hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

小林祥一郎『死ぬまで編集者気分』を読む

2012年09月28日 | 読書2

小林祥一郎著『死ぬまで編集者気分 -新日本文学会・平凡社・マイクロソフト』2012年4月新宿書房発行、を読んだ。

左翼系雑誌『新日本文学』を編集しながら、平凡社に入社し、百科事典ブームを築いた『国民百科事典』に続く『世界大百科事典』の編集に携わり、『太陽』編集長、さらに様々な新たな百科事典の企画、編集を進め、マイクロソフトに入社して電子百科事典『エンカルタ』編集長を務めた。50 年にわたって、戦後の編集現場を駆け抜けた編集者中の編集者が書き下ろした出版私史。

花田清輝、吉本隆明、志賀直哉、柳田國男、大江健三郎、梅棹忠夫、小松左京、加藤秀俊、安倍公房、石原慎太郎など有名文化人の名前が頻出する。私が知らない人も含めて約400名ほどの人名のオンパレードだ。それだけ、編集、出版は、とくに百科事典では、人脈が大切ということなのだろう。

雑誌創刊、百科事典企画、営業政策の裏話などが書かれ、その多くが企画段階で潰れ、生まれでてもすぐ廃刊されるなど失敗の歴史で、興味深い。

第二部は『新日本文学』に著者が寄稿した左翼系の論争文だ。

巻末に、登場する400名ほどの人名索引、300弱の書名索引があり、さらに「本書の基本データ」として、版型、製本、用紙など細かいデータが出ている。さすが編集者の本だ。

小林祥一郎(こばやし・しょういちろう)
1928年岡山県津山市生まれ。海軍兵学校をへて名古屋大学卒業。
1952年新日本文学会事務局に入る。
1954年花田清輝編集長解任に抗議して辞職。
同年平凡社入社。『世界大百科事典』編集部に配属。
1959年『日本残酷物語』編集部。1964年雑誌『太陽』編集長。1966年『新文学』編集長。1980年平凡社取締役編集局長。1985年平凡社を退社。
1995年マイクロソフト電子百科事典『エンカルタ』編集長。2001年辞職。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

特殊な本だから面白いと思う人は限られるだろう。
なにしろ360頁を超える本で、人名がずらずら出てくる。その多くは事典に限られるが、本の企画、編集の苦労話もある。著者は大ヒットした平凡社の百科事典の責任者の一人だが、そのビジネスの成功及び編集者としての満足感が忘れられずにその後、苦闘する。あれこれ考えて新しい事典を企画する話が面白いが、その多くは優秀な執筆者を確保する必要があり、また膨大な経費、時間がかかるので、経営上のリスクが高く、失敗に終わる。

それにしても左翼系の『新日本文学』の事務局に在籍したままで平凡社に入社するとは、時代とはいえ、本人の才覚はもちろん、平凡社幹部の度量の大きさは素晴らしいことだ。

当時の編集者の多くは左翼系の考えを持ち、それぞれが出版したい企画を胸に秘めながら、苦しい台所事情から多忙な仕事に追いまくられて、そしてやがて老いていったことに思いをはせた。

私は現在、小さな事典の編集補助作業をしているが、膨大な原稿、多彩な著者、そして正確さと各部門の記述の統一が要求される百科事典の編集作業の困難さは想像もしたくない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする