陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーウッド・アンダーソン 『グロテスクな人々についての本』その1.

2005-06-16 21:51:41 | 翻訳
順序が逆になりましたが連作短編『ワインズバーグ・オハイオ』の序章にあたる『グロテスクな人々についての本』をお届けします。
やり始めたらおもしろくなったので、中断して時折ほかの読み物をはさみながら、この連作を全部訳してみようかな、と思ってるんです。
よろしかったら、おつきあいください。
原文はhttp://bartleby.school.aol.com/156/1.htmlで読むことができます。

『グロテスクな人々についての本』
シャーウッド・アンダーソン



 作家は白い口ひげの老人で、ベッドに入るときは多少難儀した。作家が住む家の窓は高く、朝、目覚めたときに木立を見ることができたらどんなにいいだろう、と思う。窓の高さまでベッドを上げるために大工が呼ばれた。

 それが大騒ぎになった。南北戦争に従軍したことがある大工が作家の部屋にやってくると、まずどっかりと座り込んで、ベッドを高くするためのひな壇を作ることについて、話し始めた。作家が葉巻を差し出すと、大工はそれを吹かす。

 ベッドを持ち上げる話をしていたのもつかの間、ふたりの話は移っていった。元兵士の大工は、戦争の話を始めた。実際は、作家のほうがそちらに水を向けたのだが。大工は、捕虜になってアンダーソンヴィルの収容所に入っており、弟を失っていた。弟の死因は餓死で、その話をするたびに大工は泣くのだった。作家同様、白くなった口ひげを生やしていた大工は、唇を引き結んで泣くたびに、口ひげも上下に震える。葉巻をくわえたまま、むせび泣く老人の姿は、どこか滑稽なところがあった。ベッドを高くするという作家の当初の思いつきは忘れ去られ、のちに大工が勝手に仕事をしてしまったために、六十歳を越える作家は、椅子を使って自分で身体を持ち上げて、夜やすむ羽目になったのだった。

 作家はベッドのなかで寝返りをうって横向きになると、そのままじっとする。もう何年も、心臓については気がかりだった。大変な煙草飲みであったし、不整脈もあった。いつか、思いもよらないときに死ぬのではないか、という思いは、以前から胸の内にあったし、ベッドに入るといつもそのことを考える。別に心配だったわけではない。その考えが及ぼす影響というのは、実際には極めて特殊なものであり、とてもひとことで説明できるようなものではなかったのだ。こうして床について死ぬことを考えていると、ほかのどんなときよりも、生きている実感が湧いてくるのだった。身じろぎもせず横たわっているその肉体は、老い、もはやたいした役には立たない。にもかかわらず、その内には極めてみずみずしいなにものかがあった。子を孕む女のように。ちがうことといえば、彼の内にあるのは、赤子ではなく、若さなのだった。いや、若さというのでもない、それは、女、若く、騎士のように、鎖帷子を身にまとった女性なのである。そう、愚かなことだ。高いベッドに横になって、心臓の音に耳を澄ましている老いた作家の内にあるものをことばにしようとすることなど。理解しようとするのなら、この作家が、あるいは彼の内の若い女性が考えていることのほうだ。
(この項つづく)

シャーウッド・アンダーソン 『紙つぶて』 その3.

2005-06-14 21:42:28 | 翻訳
 両親が相次いで亡くなり、肥沃な土地を相続することになるとわかってから、求婚者の群れが娘を追い回すようになった。二年間というもの、毎晩のように娘の下を求婚者たちが訪れた。ふたりを除いては、どれも似たり寄ったり。どれほど愛しているかを熱っぽく語り、娘に相対するときの声もまなざしもひきつって、無我夢中なのだった。そのふたりは、互いにまるで似たところがない。ひとりは白い手をしたきゃしゃな青年で、ワインズバーグの宝石商の息子、ひっきりなしに処女性という言葉を口にする。娘といるときは、この話題からついぞ離れることがなかった。もうひとりは黒髪の耳の大きな青年で、何も言わない代わりに、なんとかして娘を暗がりに連れ込もうとし、そこでキスをし始めるのだった。

