hiyamizu's blog

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『美女という災難-08年版ベスト・エッセイ集-』を読む

2010年11月18日 | 読書2

日本エッセイスト・クラブ編『美女という災難-08年版ベスト・エッセイ集-』2008年8月、文藝春秋発行を読んだ。

毎年出版されている企画で、2007年中に発表された新聞、雑誌(校内紙誌など)に掲載されたエッセイを自薦他薦で応募し、文藝春秋が選定したものだ。二次予選を通過した116編から最終選考された54編よりなる。
したがって、エッセイの作者は、作家、有名人から一般人までさまざまだ。
4つだけご紹介。



題名になった有馬稲子の「美女という災難」
「昭和の美女」という雑誌の特集に載っていた23歳頃の自分の写真を見て、「当時の私はこの美女というレッテルがいやでたまらなかったのです。」「美女とは演技のできない奴と同義語だったのです。」という。
それから50年。「時々昔の映画を見ては……美女だったなあ……しかし下手だったなあ……しかし良い映画だ、などと思っています。」
「仕事に限らず2度の結婚を含めて「思考は常に短絡し向こう見ずで浅慮」これも私の人名事典の説明には不可欠でしょう」
(私も全く同感だ。有馬さんは、もちろん美しくはあるが、絶世の美女ではないし、意欲ばかりが目立ち、演技も下手だった。年取ってからは、力が抜けた演技でなかなか良かったのだが) 

小野遙(無職)の「母の日」がせつない。
母を介護老人保健施設に入所させて7ヶ月、母の日に自宅に連れて帰った。「やっぱり家はいいわねぇ」という母に、娘は笑顔で肯くが、「家はやっぱりいいでしょう」とは答えられない。そう言ってしまえば、その先の「家に帰りたい」という母の気持ちと向き合わなければいけないからだ。
しばらくすると、「家に帰れないかね」と繰り返す。「車椅子じゃ、家で生活できないからねぇ」と私は口ごもる。家に帰りたいと手すりに掴まり歩行訓練に励んでいる母を見ながら、実は、より安全なところと、特別養護老人ホームへの入所申請を出していて順番待ちなのだ。そばから父も「無理だよ」と答える。すると母は「私がこっちに居ると、家族がみんな倒れてしまうんだねぇ」と、薄く笑った。
「-お母さん、ごめんなさい。家に帰りたいんでしょう。でも、私は怖い。いつまでとも分からずに続く介護をしていたら、私はそのうちきっと私を縛り付けるお母さんを恨むようになってしまう。だから、施設にいるお母さんの所に通う今のやり方でやらせて・・・。」
ところが、四時近くになると、母は「ご飯の時間になるから、はやくかえらなくちゃ」とそわそわし、施設に帰りたい一心になっていた。

(私も、施設に入っていた母を一度だけでもよいから家に連れて帰りたかった。しかし、家に帰れば、母は「もう絶対、施設には行かない」と強く主張しただろう。結局、何も言わないまま、母は施設から病院へ移り、家に戻ることなくそのまま死んだ。今でもそのことが私を苦しめる。)

塚本哲也(元東洋英和女学院学長)「思い出は生きる力」
ピアニストの奥さんが突然亡くなる。多くの人が「早く立ち直って下さい。奥様が心配しますよ。元気になることが奥様を安心させることです」を励ましてくれる。しかし、教会の司祭は「立ち上がれなくていいではないですか。心ゆくまで悲しんでやることです」と言ってくれた。

永六輔「妻への手紙を書きつづけて」
奥さんが亡くなって、いろいろな人がいろいろ言ってくれる。
無着成恭「看取ってから5年がヤマ。あとはゆっくり生きましょう」
月心寺庵主「生きてちゃ駄目だって言ったでしょ。恋女房を看取ったら、すぐ後を追わなきゃ駄目だって。そうすりゃ、周囲も納得するし・・・。後を追えないなら、もう生きているしか仕様がないわね」
黒柳徹子「私ね百歳まで仕事してると思うの、それ見届けてほしいの」
妻を亡くして5年。1日も欠かさずその妻宛の手紙を毎日書いては自宅宛の住所を書いて出し続けている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

有名人も一般人も悩みや喜びは一緒だなと、当たり前のことを思う。
どうと言うこともなく、ベストエッセイとも思えないものも多いが、心に響くものもいくつかある。そういったものはやはり内容が深いものだ。
逆に言うと、日常の何気ない事柄を見事な筆ですくいあげたようなエッセイは見当たらなかった。というか、私にくみ取れるだけの心の余裕がないのだろうが。


コメント
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