陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

金魚的日常リターンズ その8.

2005-06-30 21:58:07 | weblog
――キンギョ飼いになるまえの日々、あるいはネコ的日常だったころ――

8.ノアールはお嬢様

ノアールは外に出ないネコだった。

チビにしてもヴァーミヤンにしても、オスだったせいか、自分の領土の見回りを、日々欠かすことはなかった。日が暮れてからのことが多かったけれど、土砂降りでさえなければ、かならず外に出て、近所をぐるりと歩いて回っていた。
近所の知り合いも多かったらしく、ほかのネコといるところにも何度か行き合ったことがある。そんなとき、チビにしても、ヴァーミヤンにしても、こちらと眼を合わそうともせず、そしらぬ顔をしているのが常で、ネコの社会でもいろいろあるのだろう、と想像しておかしかったりした。

ところがノアールはたまに庭先に出るだけで、塀から外に出ようとはしない。
人間としか接することのないネコは、自分をネコと認識しないのではないか。ノアールを見ていると、どうもそのように感じられてならなかった。

うわぁわぁ(ほんとうにこのように聞こえた)と大騒ぎしているので見に行くと、縁側にクモがいたりする。ヴァーミヤンであれば、目にも留まらぬ速さで捕獲し、あっという間にバラバラにしながらなぶって遊んでいただろうに、ノアールは騒ぐだけで、自分からは手出しをしようとしない。
そのくせ、こちらが逃がしてやりでもしたことなら、あとをついていって、いつまでもうわぁわぁと鳴いているのだった。


一歳になるまえに、ノアールは避妊手術を受けた。チビのことがあったので、こんどは病院選びも慎重に、父も職場で問い合わせたりして、評判の高いところにかかった。そのせいか、それともチビの側にもともと何らかの原因があったのか、ノアールの手術はチビのときとはちがってあっけないほど簡単に終わり、術後もすぐに元気になった。

それでも春が来ると、庭先にいろんなネコがやってくるようになった。
ところが自分がネコだという自覚に欠けるノアールは、塀の上に近所のネコの姿を見つけでもすると、黒い弾丸のように家に飛び込んできて、ガラス戸の内側で毛を逆立てて威嚇する。そして、追い払ってくれ、と、わたしたちに向かってうわぁわぁ鳴くのだった。

ある日ノアールが、ガラス戸越しに、庭先の一点を見つめているのに気がついた。視線の先を追うと、コデマリの植え込みの下に丸くなっているネコがいるのだった。薄いグレーの、光線の角度によっては銀色にも見える、大型の威風堂々としたネコだった。ノアールの気を引きに来るネコたちが、鳴いたり、うろうろと家のほうへ近づいてきたりするのに対し、そのネコはただ、そこにやってきて、昼寝をして帰るだけなのだ。

その美しい毛並みと風格から、わたしはそのネコをT.S.エリオットに倣って、マンカストラップ三世と呼ぶようになった。三世がやって来ると、二階で遊んでいても、ノアールは縁側に下りていく。そうしてガラス戸から外へ出るわけでもなく、じっとマンカストラップ三世の姿を見ている。頭を高くあげ、尻尾をぴんと立て。それは、できるだけ美しい姿勢を保っているようでもあった。

三世のほうはノアールを見ているのかいないのか、お気に入りの場所にやってきてはうずくまり、昼寝をして、そのうち帰っていく。わたしたちは三世が帰ったことを、遊びにあがってきたノアールの姿を見て知るのだった。
そのうちに新学期が始まって、わたしたちはノアールとマンカストラップ三世の恋の行方を見届けることもなく忘れてしまうのだが、人為的な操作が双方になされたネコの、淡い、言ってみれば不自然な恋を思い出すと、やはりなんともいえない気がする。

確かに手術をすることは、人間と一緒に暮らしていくためには必要なことなのかもしれなかった。ただそれが、ネコにとってはどういうことなのか。考えてもわかることではないことを、考えるのは、意味のないことなのかもしれない。それでもそのとき、懸命にガラス戸の外を見つめていたノアールの姿は、いまでも忘れられないでいる。

(次回最終回)