 最初のうち、背の高い濃い色の髪をした娘は、宝石商の息子と結婚しようと考えていた。だが、何時間も黙ったまま、彼の話を聞いているうちに、なんとなく不安になってきたのである。処女性について話すことばの裏には、ほかのだれよりも激しい情欲があるような気がする。ときどき、自分を両腕に抱きしめて話しているのではないか、と思うことさえあった。その白い手が、ゆっくりと自分に回され、じっと見つめられているような。夜になって見た夢のなかでは、彼が自分の身体に噛みついて、その顎から血がしたたっていた。娘はその夢を三度見て、ほどなく何も言わない青年と妊娠するような関係になった。だが、彼は激した瞬間、実際に娘の肩に噛みついて、そのために何日もその歯形は消えなかった。

 背の高い濃い色の髪をした娘は、リーフィ医師を知るようになると、もう二度と離れたくなくなったらしい。娘が診察室へ入ってきた朝、何も言わなくても、医者も娘の心を理解したようだった。

 診察室には女の患者、ワインズバーグの本屋の店主の女房がいた。昔風の田舎の開業医がそうだったように、リーフィ医師も抜歯を行っており、その患者もハンカチを歯にあてがい、うなりながら待っているのだった。亭主がつきそっていたのだが、歯を抜くときにはふたりして悲鳴を上げ、血が女房の白いドレスにしたたった。背の高い濃い色の髪をした娘は、それも目に入らない。夫婦が出ていくと、医者はにっこり笑った。「町はずれのほうまで行ってみようか」

 数週間ほどして、背の高い濃い色の髪をした娘と医者は、始終一緒にいるようになった。娘が診療所に行く原因となったあの状態は、病気ということで収まったが、娘のほうはいびつな林檎の甘さを知った人間のように、もう二度と都会のアパートメントで人が食べるような、丸くてきれいな林檎に気持ちを動かされることがなくなってしまっていた。医者と知り合った年の秋に、娘はリーフィ医師と結婚し、翌年の春に死んだ。冬の間中、医者は紙切れに書き留めておいた思いつきの端々を、妻に読んで聞かせた。読んだあとは笑いながらポケットにしまい、そしてそれは丸くて固い紙つぶてになるのだった。

(この項終わり)

シャーウッド・アンダーソン 『紙つぶて』 その2.

2005-06-13 21:39:44 | 翻訳
 リーフィ医師の物語、そして彼と背の高い、濃い色の髪をした娘、のちに妻になり、彼に財産を遺すことになる女性との恋人時代の物語は、好奇心をかきたてられるてやまないものがある。それは、味わい深い物語、ワインズバーグの果樹園でとれる、いびつで小さな林檎のように。秋に果樹園を歩いていると、足の下、地面に霜が降りて固くなっているのがわかる。林檎は摘み手がすっかりもいでしまっている。樽につめて、都会に出荷された林檎は、こんどは本や雑誌や家具や人でいっぱいのアパートメントで食べられることになるのだろう。木には、摘み手がもぐのをいやがった形の悪い林檎が、ほんの二、三個残っている。そうした林檎は、リーフィ医師の握り拳にそっくりだ。ためしに囓ってみると、たいそう美味なのである。飛び出した小さな丸いこぶに、実の甘さがそっくりつまっている。霜の降りた土を踏んで、木から木へと歩いていき、でこぼこしていびつな林檎をもいで、ポケットをいっぱいにしていく。いびつな林檎の甘さを知っている人々は、ごく限られていた。

 娘とリーフィ医師の恋愛は、ある夏の昼下がりに始まった。医者はすでに四十五歳、ポケットに反古紙を詰めて、それで紙つぶてを作る癖は、もう実に馴染んだものになっていた。その癖は、くたびれた葦毛の馬に引かせた馬車に乗って、田舎道をガタゴト行く間についた癖だった。紙切れには、考えたこと、考えたことの結末や、書き始めが書いてあった。

 そうした考えは、リーフィ医師の頭に、ひとつ、またひとつ、と浮かんだものだ。多くの考えのなかから、医者はひとつの真実、心いっぱいを占めるほどに大きな真実を、形作っていく。その真実は、この世界さえも覆った。やがてそれは禍々しいものに変質し、やがてぼやけ、消えていき、そうして小さな考えがいくつもまた現れてくるのだった。

 背の高い濃い色の髪をした娘がリーフィ医師のところに来たのは、妊娠して、怯えてしまったからだった。娘がそうした状態になったのも、これまた不思議な成り行きが重なったためだったのだ。

(次回最終回)

シャーウッド・アンダーソン 『紙つぶて』 その1.

