語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】福島第一原発の現場で作業する自衛隊・消防隊を“冷遇”する東京電力

2011年04月02日 | 震災・原発事故
 寒気、高い放射線レベル・・・・こうした劣悪な環境で必死に作業にあたる自衛隊や消防隊の隊員の疲労がピークに達している。
 疲労を癒すのは、休息と睡眠だ。しかるに、彼らに許されているのは、束の間の“仮眠”だけだ。

 休息と睡眠は、福島第一原発から20キロ離れた「Jヴィレッジ」」でとる。
 このレクリエーション施設は、東電など企業の保養、研修、会議などを行う施設であるとともに、Jリーグのナショナルトレーニングセンターでもある。
 広大な敷地の中にスポーツ施設やレストランなどを擁し、宿泊施設には90室(全洋室)の客室(収容人数264名)がある。全室、贅沢でスタイリッシュ、シティホテルよりひとまわり大きくて、ベッドはキングサイズだ。二脚のビジネスデスクも完備している。
 さらに、広い研修室が4室(約120名を収容できる)、大会議室(160名用)もある。

 「Jヴィレッジ」は、東京電力本社の指示により、前線本部として使用し、自衛隊や消防隊の仮眠所とすることを認めた。
 しかし、応援部隊の横浜市消防局幹部によれば、客室にはすべてカギをかけ、自衛隊や消防隊などの作戦部隊をすべて閉め出した。東京電力側は、研修室や大会議室にもカギをかけ、自衛隊と消防隊を排除した。
 では、自衛隊や消防隊はどこで寝起きするのか?
 レストランの床、冷え切ったリノリウムの通路である。そこに100名以上が簡易毛布を敷き、雑魚寝するのだ。レストランには、当然ながら宿泊する環境は整っていない。テーブルをどければ、冷え切った空間でしかない。だから、零下の冷気が床をはう。海からの風がガラス戸をとおして、彼らに襲いかかる。温かい湯の出るシャワーは使えず、歯をみがくのは共同トイレだ。
 “冷遇”を受けているのは、自衛隊や消防隊だけではない。何社もの原子炉メーカーの技術者も、同様に雑魚寝を余儀なくされているのだ。

 かかる事態がなぜ起きているのか? 東電幹部は言ってのける。
 「原発の危機が収束すれば、また使う予定となっています。ですから、たとえ、苛酷な戦いをしてらっしゃる自衛隊の方々と言えども、汚く荒らされるのは何とか避けたく・・・・」

 以上、記事「原発 東京電力の『罪と罰』 『自衛隊』『消防隊』に非情すぎる仕打ち」(「週刊文春」2011年4月7日号)に拠る。
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【震災】統制経済の復活を許してはならない+「役所より役所的」な日本の電力会社

2011年04月02日 | ●野口悠紀雄
 業界ごとの「節電の自主行動計画」や「輪番休止」(交代休業)は、一見、計画停電方式の不都合を取り除き、秩序だった電力節約を実現するための望ましい方式であるように見える。しかし、ここには、経済運営の基幹に関わる重大な問題が隠されている。

(1)現代の複雑な経済で輪番休止は不可能
 現代の複雑な経済では、輪番休止の実施は、きわめて困難だ。強行すれば、経済活動に大きな混乱が生じる。
 現代の経済活動は、個々の活動が孤立して並列しているのではなく、さまざまな活動が複雑に絡み合い、相互依存しながら成立しているのだ。それらは、単に連関しているだけでなく、「同時に」操業していなければならない。事業所ごとに時間を区切って操業することなど、不可能に近い。
 もし「輪番休止制」が強行されれば、各事業所は、自分より「上流」(アップストリーム)にある産業活動の操業状態を事前に正確に把握しなければならない。しかし、それはきわめて困難だ。
 しかも、あらかじめ決めた休業のスケジュールどおりに事態が進展する保証もない。<例>工場で部品が故障→部品生産工場が休業中のため交換不可→生産がストップ→その工場の製品を必要とする事業所の生産も大きな影響を被る。
 かくして、日本経済は大混乱に陥り、麻痺してしまう。
 同時性を期待できなければ、個別の事業所がバッファーとして大量の在庫を抱えていなければならない。効率は著しく低下する。商品によっては長期間の在庫保有が不可能なものもある(生鮮食料など)。同様の事態は、ほとんどの経済活動において生じる。

