hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

内田百閒「続百鬼園随筆」を読む

2009年07月22日 | 読書2
内田百閒著「続百鬼園随筆」新潮文庫、2002年5月発行を読んだ。

「好きな本を」と問われた文化人(死語?)の中に、内田百閒の名を挙げる人が何人かいた。なんでも、ユーモア溢れるすばらしい文章で、諧謔な百閒先生の魅力にとらわれるらしい。
私は、内田百閒を読んだことがないし、百閒先生を囲む門下生の会を描いた黒澤明の映画「まあだだよ」も見たことがない。もしかしたら、私の壷にはまる作家をこのまま知ることなく終わることになるかもしれないと思うとたまらず、ともかく一冊読んでみた。これが私の初百閒本だ。



当時、大ヒットした「百鬼園随筆」に続く第二の随筆集で、初期の旧作と新作をあわせ33編の随筆よりなる。なお、この作品は、1934年(昭和9年)5月に三笠書房から刊行されたというから、75年前で、登場する物や、社会の状況は私から見ても古いが、基本的内容は違和感なく楽しめる。

「近什前編」:些細なことに立腹し、かえって無様なことになったりする自分を語る「立腹帖」「続立腹帖」、学生のころ先生に仕掛けたいたずら、先生になってやられたいたずらの「百鬼園師弟録」など12編。

「文章世界入選文」:なんということない日常の出来事だが、描写は見事で淡々と語る驚異の17歳のときの作品8編。

「筺底稺稿」(きょうていちこう):親友の死を悼む「鶏蘇仏」「破軍星」など3編。それにしても、百聞さん、身近な人が次々と亡くなっていく。わがまま、頑固、いたずら好きの百閒さんの底の方に無常観を感じるのは、そのためだろ。

「近什後編」:借金などの話しが10編。



内田百閒は、1889年‐1971年。別号・百鬼園。岡山市に造り酒屋の一人息子として生れ、乳母日傘で育つが、中学のとき父が死に、まもなく実家が没落する。旧制六高を経て、東京大学独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平らと親交を結ぶ。卒業後、陸軍士官学校、法政大学のドイツ語教授。1934年、法大を辞し文筆家の生活に入る。初期の小説には「冥途」「旅順入城式」などがあり、「百鬼園随筆」で独自の文学的世界を確立。
太宰治など、子供の頃に豊だった実家が没落した人に文学的才能ある人が多いのはなぜだろう。誇りを持ち、そしてそれを失うことにより、子供のときから深く考えさせられるためだろうか。

なお、内田百閒(うちだひゃっけん)の「閒」の字は、戦前は「間」であったが、戦後、門構えの中を月に改めた。
新潮文庫の表紙の絵(カバー装画)は、親友だった芥川龍之介による「百間先生懼菊花図」だが、似顔絵が写真とよく似ている。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

法政大学教授でありながら貧乏生活で、しかも茶目っ気があり、ちょっとしたことで怒り狂い大人になれないように見える百閒さんのキャラクターと、練達の文章が75年の年月を経て、人気を保っているのだろう。一度は読んでおくべき本だと思った。

ただし、細かいところだが、いくつかの読みにくい点がある。年代別に並んでいないので、百閒さんが子供のときの話か、中年のときの話か、話のはじめでは分かりにくい。また、
原作の旧仮名遣いを新仮名遣いに書き直してあるのでまだ良いのだが、通常の漢字変換では出てこないような難しい漢字がガンガン出てくるのも困る。

それにしても、偉い大学教授なのに自分を道化役にして笑い飛ばす百閒先生には心のゆとりを感じさせられる。

コメント
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