2005-06-11 19:08:00 | 翻訳
同じくシャーウッド・アンダーソンの連作短編『ワインズバーグ・オハイオ』から、『手』につづく『紙つぶて』をお送りします。
原文はhttp://bartleby.school.aol.com/156/3.htmlで読むことができます。

紙つぶて


 その老人は、白いあごひげを生やし、とてつもなく大きな鼻と手をしていた。わたしたちが老人を知るようになるはるか昔は医者をやっており、くたびれた葦毛の馬に馬車を牽かせて、ワインズバーグの通りを、一軒一軒往診して回っていたのだった。やがて、金持ちの娘と結婚する。父親の死後、広大で豊かな農場を相続したのである。もの静かで背が高く濃い色の髪をした、だれもが大変美しいと思うような娘だった。ワインズバーグの住人だれもが、なんであんな医者なんかと結婚したんだろう、と思っただろう。結婚して、一年もたたないうちに、この娘は死んだ。

 老人の手の指関節は、並外れて太かった。手を握りしめると、関節は、クルミ大の白木の玉が、鉄の棒に連なっているようにも見えた。トウモロコシの穂軸で作ったパイプを吹かし、細君亡きあとは、一日中、だれもいない診察室の、クモの巣がはった窓の近くにすわっていた。窓は開けたためしがない。以前、八月の暑い日に開けようとはしてみたのだが、動こうとする気配もなかったために、それ以来、窓のことなどすっかり忘れてしまったのだった。

 ワインズバーグもまた、この老人のことを忘れてしまっていたが、リーフィ医師の内側には、すばらしいものの種が宿っていたのだ。へフナー地区のパリ服地商会の店の上にある、かびくさい診療室にひとりきり、医師は倦むことなく、組み立て、それをまた自分で取り壊す、という作業を続けていた。組み立てていたのは、真実という名の小さなピラミッドで、組み立て終わると、叩きつぶす。もしかすると、ほかのピラミッドを築くための真実を手に入れるためだったのかもしれない。

 リーフィ医師は背が高く、十年以上、一着のスーツを着ているのだった。袖口は綻び、膝や肘には小さな穴がいくつもあいている。診察室では上にリネンの白衣を着ていたが、そのばかでかいポケットにはいつも、反古紙が突っこんであった。数週間もすれば反古紙は、いくつもの小さくて固い、丸い玉になり、ポケットがいっぱいになると、床にぶちまける。十年間で友だちといえばただひとり、同じく老人の、ジョン・スパニアード、苗木園を持っている人物だった。ときどき、悪戯っぽい気分のときに、リーフィ医師はポケットからひとつかみ、紙つぶてをつかみだし、苗木園主にぶつける。「このくそったれ、おしゃべりの、泣き虫じじい」大声でそう言って、腹を抱えて笑うのだった。

(この項つづく)

シャーウッド・アンダーソン 『手』 最終回

2005-06-10 22:11:43 | 翻訳
 悲劇はじっとはしていなかった。寝ている子どもたちはたたき起こされ、震えているところを問いつめられた。「先生はぼくを抱きしめたよ」と、ひとりの子どもが言った。「先生はいつもぼくの髪をいじるんだ」と言った子どももいた。

 ある日の午後、町の住人で、酒場の主人のヘンリー・ブラッドフォードが学校にやってきた。アドルフ・マイヤーズを校庭に呼び出して、握り拳で殴りつけたのだ。固い拳を教師の怯えた顔にふりおろすうちに、ますますブラッドフォードは激高してきた。びっくりした子どもたちは、逃げまどう虫のように四方に散っていく。「ウチの子に手を出したら、どうなるか教えてやろうじゃねえか、このけだものめ!」酒場の主人は怒鳴ったが、そのころには殴るのに疲れて、校庭を引きずり回しながら、蹴り飛ばしていたのだ。

