増谷文雄著『歎異抄』ちくま学芸文庫、1993年1月、筑摩書房発行を読んだ。
裏表紙にはこうある。
本書は1964年2月筑摩叢書版にもとづいたものだ。
原書の『歎異抄』(たんにしょう、以下原書を『歎異抄』、本書は本書と称する)の作者は、親鸞に師事した唯円で、師の死後30年ごろとされる。『歎異抄』という書名は、親鸞滅後の浄土真宗教団内の異議異端を著者が嘆いたことによる。
第一部は、『歎異抄』原文、注釈、現代語訳である。基本的知識にかける私には、原文、注釈は歯が立たず、現代語訳さえ読みにくく、飛ばし読みした。
第二部は、『歎異抄』の時代、本文の著者による解釈が述べられる。
増谷文雄は、1902年北九州市小倉生まれ、1987年没。
1925年東京大学文学部宗教学科卒業。文学博士。
東京外国語大学教授、大正大学教授、都留文科大学学長などを歴任。
戦後、在家仏教協会で新仏教運動を勧め、わかりやすい仏教を目指した著書を書く。『仏陀時代』『仏教とキリスト教の比較研究』など。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)
第二部だけでも一通り読めば、親鸞の教えの大略は理解でき、著者の主張もおおよそ読み取れる。
しかし、著者による解説文自体はわかりやすいのだが、『歎異抄』や、法然、親鸞などに関する基本的知識を前提としているので、知識のないものには取っ付きにくい。
内容も、ストレートに著者の主張を述べるのでなく、従来の(1964年以前の)『歎異抄』解釈に反論するという研究成果発表のおもむきが強く、結論だけ知りたい者にはまどろっこしい。
以下、私のメモ。
高校の歴史授業の知識しかなく、かつ単純な頭の私の理解では、この本の主張は、次の2点だと思う。以下を読まれる方には、すべて私の浅い理解による独断的記述であると、お断りしておく。
(1)念仏の教えを広めた法然(浄土宗)を親鸞(浄土真宗)は全面的に信じていて、両者の教えに本質的差異はなく、親鸞はより徹底し、かつ関東など広く教えを広めただけだ(乱暴に言えば)。例えば、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(悪人正機)も、親鸞が言い出したのではなく、法然から親鸞へ口伝えされたものだ。
(2) 『歎異抄』の内容を、法然から親鸞への教え、親鸞自身の言葉、唯円が異議異端に反論した部分を、さまざまな書を研究、参照して、明確に区分している。
法然と比較して、親鸞はその教えの内容が違うと言うより、教え方、人柄により、より広く、強烈に浄土(真)宗の教えを広めた。両者の違いとして、以下があげられている。
唯円が、「念仏してもどうも喜び湧き上がる気持ちになれない。いそぎ浄土へという気持ちもない」と嘆くと、親鸞は、「私もその疑問を持っていたが、唯円もそうだったか」と師とも思えぬことを言い、「われらは煩悩具足の凡夫であるということであり、往生は確かなのだ」と喜んだという。
一方、同じ質問に、「知恵第一」と呼ばれた法然は、お経の言葉を引用して「人間には頓機と漸機がある」(頓機はすぐ悟る人で、漸機は次第に解る人)「一生懸命願えば、年月を経て信心が深まるでしょう」と教えたという。
「念仏して浄土に生まれる件は大丈夫でしょうか」と聞かれて、親鸞は、たとえ法然にだまされて、念仏して地獄に落ちてもすこしも悔いないと、法然への絶対憑依(ひょうい)を語ったという。
裏表紙にはこうある。
今なお多くの人々の心に深い感銘を与え続けている『歎異抄』。そこに記された親鸞の「よきひと(法然)のおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり」「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」などの言葉を、彼が生きてその言葉を語った歴史的時点に立ち帰って考察し、後世の宗学の影響によって歪められてきた親鸞像を正した『歎異抄』研究の白眉。
本書は1964年2月筑摩叢書版にもとづいたものだ。
原書の『歎異抄』(たんにしょう、以下原書を『歎異抄』、本書は本書と称する)の作者は、親鸞に師事した唯円で、師の死後30年ごろとされる。『歎異抄』という書名は、親鸞滅後の浄土真宗教団内の異議異端を著者が嘆いたことによる。
第一部は、『歎異抄』原文、注釈、現代語訳である。基本的知識にかける私には、原文、注釈は歯が立たず、現代語訳さえ読みにくく、飛ばし読みした。
第二部は、『歎異抄』の時代、本文の著者による解釈が述べられる。
増谷文雄は、1902年北九州市小倉生まれ、1987年没。
1925年東京大学文学部宗教学科卒業。文学博士。
東京外国語大学教授、大正大学教授、都留文科大学学長などを歴任。
戦後、在家仏教協会で新仏教運動を勧め、わかりやすい仏教を目指した著書を書く。『仏陀時代』『仏教とキリスト教の比較研究』など。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)
第二部だけでも一通り読めば、親鸞の教えの大略は理解でき、著者の主張もおおよそ読み取れる。
しかし、著者による解説文自体はわかりやすいのだが、『歎異抄』や、法然、親鸞などに関する基本的知識を前提としているので、知識のないものには取っ付きにくい。
内容も、ストレートに著者の主張を述べるのでなく、従来の(1964年以前の)『歎異抄』解釈に反論するという研究成果発表のおもむきが強く、結論だけ知りたい者にはまどろっこしい。
以下、私のメモ。
高校の歴史授業の知識しかなく、かつ単純な頭の私の理解では、この本の主張は、次の2点だと思う。以下を読まれる方には、すべて私の浅い理解による独断的記述であると、お断りしておく。
(1)念仏の教えを広めた法然(浄土宗)を親鸞(浄土真宗)は全面的に信じていて、両者の教えに本質的差異はなく、親鸞はより徹底し、かつ関東など広く教えを広めただけだ(乱暴に言えば)。例えば、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(悪人正機)も、親鸞が言い出したのではなく、法然から親鸞へ口伝えされたものだ。
(2) 『歎異抄』の内容を、法然から親鸞への教え、親鸞自身の言葉、唯円が異議異端に反論した部分を、さまざまな書を研究、参照して、明確に区分している。
法然と比較して、親鸞はその教えの内容が違うと言うより、教え方、人柄により、より広く、強烈に浄土(真)宗の教えを広めた。両者の違いとして、以下があげられている。
唯円が、「念仏してもどうも喜び湧き上がる気持ちになれない。いそぎ浄土へという気持ちもない」と嘆くと、親鸞は、「私もその疑問を持っていたが、唯円もそうだったか」と師とも思えぬことを言い、「われらは煩悩具足の凡夫であるということであり、往生は確かなのだ」と喜んだという。
一方、同じ質問に、「知恵第一」と呼ばれた法然は、お経の言葉を引用して「人間には頓機と漸機がある」(頓機はすぐ悟る人で、漸機は次第に解る人)「一生懸命願えば、年月を経て信心が深まるでしょう」と教えたという。
「念仏して浄土に生まれる件は大丈夫でしょうか」と聞かれて、親鸞は、たとえ法然にだまされて、念仏して地獄に落ちてもすこしも悔いないと、法然への絶対憑依(ひょうい)を語ったという。