(2)重要度の恣意的判定こそ統制権力の源
 (a)きわめて重要で、常時供給されていなければならない財やサービスは、「輪番休止」からは除外せざるをえない。<例>消防、警察、ごみ処理などの公共サービス、鉄道などの公共交通機関など。
 (b)技術的理由から除外されるものもある。<例>製鉄所の高炉を止めてしまうと、生産再開に非常に時間がかかる。一貫製鉄所は「輪番休止」からは除外されるだろう。
 (c)(a)や(b)を支える活動も除外しなければならない。
 (d)境界的な分野で「重要性の線引き」を行なうのは、実際には非常に微妙だ。価格メカニズムが用いられる経済では、重要性の判断は個々の経済主体が行なう。しかし、統制経済では、重要性の判断は統制当局が行なう。そして、恣意的な部分や境界領域があるので、裁量の余地が大きい。したがって、統制官庁に権力が集中することになる。
 こうした判断の恣意性は、きわめて重大な問題を引き起こす。<例>新聞用紙は重要、週刊誌用紙は不要不急、といった判断がなされると、強力無比な言論統制が可能となる。
 この問題は、計画停電ですでに生じている。一部の医療機関は、すでに例外扱いされているようだ。しかし、例外と決めるのは、統制官庁だ。そして、除外と認めてもらうには、陳情が必要だ。
「自主的計画」というが、これほど欺瞞に満ちた言葉はない。各団体の自主計画が、中央官庁の「調整」なしにそのまま認められることなど、絶対にないはずだ。

(3)「1940年体制」の亡霊が復活した
 「1940年体制」の中核の一つは、統制経済だ。いま一つが電力国有化だ。
 戦前の日本では、多数の民間企業によって電気事業が運営されていた。しかし、1939年、各地の電力会社を統合して国策会社「日本発送電」が設立され、自由な電力産業は消滅した。さらに、既存の電力会社を解散させて9つの配電会社が作られ、これが戦後の9電力体制の原点になった。「役所より役所的」な日本の電力会社は、このように設立された。
 戦後、1950年代前半までは、通産省による外貨割り当てが行なわれ、これが企業に対して強い影響力を持った(特に鉄鋼や石油化学など)。これらの企業の人々が割り当てを獲得するために並んだ通産省の廊下は、「虎ノ門銀座」と呼ばれた。電力制約は、原子力発電の新設が難しくなったため、長期にわたる。電力割り当てが恒常化すれば、21世紀の日本に「虎ノ門銀座」が復活するだろう。
 戦時経済統制のために作られた「統制会」は、戦後、業界団体となった。統制会の上部機構「重要産業協議会」が、戦後の「経済団体連合会」になった。だから、業界団体や経団連は、商工省を中核とする統制経済体制の一部だ。
 「総力をあげて」「官民一体となって」「国家存亡の危機を乗り切る」といった言葉が、いま日本の新聞に、ゾンビのごとく復活している。これこそ40年体制の基本思想なのだ。被災地の救援や原発事故に対処するために、官民一体となり、総力を挙げて国難に当たるのは当然のことだ。しかし、それをその後の経済運営に延長しようというのは、危険な思想だ。統制割り当て経済が続けば、日本の産業構造は、これまでのまま継続する。そして、電力コストの上昇によって疲弊してゆくだろう。
 いま本当に必要なことは、価格メカニズムを働かせて、日本の産業構造を省電力型のものに変えてゆくことだ。いま、われわれが選択する方向は、日本経済の重大なターニングポイントを決める。

【参考】野口悠紀雄「統制経済の復活を許してはならない ~未曾有の大災害 日本はいかに対応すべきか【第6回】2011年4月1日~」(DIAMOND online)
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