 アドルフ・マイヤーズはその夜のうちに、ペンシルヴァニアの町から追われることになる。ランタンを手にした一ダースほどの男たちが、彼のひとり住まいに押し寄せて、服を着て出てこい、と命じた。雨の降るなか、ひとりは手にロープを持っている。教師を縛り首にするつもりだったのだが、その姿があまりに貧弱で、青白く、惨めったらしかったために、哀れをもよおし、逃がしてやることにした。暗闇のなかに姿を消してから、男たちは弱腰だったことを後悔し、後を追いかけ、罵りながら、木ぎれや土の大きな塊を、悲鳴を上げながら闇の中に逃げていく後ろ姿目がけて投げつけた。 

 アドルフ・マイヤーズがワインズバーグで一人で暮らすようになって、二十年が過ぎた。四十歳にしかならないのに、六十五歳には見えた。ビドルボームという名前は、ある貨物駅の品物の箱に書いてあったところから来ている。オハイオ州東部の町を目指して急いでいる途中で見かけたのだ。ワインズバーグには、叔母さんが住んでいた。虫歯だらけの年寄りで、鶏を育てていたが、その叔母さんが亡くなるまで、そこに寄せてもらった。ペンシルヴァニアでのできごとがあってから一年間は、病いで臥せっていたが、快復したあとは、農場で日雇いとして働きながら、おどおどしつつもあちこち歩いて回ったり、自分の手を何とか隠そうとしたりしていた。なにが起こったのかはっきりとは理解できなかったものの、自分の手に咎があったにちがいない、とは感じていたのだ。生徒の父親たちは、何度も何度も手のことを口にしていたから。「その手なんてしまっておけ」と、酒場の主人は校庭で怒りながら地団駄を踏み、そう怒鳴っていたのではなかったか。

 渓谷に近い家のヴェランダで、ウィング・ビドルボームは行ったり来たりしているうちに、日は沈み、原っぱの向こうの道も灰色の影におおわれて見えなくなった。家に入って、パンを数枚切って、蜜を塗る。今日一日のいちごの収穫を積んだ夜行貨物列車が、ガラガラと音を立てて行ってしまうと、夏の夜は静寂に包まれた。彼はふたたびヴェランダに出て、歩き回った。闇のなか、手は見えなかったために、落ち着いていた。青年がいてくれたら、とこいねがう気持ちはあった、というのも、彼がひとを愛する気持ちを表そうと思えば、ウィラードを通じるしかなかったから。そのいっぽうで、こいねがう気持ちも、孤独と、待ち続けることの一部になってしまっていた。ランプに灯をともし、ウィング・ビドルボームは、簡単な食事で汚れた数枚の皿を洗ってから、ポーチに通じる網戸のそばに、折り畳みベッドを置いて、眠るために服を脱ごうとした。パンの白いかけらが、テーブル脇の、清潔に磨き上げられた床にいくつか落ちている。低い椅子にランプを載せて、そのかけらをつまみあげ、信じられないほどの速さで、口の中に、ひとつひとつ入れていった。テーブルの下、そこだけが明るい灯の下で跪く彼の姿は、教会で礼拝をしている僧侶のようにも見えた。不安そうな、表情豊かな指が、光と影を目にもとまらぬ速さで動くようすは、ロザリオの玉を十個ずつ、つぎつぎと繰り続ける敬虔な信者の指とみまごうほどだった。

The End

シャーウッド・アンダーソン 『手』 その4.

2005-06-09 21:43:58 | 翻訳
  ジョージ・ウィラードは正しかった。この手の物語を簡単に振り返ることにしよう。おそらくこの手の物語に興味を掻き立てられた詩人が、そこに希望があることを示すために翻っている旗にすぎないその手が持つ力についての秘められた、驚くべき物語を語ってくれるはずだ。

 若き日のウィング・ビドルボームは、ペンシルヴァニアで学校の先生をしていた。そのころは、ウィング・ビドルボームではなく、アドルフ・マイヤーズという、もっと固い響きの名前ではあったが。

 アドルフ・マイヤーズは生徒にたいそう愛される教師だった。子どもたちの教師になるべく生まれついているようなところがあったのだ。力でもって人を抑えつけることをせず、そうしたもの柔らかさが愛すべき弱点と受けとめられるような、ごく少数の、理解されにくい人々というのがいるものだが、彼もまたそうしたひとりだった。こうした類の人々が、教え子の少年たちに対する感情は、男を愛する女の細やかさに似ていなくもなかった。

 だが、これだけではあまりにことばが足りない。そこで詩人の出番となる。生徒たちと一緒に夕方の散歩に出かけたり、後者の階段に腰掛けて、薄暗くなるまで話し込んだりしているときのアドルフ・マイヤーズは、夢のなかをさまよっているようだった。手はひらひらと動き回り、少年たちの肩を撫で、もつれた髪をいじる。話しているうちにその声は甘く、音楽的になっていく。声のなかにも同様に、愛撫の響きがあった。ある意味で、声も肩も、肩をかるく叩いたり、髪の毛にさわったりすることも、少年たちの心に、なんとか夢を育もうとする行動だったのだ。愛撫するその指先に、彼は自分をこめていた。世間には、人生を築こうとする力が焦点化しないまま拡散してしまう人間がいるものだが、彼もまたそうした一人だった。その手に愛撫されながら、少年たちの疑念も、不信の念も、少年達の心からは消え失せ、彼らもまた夢を見始めるのだった。
 
 そこで悲劇が起こる。頭の多少鈍い生徒が、教師に夢中になってしまったのである。夜ベッドに入って、口にはできないような類の妄想を抱き、朝になって自分の夢をあたかも事実であるように語った。おかしな、けれどもぞっとするような非難が、その半開きの口から漏れた。ペンシルヴァニアの田舎町は震え上がった。人々の胸の内にあった、アドルフ・マイヤーズに対する、密かな、漠然とした疑念が、信念にまで固まっていった。

(次回最終回)

シャーウッド・アンダーソン 『手』 その3.

2005-06-06 22:08:56 | 翻訳
 ジョージ・ウィラードのほうは、その手のことは何度も聞いてみたいと思っていた。ときに、どうしようもなく知りたくてたまらなくなったこともある。その手のなんともいえない動きや、隠れよう、隠れようとしたがっているのには、理由があるにちがいない、と思いはしたが、ウィング・ビドルボームを尊敬する気持ちが日毎に募っていったために、つねづね胸のうちにあった疑問を、ついうっかり口にしないようにしていたのだった。

 あわや聞こうかというところまで行ったこともある。ある夏の午後、野原を散歩していたふたりが、草の生い茂る斜面に腰を下ろそうと、立ち止まったのだった。その午後、ウィング・ビドルボームは、ずっとものに憑かれたように話し続けていた。柵の傍らでは、歩を止めて巨大なキツツキのように、てっぺんの横板を叩きながら、ジョージ・ウィラードに向かって、まわりの人間に影響されすぎる傾向をとがめる。「そのうち自分をダメにしてしまうぞ」と、大きな声で言うのだった。「もともとひとりになって夢想したいのに、夢想することを怖れている。町のほかの連中と同じになりたがっているんだ。連中が話すのを聞いて、真似ようとしているだろう」

 草深い斜面でも、ウィング・ビドルボームは自分が間違っていないことを認めさせようとした。その声は穏やかでどこか懐かしい響きを帯び、満足げな吐息をもらすと、くどくどとりとめのない話を始めたが、ちょうど夢のなかで道に迷ったような話しぶりだった。

 その夢をもとにウィング・ビドルボームは、ジョージ・ウィラードに一幅の絵を描いて見せた。絵のなかでは、人々はいまふたたび輝かしい時代のように生きている。緑のひろびろとした野原を渡って、すらりとした若者たちがやってくる。あるものは徒歩で、またあるものは、馬にまたがって。若者たちは大勢になって、ひとりの老人の足下に集まる。老人は、小さな庭の木の下にすわって、みなに話をするのだった。
2
 ウィング・ビドルボームはひどく感情をたかぶらせていた。このときばかりは手のことも忘れてしまっていたのだ。手はこっそりと前へ出てくると、ジョージ・ウィラードの両肩にかかった。なにか見慣れない、大胆な色が声音にもあらわれている。「いままでに習ったことは、みんな忘れなきゃならない。夢見ることを始めなければ。これからは世間のやかましい声に耳を貸してはならない」

