荻上チキ著『社会的な身体 -振る舞い・運動・お笑い・ゲーム』講談社現代新書1998、2009年6月講談社発行、を読んだ。
(以下、私の頭で理解できたと誤解した内容であって、本文は高尚、難解)
第1章 有害メディア論の歴史と社会的身体の構築
電話が登場時は「聴覚の拡大」、TVは「千里眼」と説明されたようにメディアは身体感覚の変容と言い表れされた。人は新しいメディアを通じて新しい「身体能力」を獲得していくようだ。メディアは「社会的な身体」を構築していく。
一方で、新しいメディアはしばしば人を退廃させるものとして非難される。明治期に生まれた小説は、「バーチャルな世界に浸って碌でもないことになる」というように非難された。
TVや、ゲームは今も非難されている。
社会のあり方によって、求められる身体能力やその基準は異なる。「新しいメディアを身体に取り込む」ことで「社会的身体」が形成される過程において、バッシングは必須のものである。
新しいメディアの登場は、決まって教育上の観点から賛否を呼ぶ。なぜなら「教育」は、「未成熟な者」を《あるべき主体》へ近づける行為だから、《あるべき主体》の違いが大きいのだ。
第2章 社会的身体の現在――大きなメディアと小さなメディア
ネットにおける小さなメディアは、新聞、テレビの大きなメディアをチェックする機能を有するが、同時に追従することも多い。
ノート 「情報思想」の更新のために
最後の2行だけを拾う。
メディアは思想を作るのに加担する。そうした環境の支配について、不断の問い返しを行う作業だけが、希望を語る行為を可能にするのだ。
(僕、意味分か~んない)
第3章 お笑い文化と「振る舞いモデル」
TVの「お笑い」の変遷をたどり、現代の「キャラ」の時代への変化を語る。多くの視聴者がコミュニケーション的に「消費」しやすい一発芸、キャラ芸が現在流行していることの意味を問う。
第4章 ゲーム性と身体化の快楽
略
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
「相変わらずニューメディア論は感覚的で、論理の積み重ねがない。マクルーハンから進歩がない」と、よく分からなかった頭の硬い年寄は思ってしまう。話が色々な例を積み重ねて進み、なんとなく感覚的にはその通りかもと思うのだが、しっかり納得できない。しかも、その例たるや、サブカルチャー作品なのだから。
数々のお笑い芸人が登場する第3章が面白かった。半分も知らないのだが、ずらりと変遷を並べられると、流れが実感できる。
「ゲッツ!」「なんでだろう~」「残念!」「間違いない」「ファオー!」「右から左へ受け流す」「自由だぁ!」「あたしだよっ」「そんなの関係ねぇ!」「オモロー!」「グ~」「悔しいです!」「なーに? やっちまったな!」
このうち、いくつの一発芸を覚えていますか? 私は最初の方の6つでした(付いて行ってない)。
荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年兵庫県生まれ。成城大学文芸学部卒、東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。
テクスト論、メディア論を中心に評論、編集活動を行う。
著書に『ウェブ炎上』、『ネットいじめ』など。
(以下、私の頭で理解できたと誤解した内容であって、本文は高尚、難解)
第1章 有害メディア論の歴史と社会的身体の構築
電話が登場時は「聴覚の拡大」、TVは「千里眼」と説明されたようにメディアは身体感覚の変容と言い表れされた。人は新しいメディアを通じて新しい「身体能力」を獲得していくようだ。メディアは「社会的な身体」を構築していく。
一方で、新しいメディアはしばしば人を退廃させるものとして非難される。明治期に生まれた小説は、「バーチャルな世界に浸って碌でもないことになる」というように非難された。
TVや、ゲームは今も非難されている。
社会のあり方によって、求められる身体能力やその基準は異なる。「新しいメディアを身体に取り込む」ことで「社会的身体」が形成される過程において、バッシングは必須のものである。
新しいメディアの登場は、決まって教育上の観点から賛否を呼ぶ。なぜなら「教育」は、「未成熟な者」を《あるべき主体》へ近づける行為だから、《あるべき主体》の違いが大きいのだ。
第2章 社会的身体の現在――大きなメディアと小さなメディア
ネットにおける小さなメディアは、新聞、テレビの大きなメディアをチェックする機能を有するが、同時に追従することも多い。
ノート 「情報思想」の更新のために
最後の2行だけを拾う。
メディアは思想を作るのに加担する。そうした環境の支配について、不断の問い返しを行う作業だけが、希望を語る行為を可能にするのだ。
(僕、意味分か~んない)
第3章 お笑い文化と「振る舞いモデル」
TVの「お笑い」の変遷をたどり、現代の「キャラ」の時代への変化を語る。多くの視聴者がコミュニケーション的に「消費」しやすい一発芸、キャラ芸が現在流行していることの意味を問う。
第4章 ゲーム性と身体化の快楽
略
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
「相変わらずニューメディア論は感覚的で、論理の積み重ねがない。マクルーハンから進歩がない」と、よく分からなかった頭の硬い年寄は思ってしまう。話が色々な例を積み重ねて進み、なんとなく感覚的にはその通りかもと思うのだが、しっかり納得できない。しかも、その例たるや、サブカルチャー作品なのだから。
数々のお笑い芸人が登場する第3章が面白かった。半分も知らないのだが、ずらりと変遷を並べられると、流れが実感できる。
「ゲッツ!」「なんでだろう~」「残念!」「間違いない」「ファオー!」「右から左へ受け流す」「自由だぁ!」「あたしだよっ」「そんなの関係ねぇ!」「オモロー!」「グ~」「悔しいです!」「なーに? やっちまったな!」
このうち、いくつの一発芸を覚えていますか? 私は最初の方の6つでした(付いて行ってない)。
荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年兵庫県生まれ。成城大学文芸学部卒、東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。
テクスト論、メディア論を中心に評論、編集活動を行う。
著書に『ウェブ炎上』、『ネットいじめ』など。