。これを運営する「ユナイテッドピープル」(千葉県いすみ市)の関根健次社長は次のように語る。
 「被災地支援に何が足りないかを考え、気付いたことを自分のできる範囲で実行に移すことが今必要です。例えば役立つ情報を広く流通させるため、ネットに書き込むだけでも意味がある。長くかかる復興には少しずつ続ける支援が重要。頑張らない、あきらめない--ことが大切です」

 以上、今一生「『頑張らない、あきらめない』長期化見据えた支援活動続々」(「サンデー毎日」2011年4月17日増大号)に拠る。

   *

●頑張ろう
 何とか復興しなければならない。壊れたモノ以上のモノを造ればいい。死を乗り越えて頑張ろう。・・・・これらの言葉は、悪意はなく、被災者のためだろうが、被災者の視点に立っていない。
 災害救援とは、被災者一人一人の悲しみを軸として、残された人の気力を温めることだ。消えかかった炎を掌で包んで風をさえぎり、炎を消さないようにするようなものだ。
 しかるに、あんたたちは弱っているから私たちがしてやる、と被災していない人は平気で言う。被災者の気力の炎を吹き消すような姿勢を繰り返してきた。
 今、「がんばろう」という言葉が世の中にあふれかえっている。
 被災した人は歯をくいしばって頑張っている。必死になって耐えている。誰が頑張っていないというのか。「がんばろう」は、苦しい人に対して「頑張れないお前はダメだ」というメッセージになる。
 「泣くな」なんて、口が裂けても言ってはいけない。泣いている人の横で静かに座っているような姿勢が大切だ。

●疎開
 阪神・淡路大震災では、被災者は復興の妨げになるから積極的に疎開させるべきだという主張が都市計画の研究者に支配的だった。大阪に行けば風呂に入れるし食事もできるのに、何でいつまで被災地にいるんだ、という一般人がいた。
 しかし、被災者は、亡くなった家族の近くにしばらくいたい。同じ不幸を体験した者同士で寄り添っていたい。
 そういう被災者の思いを理解した上で、「今は十分な食事を提供できないし、寒さもあるから、一時的に疎開しましょう。何ヶ月後にはかこういう形で帰ることができます」と提示しなければならない。
 被災地ではない自治体が被災者の受け入れを名乗り出るのはよいが、住み慣れた土地から離れて疎開するのはベストの策ではない、ということを理解しておかねばならない。津波の被害を受けた地区にはもう住みたくはないだろう、という推測も、被災していない人が口にするべきではない。これは、気力の炎を吹き消す行為だ。
 被災者が今後のことを考えるようになるのを待つべきだ。癒されるには時間が必要だ。救援するためには、被災者の時間を生きなくてはならない。被災していない人の時間を押し付けてはいけない。
 大事な人を亡くした人が元気に動き回ったりするのは、苦しさを紛らわせようとしているだけのことだ。
 遺体が見つからない場合、残された人は、亡くなった人に何もしてあげられないという罪責感は増す。自分が生き延びたことで、自分を責めてしまう。
 被災者を切り捨てようとするから、早めに合同慰霊祭をやって、あとは時間の区切りごとに記念の催しをやればいい、ということになる。 

●「心のケア」
 阪神・淡路大震災の時、「心のケア」という歪んだ動きが起きた。心が傷ついたなら絆創膏を貼ればいい、というイメージはとんでもない。
 災害時の精神医学で重要なのは二つ。
 (a)被災した人の信頼度を高めるよう救援全体のグランドデザインを描くこと。
 (b)本当に病的な状態にある人に対してのみ治療すること。
 「心のケア」という言葉は浮ついている。PTSDは、あくまでも死の恐怖にさらされて無力感を抱いた人の外傷体験だ。
 避難所生活が長引いて、仮設住宅にいつ入居できるのか、どれぐらい我慢すればいいのか、という悩みはPTSDではない。心のケアの対象ではない。行政や社会が創り出す被災者への負荷だ。これを「心のケア」がストレスに起因するものだ、とぼかしてしまった。

 以上、野田正彰「『がんばろう』は『頑張らないお前はダメ』のメッセージになる ~災害救援の思想~」(「サンデー毎日」2011年4月17日増大号)に拠る。
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【震災】原発>極限の作業と生活の現状 ~環境改善の方向づけ~

2011年04月09日 | 震災・原発事故
●東電社員A(3号機、40代)
 その日から、帰ることができず、ずっと原発にいる。ほとんど睡眠がとれず、目がはれている。食事は湯をかけて食べるレトルト食品などばかり。原発の中では節電といわれ、携帯電話の充電をするもはばかられるような雰囲気になっている。同僚の一人は、作業中にケガをし、消毒もしないで放置していたら化膿した。みんな無精髭がのび、目が落ちこみ、痩せこけている。
 あまり粗末な食事ばかり続くので、不満を本社にぶつけたら、返答は信じられないものだった。
 「トイレがつまり、満杯になる。汚水の処理も大変だ。トイレに行く回数も増える。電気だって余分に使うだろう。だから我慢しろ」
 それを聞いて、「我々はもはや人間ではなく原発事故を収拾するただの道具だ」と思った。
 テレビでは、防護服を着て作業しているシーンがよく出ているが、あれは防護服ではない。ペラペラのビニール製のもの。あんなもので放射線を防ぐことはできない。放射線がダイレクトに肌に接しないようにしているだけ。単なる気休めだ。
 作業が終われば、冷たい水をかけて洗浄される。夜は廊下などで雑魚寝する。暖房は満足に入らない。フラフラだ。食事も報道のおかげで少しよくなったが、缶詰とパックのご飯で、やる気は失せるばかり。特に夜勤の人は大変だ。真っ暗な中で作業しているのだから。
 みんな、もう被曝量がかなり多くなっている。100ミリシートベルトが、緊急作業時として250ミリシートベルトまでアップしたが、もはやその250に近づいている作業員も出ている。だが、東電本社からは、
 「頑張ってくれ。代わりの人がいないんだよ」
 と他人事のような答えばかりだそうだ。
 あと少しで、被曝量が上限を超えて作業できなくなる人がかなり出るはず。今、福島第二原発や福井県、静岡県など他の原発からも作業員を集めている。しかし、ここの悲惨な状況を聞いているから、なかなか来てくれる人がいない。代わりが来ないから、そのうち放射線量をごまかし、作業させられるのではないか、とヒヤヒヤだ。

●下請け社員(40代)
 津波の被害がいちばん大きかったのが南側の4号機。現場に行ったとき、ここに何があったか思い出せないぐらいグチャグチャ。そういうところを何とかかきわけて建物に入る。
 被曝事故が起きてからは、事前に必ず放射線管理の人間が一緒に行く。5ミリとか、10ミリシートベルトとか、メーターを設定する。アラームが鳴ったら、即、作業終了だ。アラームの音って、すごいでかい。目覚まし時計なんてもんじゃない。聞いたらビクッとする。
 5分や3分では仕事になんない。だいだい1時間をメドに考えている。
 マスクをつけてカッパ着て1時間も仕事すると、けっこう消耗する。汗もかくし、それが冷えてくると今度は寒い。下着の替えもないので、着たまま寝る。寝るったって、仮眠だ。

 以上、今西憲之「極限の作業と生活」(「週刊朝日」2011年4月15日増大号)に拠る。

   *

 「福島原発事故についての緊急建言」を行った16人は、「福島原発事故に係る主な課題」を整理し、その中で作業環境について次のように方向づける。

 ・作業を速やかに実施するためには、作業環境、作業体制を整えること。
   ― 作業場の放射線量をできるだけ下げること。
   ― 重層的な作業体制をつくって、24時間体制で実施できるようにし、個人の被ばく線量を抑制すると同時に、作業者が適切な休養・栄養・睡眠をとって思わぬ災害やトラブルを起こさないようにすること。高レベルの放射線量下での作業は、2~3時間で交代できるようにすべき。
 ・前線の作戦本部はサイトまたはオフサイトセンター内において、サイト内の現場作業と一体となって取組む(被ばくも苦労も分かち合うこと)。
 ・一個人に役割を集中させず、柔軟な役割分担も必要(現場所長等の超過労に配慮)。

 以上、坂野智憲「福島原発事故についての緊急建言 専門家らが提言 事態は深刻のようだ」(「仙台 坂野智憲の弁護士日誌」)に拠る。
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