 演説のなかでひと息つくと、ウィング・ビドルボームは、しばらくジョージ・ウィラードの顔を見つめた。その目はきらきらと輝いていた。もういちど手をあげて、肩を撫でようとしたところで、恐怖の色が顔に浮かんだ。

 身を震わせると、ウィング・ビドルボームはとびあがり、ズボンのポケットに深く手を突っ込む。目には涙が浮かんでいた。「家に帰らなくては。きみとはもう話すことができない」神経質そうに言った。

 振り返ることもなく老人は、丘を駆け下りて、草原を横切っていく。残されたジョージ・ウィラードは、草深い斜面にすわったまま、当惑し、怯えていた。恐れに身を震わせながら、立ち上がって、町へ戻った。「手のことを聞いてはいけないんだ」目に浮かんだ畏れの色を、感に堪えたように思い出しながら彼は思った。「何か変だとは思うけれど、正体を探ってはいけないんだ。あの人がぼくや世間を怖れていることに、あの手は関係があるんだ」

(この項つづく)

緊急のお知らせ

2005-06-03 21:12:13 | weblog
緊急告知

このたび Ghostbuster's Book Web に掲載しているイーディス・ウォートンの『閉ざされたドア』プロジェクト・杉田玄白にリンクされることになりました(イェイ)。

これまで細々とやってきた翻訳が、ずいぶん多くの人目にさらされることになり、ちょっと緊張しています。
なにぶん『閉ざされたドア』は本邦初訳ということもあって、非常に不安な部分が多いんです。

そこでこのサイトに遊びに来ていただいているみなさまにお願いします。
どうか、「お姑さん」のような目でこの『閉ざされたドア』をご覧になって、誤字脱字、ミスタイプ、誤変換、意味が通じない箇所、何かヘンな箇所、文章がおかしいところ、なんでもいいから、ビシバシ指摘してください。

短編にしてはちょっと長いし、ミステリとして読むと、いまいち面白くないんですが、どうかみなさまのご協力、切に切にお願いいたします。

  店主敬白

シャーウッド・アンダーソン 『手』 その2.

2005-06-02 22:01:26 | 翻訳
 ウィング・ビドルボームの手は多くを語る。細い、表情豊かな指は、倦むことなく動き続け、たえずポケットの内や身体の背後に、隠れよう、隠れようとしながらも、前に伸びてきて、彼の表情の歯車を回転させるピストン棒となるのだった。
 
 ウィング・ビドルボームの物語は手の物語である。かごに閉じ込められた鳥が羽根をバタバタさせるように、休むことなく動くところから、ウィングという名も来ているのだ。町に住む無名の詩人が、その名づけ親だった。その手は、もちぬしさえも驚かせる。できるものなら隠しておきたく、畑で一緒に働く男や、田舎道を眠そうな馬に引かせている御者の、無口で表情のない手を、驚きのまなざしで眺めるのだった。

 ジョージ・ウィラードに話しかけるときは、ウィング・ビドルボームは拳を固めて、テーブルや壁を叩いた。そうしていると、もっと落ち着くからだった。野原を一緒に歩いているときに話したくなってくると、切り株や柵のてっぺんの横板をさがして、そこをせわしなく叩きながら、落ち着きを取り戻して話すのだ。

 ウィング・ビドルボームの手の物語は、それだけで一冊分の価値がある。同情をこめて語られたものならば、無名の人々の内にある多くの奇妙で美しい資質を読みとることができるだろう。それは詩人の仕事だ。ワインズバーグでその手が人目を引いたのは、単によく動く、それだけだった。その手でウィング・ビドルボームは一日に百四十クォートのいちごをつんだこともあった。手は彼の特筆すべき点であり、有名になったのもその手のためだった。それでいて、そうでなくともぶざまで胡散臭い人間が、手のために、なおのことぶざまにも見えたのだ。ワインズバーグの人々は、ウィング・ビドルボームの手を自慢に思っていたが、銀行家のホワイト氏の新築の石造りの家や、クリーヴランドの秋のレースで二分十五秒の追い込みで、ウェズレー・モイヤーの馬、栗毛のトニー・ティップのことを誇らしく思うのと、同じことだった。

(この項つづく)

シャーウッド・アンダーソン 『手』 その1.

2005-06-01 19:00:02 | 翻訳
今日からしばらくシャーウッド・アンダーソンの連作短編のひとつ『手』の翻訳を掲載します。
原文はhttp://bartleby.school.aol.com/156/2.htmlで読むことができます。

『ワインズバーグ・オハイオ』、オハイオ州の架空の町、ワインズバーグに住むさまざまな人の人生模様を描いた連作短編の、その第一作に当たるのが『手』です。この『手』はどんな物語を語ってくれるのでしょうか。


シャーウッド・アンダーソン 『手』 その1.



オハイオ州ワインズバーグにほど近い峡谷の縁に、一軒の小さな木の家がある。その家のこわれかけたヴェランダに、太った小柄な老人が、落ちつかなげに、行きつ戻りつしていた。目の前に広がる原っぱ、老人がクローバーの種を撒いたのだが、黄色いカラシ菜ばかりがはびこったその原っぱの向こうには、街道があって、畑から帰るいちごつみ人夫を満載した荷馬車が通っていくのが見えた。いちごつみ人夫は若い男や娘たちで、笑ったり、大声をあげたりで、かまびすしい。青いシャツをきた少年が、荷馬車から飛び降りると、ひとりの娘を自分のほうに引き寄せようとしたのだが、娘のほうは、キャッ、と叫んで、金切り声でではねつけた。少年の足が地面を蹴ると、土埃が雲のようにたなびいて、沈んでゆく太陽を覆った。広い野原を渡って、細い少女の声が届いた。
「おーい、ウィング・ビドルボーム、髪の毛を梳かしなさい、眼のなかに入りそうよ」有無を言わせぬその調子に、禿頭の男は、神経質そうな小さな両手で、もつれた前髪をかき上げでもするように、剥き出しの白い頭を撫で上げた。

 ウィング・ビドルボームは、いつもいつも怖ろしい疑念に怯え、苛まれていて、ここに住むようになってから二十年にもなるというのに、自分が町の一員だとはとうてい思えないのだった。ワインズバーグの住人のなかで親しくしているのは、ひとりしかいない。ジョージ・ウィラード、ニュー・ウィラード・ハウスの主人であるトム・ウィラードの息子とだけは、友情のようなものを築いていた。ジョージ・ウィラードは『ワインズバーグ・イーグル』紙の記者で、ときどき夕方になると、街道を歩いて、ウィング・ビドルボームの家にやってくる。いま落ちつかなげに手を動かしつつヴェランダを行ったり来たりしながら、老人は、ジョージ・ウィラードが今夜もやって来て、一緒に過ごしてくれたら良いのだが、と思っていた。いちごつみ人夫をのせた荷馬車が行ってしまうと、丈の高いカラシナが繁る原っぱを横切って、柵によじのぼり、不安げな面持ちで、道の向こう、町の方向をうかがった。そこに立ってしばらく手をこすってみたり、道の左右をきょろきょろとうかがったりしていたのだが、やがて不安に耐えかねて、大急ぎで家に戻ると、ふたたびポーチを行ったり来たりし始めた。

 ウィング・ビドルボームは、二十年このかた町の住人にとって、謎の人物だったのだが、ジョージ・ウィラードがいるだけで、気後れも陰気なところもなりを潜めて、疑心暗鬼の海の底から浮かび上がり、世間を眺めることができるのだった。若い新聞記者と一緒なら、昼日中のメイン・ストリートに思い切って出かけもするし、自分の家のおんぼろのポーチをおおまたで行ったり来たりしながら、夢中になってしゃべったりもした。低く、震える声も、甲高く騒々しくなる。曲がった背も、まっすぐになる。釣り師の手で川に戻された魚が体をくねらせながら泳いでいくように、無口なビドルボームが、長年の沈黙の間、胸のうちに溜まりに溜まった思いをなんとか言葉にしようと、必死になって喋り始めるのだった。

(この項続く)